第5話 流鏑馬

「バレたらどうすんの」

「心配すんな。お前なら素でいける。見た目に関しても問題ない。ちびだが、胸もないし色気も何もない。女を微塵も感じさせないのは最早才能だ。問題ない」


 本当の事だが人に言われると腹が立つ。


 初季は肩を抱いて耳元で囁く和泉の足を踏んでやろうとしたが、持ち前の反射神経で躱される。


 くそっ


「ギリギリまで俺が付き添う。大丈夫だ。ただ、顔はできるだけ見せないようにしろ」


 和泉がぽんと肩を叩く。


 天気に恵まれたこの日、満開の桜の元で催される春の宴に初季も参加していた。ちなみに流鏑馬の選手としてだ。


 今一騎目が走り出し、馬に跨ったまま弓を引く。矢が的に当たると歓声が上がり、外せば溜め息が零れる。


 初季も他の騎手達と同様に愛馬と共に控えていた。ちなみに初季は最後から二番目なのでそれまでは傍に和泉が付き添っている。


「和泉、そいつで本当に大丈夫なのか?」


 背後から投げるように声を掛けられた。


「負けたら……分かってるよな?」

「こいつで駄目なら諦めるしかねぇよ」


 声をかけてきた男に嫌そうな表情で応える。



「絶対だからな!」


 最後に念を押されて鬱陶しいと言わんばかりの表情で男を追い払った。

 かなりがっちりとした体躯の男で太い眉と濃い髭が生理的に受け付けない。


「絶対御免なんだけど」

「だろ?」


 初季は男の背中を睨みつけ、拳を強く握り締める。


 流鏑馬の大会に出場するほとんどが武官であり、和泉の知人だ。武官意外にも腕に自信のある文官も参加するが大本は武官である。


 先程の男も武官であり、和泉の同僚なのだが、以前から初季に興味があるらしく五節の舞で初季を見初めてから頻繁に文を寄越すようになった。内容があまりにも気持ち悪いので返事を書かないで放置したらおかしな妄想を繰り広げた文が贈られるようになり、読むのも嫌なのでそのまま放置し続けたら堪忍袋の緒が切れたらしい。


 今回の流鏑馬で和泉より多く的を射ることができたら初季に御簾越しでよいから会わせろと勝負を持ちかけて来たのだ。


 最初は大事な妹を賭け事の品になど出来ないと断り続けていたのだが、あまりにもしつこい上に周囲が面白がりはやし立てるため、勝負を受けざるを得なくなった。


 実力的に和泉は負けない自信があったし、心配ないと思われた。が、一月ほど前に剣の稽古中に腕を傷めてしまった。相手は今更取り消しを認めず、和泉が出場できないのなら代役を立てろという話になり、初季が男に化けて出場する羽目になったのである。


「で、あの男、上手いの?」

「上手い」


 即答だった。


「まじかよ」


 そこまではっきり言われると不安になる。


「が、俺には及ばない」


 にやりと和泉が意地の悪そうな笑みを浮かべる。


「なら、私には遠く及ばないね」

「だが、かなり練習していたらしい」

「私はあの男より多く的に当たればいい」

 

 四番目の馬が出て行く。和泉と賭けをした男だ。


 馬が走り出し、徐々に速度を上げていく。疾走する馬の上で弓を構え、的を打ち抜く。的は全部で十五あり、男が打ち抜いたのは十二だ。なかなかの好成績である。


「くそっ~」

「よし! 有り金は頂くぜっ!」


 あちこちから雄叫びやら歓喜の声が聞こえてくる。


「賭け事をしてるのは私らだけじゃなさそうだね」

「色々やってるさ。ちなみに俺も別口で賭けてる」

「そうなの?」

「お前が一番になる、でかなり金を積んだ。頼むぞ」


 正面から両肩を掴まれ真剣な顔で言われ、初季は額に青筋を浮かべた。


「死ね」

「口が悪いぞ」

「やかましい。人に勝負を丸投げして自分は賭け事か! 儲けの半分は私が貰う」

「……妥協しよう」


 無言で意思を確認し合い、固く手を握り合う二人を兄妹だと思う者は周囲にはいなかった。


「もうすぐだな。乗れるか?」


 初季の順番が目前に迫る。

 青毛の馬に跨ろうと鐙に左足を掛ける。


 少し高いんだよね……踏み台が欲しい。


 馬に乗る時は乗りやすいように踏み台を使っているのだが、この場所には踏み台は用意されていない。そんな物がなくても乗れる人しかいないからだ。


 自力で跨るしかないか。

そう思っていると右足が浮き上がる。


「うおっ」

「よっと」


 和泉に足を掴まれ、下から足を押し上げられる形で馬に跨る。


 周囲から向けられる視線が少し恥ずかしいと思う初季だが、和泉は得意顔で笑う。

 和泉の人懐っこい笑顔には毒気を抜かれる。


「ありがと。兄様」


 差し出された弓矢を受け取り、緊張しながら順番を待つ。


「安心しろ」

「今度は何?」

「お前に弓で敵う奴を俺は知らない」


 まるで宣言するかの如く言い放たれた。その声は空気を裂き、周囲に響き渡る。

 声からも言葉からも初季に対しての自信が溢れていた。


「私の事、分かってるね」


 私が欲しい言葉を欲しい時にくれるのは国中探してもこの兄ただ一人だ。


 初季は深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。

 緊張もない。不安もない。

 最後まで集中して弓を引く。これだけだ。

 初季は優しく愛馬の背を撫でる。


「頼むよ、静馬」


 初季の言葉に応えるように愛馬である静馬が鼻を鳴らす。


「次!九番っ!」


 呼び出し係の声を合図に初季は馬を走らせた。



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