第9話 懇願

「……は?」


 護って欲しい? 何故? 何で?


 初季は口をあんぐりさせて固まった。

 その顔を見ながら雪平はくっくと喉を鳴らす。


「なかなか、愉快な顔をする」


 目を細めて薄らと笑みを浮かべる雪平はそのまま続ける。


「数年前から私が病気がちだったのは知っているか?」

「えぇ、しかしここ最近は体調も良く、今日の宴は快気祝いを兼ねていると聞きました」


 今この状態なら快気していると言っても問題はないが昼間の様子ではとても快気しているようには思えない。


「ああ。豊明の節会以降、一時期回復した。完全に快癒したと思ったのだがここ一月の間に病床生活に逆戻りだ」

「医者は何と?」

「医者にはどうにもできぬ」


 まぁ、そうだろうな……。


 恐らく、体調不良の原因は背中に憑いた黒い塊だ。恨みや憎しみで霊魂は穢れて黒く染まる。そうなるとただの霊魂ではなく鬼火と呼ぶ。


「私には物の怪が憑いていた。体調が悪かったのはそのせいだ」

「知っていたのに払わなかったのですか?」


 父さまはどうして放置していたんだろう?


 こんな禍々しい気配を父が感じ取れないわけがない。


「まさか嫌われて……」

「別に嫌われて祈祷をして貰えなかったわけではないからな」

「あ、良かった」

「定期的に祈祷はしている。そなたらの父がな」

「父の腕を持っても難しいのですか?」


 歴代随一と評されるのは妥当だと初季は思っている。


陰陽師は占術や呪術、祭祀を司る者達で陰陽寮には能力を認められた陰陽師達が集まっている。しかし、占術や呪術、祭祀などとは違い、悪鬼や物の怪を視る事が出来る者はほとんどいない。そしてその悪鬼や物の怪を払い落せても滅することが出来る者はもっと少ない。


 今の陰陽寮で滅する力があるのは父を含めてわずか三人。その三人の中で父が一番能力が高いと聞いている。


 初季は雅近に身を守るために初歩的な陰陽術を教わり、物の怪退治をする所を見せてもらったことがある。

 父でも難しいなら他の陰陽師でも難しいのではないかと思う。


「雅近の祈祷により、憑き物は一時的に離れるのだが数日すると再び私に憑くようなのだ」

「憑き物を引き寄せる体質なのですか?」

「憑かれるようになったのはここ数年だ。雅近はどこかで呪詛が行われているのではないかと言っている。探しているのだが雲が掛かったかのように視えぬと言うのだ。定期的な祈祷、護符、やれることはしている」


 それでも執拗に雪平に憑くというのだ。


「うんざりしますね。身体ももたないでしょうし」

「全くだ」


 脇息に寄り掛かり疲労を声に含ませ言う。


「豊明の節会以降回復したのも父の祈祷の効果ですか?」

「いや、別の者に落としてもらった。嘘のように回復し、完全に快癒したと思った」


 初季は少しムッとする。


 父の腕でも回復しなかったのに、別の人物によって回復したということは父よりもその点では勝っているということだ。


「ではもう一度頼めば良いのでは?」


 その人物に祈祷を頼めば良い。

 そうすれば父の負担も減るし、この人も元気でいられる時間も長くて良いではないか。


「文を送ったが梨のつぶてだ」

「何故?」

「……私が知りたい」


 少し間を置いて雪平が言う。


 そんな会話を聞いて和泉は嫌な汗をかく。

 雪平は切れ長の目でじっと初季を見つめる。


「親王様の文を無視ですか。どのような方なんですか?」


 何だか、やけに目が合うな。


 雪平と視線がぶつかっている時間が長く感じたがそれほど気にはならず、問いを重ねた。


「……見目麗しい姫であったな」


 視線が逸らされ、雪平は重々しく息をついた。


「姫?」


 まさかの……そんなに凄い力を持っている女性がいるのか。

 ってことは、父はその女性に負けたってことか・・・いや、でも負けたのはそこだけだ。他は勝っているはず。大丈夫だ、問題はない。 


「凄いですね、そのお姫様。そんなに麗しい方なのですか?」

「あぁ、とても美しいのだが……」


 逸らされていた視線が再びぶつかる。

 もの言いたげな目で見つめられて初季は首を傾げた。


「?」


 何か言いたいことでもあるのかしら?


 そんな風に考えていると呆れ声と共に視線が外れる。

 首を傾げる初季の横で和泉は冷や汗を流し、視線を彷徨わせている。


「うーん」


 目の前に座る雪平も綺麗な顔立ちをしている。男なら顔を付け替えて欲しいと思うような男前だ。


 この人がそこまで言うのだから相当美しいに違いない。


「そのお姫様は宮様の顔を知っているんですか?」

「あぁ、顔は見ている」

「う~ん、その顔で引っかけられないのか……。普通の女性ならその顔でころっといけると思うんだけど」


 初季は自分に置き換えて考えてみる。


 邸の文箱にはどこの誰からのものか分からない文が山になっている。顔を知っていれば返そうかなとも思うが、見知らぬ者から贈られた文は触ってもいない。顔を知っていても興味がなければ返していないし、嫌いな男からの文はその場で捨てたいくらいだ。


「もしかして文を読んでないのでは?それか、よっぽど興味がないか、嫌われているか……」

「……」


 腕を組み、頭をひねる初季を見る雪平の目は完全に据わっている。


 止めてくれ! もう止めてくれ初季!


 和泉は叫び出したい衝動に駆られた。


「親王であることは知っているんですか?」

「文には書いてあるが……」

「ってなると……読んでない可能性が高いですね。普通は親王様からの文を無視したりしないでしょうし。届いていない可能性は?」

「届いているはずだ。それに文を贈ったのは一度じゃない」


 ずっと床の視線を彷徨わせていた和泉に雪平の視線が注がれる。

 その鋭い視線が肌に痛くて耐えられず、ちらりと一瞬だけ雪平の方に視線を向けた。


お前、ちゃんと届けたのだろうな? と、据わった瞳が語っている。


届けました! 手渡しましたとも!


ただ、文箱から溢れ返り山の一部になっていますが、とは言えない。

視線で訴えるが伝わったかは不明だ。


「ともかく、その姫とは連絡が取れぬ。そこで千歳、そなたが必要だ」

「逢引きの手伝いなんてしませんよ。権力を笠に着て手籠めにしようとしてるんならなおのことお断りです」


 文を読んでいないのならば望みはあるが、意図的に無視しているのであれば相手は雪平を快く思っていないということだ。


 今回の和泉の賭けと同じで女性が嫌がっているのに無理やり縁を繋ぐ気になどなれない。


「そんなことは考えていない!」

「そっか。良かった」


 眉を吊り上げて怒りを露わにする雪平を見て初季は心底安堵した。

 この人が立場の弱い者に乱暴するような人ではないらしい。


「では、何です?」

「先も言った。お前に護って欲しいと」


 意味が分からない。

 一体、今の話の流れでそんなことになるのか。


「昼間、巨大な犬が現れたのは覚えているよな?」


 和泉の問いに初季は頷く。


「あの犬は突如現れたものではなく、兵部卿の宮に憑いていたものだと陰陽師達は言っている。それについての意見はあるか?」

「ない」


 犬が現れた時は既に雪平の背には何もいなかった。憑き物は完全に雪平の身体から離れたと解釈していい。


「あの犬には矢が効かなかった。矢も石も犬の身体をすり抜けたのも分かるか?」

「物理攻撃が効かないってことでしょ。悪鬼や物の怪もそうだけど霊魂や、憑き物に対人間用の攻撃は普通は効果がないよ。霊剣とか護符とか破魔の矢とかまじないや霊的効力のある武器じゃないと」


 人でない物に対抗するのであれば弓矢や投石などの攻撃は効果がないことが多い。霊力を込めた剣や護符、魔を打ち払う破魔の矢など特別な力を宿した武器でないと効果がない。物理攻撃が有効な場合の方が稀である。


「お前が手にする矢が漏れなく破魔の効力を持つことも知っているか?」

「……初耳ですけど」


 剣や矢じり、鈴などの金属や、玉や鏡などは霊的な力を込めやすい。

 霊剣や、破魔の矢、魔除けの鈴などは普通うの剣や矢、鈴に霊力の強い者が力を込めた物だ。


 確かに、初季は人でない物も視えるし、弱い魔を払うぐらいのことは教えてもらったので出来る。しかし、手にした矢に霊力を込めたことなどない。無理だ。


「お前が犬に向かって投げつけた矢が光を放ち犬の前肢は消滅した。それを見た帝が流鏑馬でお前が放った矢を陰陽師達に調べさせたところ、どの矢にも破魔の力があることが分かった」


「嘘だろ」

「嘘ついてどうすんだ」


 和泉の説明に初季は信じられない気持ちで一杯だ。


 いやいやいや、ないって!


「そなたには父譲りの才覚があると聞く。その力を私のために使って欲しい」

「私にそんな大層な力はありません!大体、私は特別な修行をした訳じゃないし、そんな不確かな者よりも現役の陰陽師達がいるでしょう!」

「祈祷や護符などは気休め程度にしかならぬ」

「いや、でも私じゃ……」

「私はもう疲れたのだ」


 雪平の表情に影が差す。その声には疲労が滲んでいる。

 払っても払っても近寄って来る物の怪にうんざりしているのだろう。


「かねてから、東宮にと周囲からもてはやされ、期待に応えようと誠心誠意励んで来た我が身。しかし床から起き上がることもままならぬ日々、やりたいことも出来ぬ、物の怪が憑いていると噂され、後ろ指を指される……疲れたのだ」


 その弱弱しい声を聞き、初季は切なくなった。


 期待に沿えるようにと努力を重ねていたのに物の怪が憑いたと噂され、手の平を返したように周りから人が離れて行く様子が目に浮かんだ。


 胸の奥がぎゅっと締め付けられるような感覚を覚える。

 この人は寂しく、辛い思いをしたのだ。


「具体的には何をすれば良いのですか?」

「呪詛の元を叩く。呪詛を行っている輩を探している間、そなたには私に憑こうとする物の怪から私を護って欲しい」

「呪詛を行っている奴らは誰が探すんですか?」

「雅近に調べさせる。そなたが私を護ってくれるのであれば雅近の負担も減るだろう」


 雅近は大内裏の祭祀や占術の大本に関わっており、それ以外の仕事もあるので多忙である。初季が手伝えば雅近の負担は少なからず減るはずだ。


 初季は戸惑う。


ここまで必要とされているのに断るのも良心が痛む。しかし、初季は役に立てる自信がないのだ。可能であるなら断りたい。


 もしも自分のせいで雪平が危険な目に遭うのは困る。初季だけでなく和泉や雅近にもお咎めがあるかも知れない。そう考えるとかなり重責だ。


 まぁ、断ったとしても咎められるんだろうけど。


 相手は親王だ。親王の頼みを断ったということは皇族に背を向けたのと同意である。

 初季に最初から選択肢などない。


「父の他にも有能な術師はいるでしょう? 私である必要はないのでは?」

「雅近以外の術師の祈祷など気休めにもならぬ」


 雅近の祈祷は気休めになるがそれ以外はしてもしなくても同じだということだろう。

 全く効果がないとは思わないが、効果が目に見えない以上は感じ方の問題だ。雪平が祈祷の効果を感じなければ意味がない。


「それに」


 唸るように思考している初季に雪平がにじり寄る。

 急に近くに寄られて初季は正座を崩して後ろにのけ反った。

 閉じた扇の先でぐいっと顎を上を向かされる。


 近い! 近い! 近い!


 端整な顔が目の前に迫り、叫び声を上げそうになる。


「私はそなたに護られたい」


 切れ長の目がすうっと細められ、囁くような声は艶を帯び、口元は意地悪気な笑みが浮かんでいる。


胸の奥がじんと熱を持つような感覚を覚える。熱が徐々に上へと昇りつめ、初季の白い顔を紅潮させた。こちらを見つめる瞳に身動きが取れなくなる。うっかりすると心までもが囚われそうだ。


「……私に色仕掛けしても無駄ですから」


 初季は諦めたように呟く。


 最低だ、この男。忌々しい。


 自分でも分かるほど熱くなった顔を隠すように初季は板の間を睨んだ。

 


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