第2話 陰陽師の娘

「お怪我はありませんこと? 冬姫」

「本当に。最後の最後に。大丈夫ですか?」

「随分と痛そうな音がしましてよ?」


 扇で顔を隠しながら春、夏、秋の舞姫達が問い掛けてくる。笑いを押し殺しているのが丸分かりだ。


 舞を終えて舞姫達は控えの間へと集まっていた。

 既に自分の見せ場を終えていた他の舞姫達に大した迷惑はかけていないと思っている。


 むしろ、私が粗相をしたことによって他の舞姫が引き立ったと思う。感謝して欲しいものだ。まぁ、私が一人恥をかいただけだから笑ってられるんだよね。


 もしも他の姫にまで恥をかかせたとあっては怒り狂うだろう。主に彼女達を全力で押し上げた親類縁者達が。


 愉快だと言わんばかりに笑う彼女達の不興も漏れなく買っていたに違いない。


「無骨者には荷が重かったようですわ。皆さまのように蝶や花の如く、優雅であれたらどんなに良いか。これから届く文を片付けるので忙しくなりそうですわね」


 ふふっと微笑んで見せる。


「そんな……蝶や花のようだなんて。冬姫も頑張っていらしたわ」

「ええ、精一杯務めていらしたわ」

「今までで一番良かったですわよ」


お世辞だと分かっていても嬉しいのが女というものだ。まんざらではなさそうな声で口々に言う。


「ありがとうございます。皆さまのお心が温かいので、救われた気持ちですわ」


 穏やかな口調を繕って初季は言う。


「そういえば、今回の舞は兵部卿の宮様もいたしていたわね」

「近頃は体調が優れず床に伏していることが多いと聞いているけれど」

「何でも、誰かから恨みを買ったとか、物の怪の仕業だとか、色々な噂がありますわよね」

「いくら親王様でもそのような方に見初められたくありませんわよね」

「ええ、本当に。それに比べて、東宮の見目麗しいこと……」

「憧れますわよね……あぁ、一度でいいからあのような素敵な殿方から文を頂きたいものだわ」


 舞姫達は恍惚とした表情で溜息をつく。


 兵部卿とは官職で皇族が務めることが多い。今は現帝の第一子がこの役職に就いているため、兵部卿の宮様と呼ばれている。


 その兵部卿の宮がここ数年、病がちなのは有名な話だ。


 東宮とは時期帝になる者がそう呼ばれていて、今は現帝の第二子が東宮である。


 噂によると東宮はなんとも見目麗しい美丈夫だとか。五節の舞で噂の美丈夫とやらを拝むつもりでいたが、初季にそんな余裕はなかった。惜しい。


 そしてここにいる舞姫達は次期帝の有力な正室候補なのだ。


 おほほ、と微笑みながら今も扇を片手に互いの腹を探り合っている。


 怖すぎだ。


 勿論そんな血生臭い争いに参加するつもりは毛ほどもない。愛憎取り巻く後宮で生き抜く自信も帝の寵愛をものにする自信もない。


 初季は時折相づちを打ち、差障りのない会話に参加した。

そして舞姫達は呼ばれた順に控えの間を出て行く。


 これから行われる宴に参加するためだ。参加と言っても用意された部屋の御簾の中から楽や舞を楽しむだけだ。料理はお付の女房が運んでくれる。


 春の舞姫から順に呼ばれて出て行くので冬の舞姫である初季は最後だ。


「冬姫様、ご用意が整いました。こちらへ」

「いや、私は……」


 帰ります……と言いたい。が、それは体裁が悪い。


「実は先程派手に転んだ時に手足を傷めてしまって。大したことないんですけど、もう少し落ち着いてから参ります」

「まぁ、大変! すぐに手当てを」

「あぁ! 本当に大したことないので!」


 部屋を飛び出そうとする女房を引き留め、手当の必要がないことを説明する。

 ちなみに手も足も何ともないのだ。ただの仮病である。


「ではそのように伝えましょう」

「すみません、お願いします」


 女房が恭しく御簾から出て行く。廂を歩く足音が遠のいたことを確認すると初季は肩の力を抜いた。


「やっと、終わった……」


 どっと疲労が吹き出したかのようだ。身体が重い。


「早く帰りたい」


 疲れているのは五節の舞姫が重荷だったというだけではないのだ。


「本当に、何なのここ」


 初季は室内を浮遊する実態のない存在へと視線を向けた。白い球体のようなそれは時折、形を乱す。


「数多すぎ」


 白い球体の一つが人の女の顔を模して部屋から飛び出していった。


 実態のない浮遊物の正体は人魂だ。

 昔から初季は幽霊、妖の類を視ることができる。

 初季の母は藤原家の血筋で父は陰陽寮を統括する陰陽師だ。歴代随一と評される実力の持ち主でその才能を初季は受け継いでいる。 

  

兄はその手の才能はまるでなく、初季と違い物の怪の類は見えないし感じ取ることも出来ないため、初季は男でないことが悔やまれると言われ続けてきた。


 女の身では陰陽道を学ぶことは出来ない。

 身を守る手段として必要な術の手ほどきは受けたが。


「払う必要はないけど」


 多すぎ。


 どの霊魂からも禍々しい気を感じる。抱えている怨念が重い。



 大内裏に足を踏み入れてからのこの数日間でとんでもない数の人魂を視た。

 後宮付近なんか最悪だ。女の人魂の数が尋常じゃない。


 人魂の数がこの場所が血生臭い場所だという証拠だ。恐ろしい。

 こんな場所に来たがる人達の気が知れない。


「あぁ、帰りたい」


 さっさとここから退散したい。


 帝の周囲は無数の女の魂が常時ぶつかり合っているし、貴族の中にも背後に良からぬ者を背負っている者もいる。


 お前ら一体何をしたらこんな恨みを買うんだと聞いてやりたい。


積極的に視界に入れたいものでもないし、怨念の吹き溜まりのような場所に居たくない。



もう少しここに居よう。


几帳の側にある火桶に近寄り、暖を取る。

誰かが廂を歩く音が耳に入る。次第に近づいて来る足音に初季は身を固くして息を顰めるように几帳の陰に隠れた。


ど、どうしよう……?


女房なら良いが男だったらと思うと恐怖心が膨れ上がる。まさか御簾の中に押し入るようなことはないと思うが、人気のない所で乱暴されたという話は聞いたことがある。


もしそんなことされたら末代まで祟ってやる。


警戒しながら足音に耳を済ませていると部屋の前で足音が止まった。


まさか入って来る気じゃないだろうな……! 入って来る気じゃないだろうな……!

ばさっと御簾が大きく動く音がした。


まさかの入ってきちゃった!


動揺のあまり火桶に手をぶつける。


「いたっ!」


 火桶の縁にぶつけた指を擦る。火傷はしていないがぶつけた所が赤くなっていた。


「誰かいるのか?」


 男の声だ。そう思った瞬間血の気が引く。



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