第45話

 去っていくアーノルドを横目で確認するだけで追う素振りも見せず、かといってクレマンに攻撃を仕掛けるわけでもない。


『傀儡士』はアーノルド達が去っていくのを律儀に待っていた。


 その顔には薄らと笑みを浮かべながら。


 お互いが動かず、騎士達が生み出す喧騒もおさまり、クレマン達が巻き起こした粉塵も収まった静寂の場。


 それを先に破ったのはクレマンであった。


「ふむ。これで遠慮はいりませんね」


 クレマンは離れていったアーノルドを見て誰にもわからぬ程度に一息吐いた。


 恋煩いのようにあれほど会うことを切望した『傀儡士』を前にしてなお激情に駆られていた自らの心を鋼の精神で律していたが、それももはや限界だった。


 これ以上はアーノルドのことを本気で気にかけれないほどに。


(アーノルド様には申し訳ないことをしてしまいました。主人を差し置き主人のようなふるまいを。しかしここは私の命を賭けてでも譲れない。この決断には後悔はありません。こいつさえ殺せればこの世に未練などない。罰はしっかりとお受けします。たとえ私の命であろうと。・・・・・・いえ、欲を言えばアーノルド様の行く末を見届けたかったですね)


 クレマンが本気を出せばその余波がアーノルドを貫く可能性があった。


 いや、確実にアーノルドにダメージが通ることになる。


 理性を失ったように猛り狂っていたクレマンではあったがアーノルドに累がギリギリ及ばぬように必死に力を抑えていた。


 だから、クレマンはコルドーにアーノルドを連れて離れろと合図したのである。


 これ以上周りが見えなくなる前に。


「なんだい?今までは本気を出していなかったとでも言いたいのかな?あハハ、わかる、分かるよ分かるとも。君の全力は確かにあの程度ではないよね。君も魂に干渉出来るみたいだけど、人の魂の扱いにおいて僕よりも上手い者はこの世にはいない。(だから君の魂の格が見えているんだよ。その弱っちい魂がね)残念だけど君の魂の輝きには微塵も唆られないね。この男よりは上だけど・・・・・・僕のコレクションに比べたら、ね?『拳姫』エレナにも遠く及ばないな。彼女も弟子がこんな体たらくじゃあの世で悲しんでいるんじゃないの?アハハ、ああ、でも僕が君を使ってあげたら今よりはマシになるからね?彼女も君の成長を喜んでくれるよ!きっとね!さて、この体もいつまでも持ちそうにないしさっさとアーノルド君を追いたいんだ。だからすぐに終わらせてあげるよ。ああ、でも僕自身に傷を負わせられたのなんて数十年ぶり・・・・・・それもあの時の君のお師匠様にだったね。それ以来だよ。所詮かすり傷程度に過ぎないけど僕にダメージを与えたことは誇っていいよ?」


 あくまでもその態度は尊大で、傲慢で、横柄であり、その眼光は軽侮けいぶの色を浮かべていた。


 クレマンを敵などとは見做していない。


 ある玩具おもちゃで遊ぼうと探していたら、別の玩具おもちゃを見つけてついつい遊んでしまう・・・・・・その程度のものでしかなかった。


『傀儡士』は普段ダメージを喰らわないことから痛みに耐性がなく、魂に直接与えるダメージだったためにかなり痛がったそぶりを見せてはいたが、実際のところそれほどのダメージを負ったわけではなかった。


 感覚的にはコケて擦りむいた程度の傷。


 武人ならば普段の鍛錬で負うような傷。


 そんな傷をいくら喰らわせられても死ぬことはない。


 長年傷など負ったことがない『傀儡士』のあの行動は幼い子供がコケて泣き喚いているのと同じであった。


『傀儡士』はクレマンに恐怖など微塵も感じていない。


 コケされられた程度で威張られても滑稽であるだけであった。


 先に動いたのはもはや待ちきれないと怒気を体から滲ませていたクレマンである。


 アーノルドがいなくなったことでもはや遠慮は不要と、クレマンは『傀儡士』に殴りかかった。


「それにしても珍しいよね。剣でも魔法でもなく徒手なんだ?」


 クレマンの繰り出す拳打は腕から先が消えて見えるほど速く鋭いが、『傀儡士』も余裕の表情を浮かべながらクレマンの拳には触れないように体を逸らし全ての攻撃を避けていた。


 軽く見える攻撃であっても当たれば必殺の威力を持つ必滅の拳。


『傀儡士』が避けるたびに地形が変わる。


 避けられようともただひたすらに繰り返される拳打。


 その辺一帯がほんの数十秒で原型も留めないほど破壊されていた。


「おっと!」


 まるで今のは危なかったとばかりにわざとらしく大袈裟に避けた『傀儡士』は一旦クレマンから距離をとった。


 しかし嘲笑しようとでもしたのか薄く笑みを浮かべるも即座にクレマンに迫られ、息つく暇もないと顔をしかめて回避を余儀なくされた。


 木々は倒れ地面は抉れあらゆるところで地割れが起きていた。


 まるで爆弾が落ちたかと思うような衝撃波が何度も襲い、周辺の草木は見事に無くなっていた。


『傀儡士』は表面上は余裕そうな表情で攻撃を躱し、クレマンにも反撃を加えているが心の中では少し困惑の感情が浮かび上がっていた。


(どういうことだ?極限状態ならば1度や2度受け切れないはずの攻撃に対処出来ることはよくある。でも、それが数回、数十回ともなると偶然や限界を超えた程度では片付けられないな。相変わらず唆られるような魂ではないし———、まただ、いまの一撃、この男なら避けられないギリギリの攻撃だったはず。どういうことだ?)


『傀儡士』はクレマンを殺せる、いや、ギリギリ動けなくするような一撃を何度も放っていた。


 自身の嗜虐趣味を満たすためにクレマンの実力ならばギリギリ受け切れないはずの攻撃を。


 少し気をつけていれば避けれたのではないかと思わせれる程度の攻撃を。


 そしてクレマンに避けられるたびに少しずつ速度と威力を上げて。


「どう致しましたか?攻撃が当たらないのがそんなに不思議ですかな?」


 クレマンが心ここに在らずといった様子の『傀儡士』にそう問いかけると、『傀儡士』が大きくクレマンから離れ、クレマンもまた追うことがなかったため攻撃の応酬が止んだ。


『傀儡士』はクレマンの言葉に一瞬ムッと顔を顰めたが、すぐに息を吐きやれやれといった様子で首を横に振った。


 その顔には焦りは微塵もなく薄気味悪い笑みが張り付いていた。


「う〜ん、別にどうでもいいかな。どうせ自動回避とかそういった類のものでしょ?能力って自身の願望が形になるものだからね。君があの時僕の攻撃を自分で避けれていたなら彼女が僕の攻撃に当たることはなかった・・・・・・そういう願望の結果が今の君と考えれば不思議ではないよね。まぁでもそれも合っていようが間違っていようがどうでもいいかな。確かに自動で攻撃を回避するってのはめんどくさいけど所詮は避けられる攻撃なら、って条件付きでしょ?たしかに君の実力は僕が思っていた以上だったみたいだ。本当ならあの程度の攻撃だって避けられないはずなんだ。まさにその執念は称賛に値するよ。その程度の魂であれだけの威力の攻撃を、それを得られるくらいの研鑽を積んだんだからね。でも所詮僕にとってはその程度でしかない」


『傀儡士』は心底どうでもよさそうにため息を吐いた。


 確かに目の前の男はその程度の魂の輝きの割には本当によくやっている。


 実力以上の力をここぞというときに発揮する者はいるが、限界を1つも2つも超えるような者は見たことがなかった。


『傀儡士』はそんなクレマンの努力に、『傀儡士』への執念から得られた力に、心の底から称賛を送った。


 だが、それはあくまで上から賛しているだけ。


 敵と見做したわけではない。


 玩具にしては、なのである。


 ただ自身の傀儡に相応しいか、どれくらいのことができるのか。


 まだ自分の傀儡になっていないのにもかかわらず、飼う前に試乗をしているだけなのである。


 これはいい傀儡だ、と。


 クレマンもその『傀儡士』の考えは見抜いていた。


 見抜いた上で敢えて付き合っている。


 自身が敢えて魂の輝きに合った強さを演じているのだ。


『傀儡士』に自身の本当の強さがバレないように。


 最初からボロボロの体である傀儡で無理をして動いている『傀儡士』も流石にいまの傀儡の体で動くのは疲れてきた。


 いかに傀儡と化しているとはいえ、もう壊れているものを動かすのは面倒でもあった。


 目の前にある玩具で遊ぶのが疲れてきたならやることは一つ、


「それより、ねぇ、知ってる?この森にはね。けっっっっこう強〜い魔物がいるんだよ⁈流石に森の奥には近寄れないけど中核付近にもいい子たちがいるんだよ。アハハ、何が言いたいのかもうわかったかな?君の相手はそいつらにやってもらうよ。この体弱すぎて思うように動かないんだよね〜。全力を出しちゃうとこの体自体が崩壊しそうだし。君もその程度の魂の割には限界を超えて頑張ったようだけど生まれもった格の違いはいくら頑張っても超えられないんだよ?でもその努力には敬意を表するよ。僕を殺すためだけに限界を超えて超えて超えてそれほどまでの力を付けてくれたんだからね。敬意を表してあの子を追うのは君の死を見届けてからにしてあげる。どうだい?嬉しいかい?君が僕に興味を持ってくれた分くらいは返してあげるよ。君と違って僕は篤実とくじつだからね」


 その玩具で遊ぶのを終わらせることである。


 いわゆる“お片付け”である。


 体が思うように動かないのも全力を出すと崩壊するのも全ては自分自身が男の体を刺したことも原因の一つであるが『傀儡士』にとっては万全であろうがなかろうがその傀儡程度では誤差でしかなかった。


『傀儡士』が後ろに大きく飛び退くとクレマンの攻撃によって破壊された森の入り口の更に奥から数十数百にも及ぶ魔物達が木々を押し倒しながら押し寄せる音が聞こえてきた。


 そしてその中には文献の中でしか見れないような、1体街に現れるだけで尋常ではない被害をもたらした記録がある魔物の姿も見え、ただの人間が1人で相手に出来るような戦力ではなかった。


 そしてそれを従えているということは目の前の男がその魔物よりも強いということの証明でもあった。


「あハハ、君も本の中でくらい見たことがあるだろう?」


 そう言いながら『傀儡士』が撫でている魔物はその昔、一国の国民全てを一夜にして飲みほしたとも言われている蛇のようなとても大きな魔物である。


 片目だけで『傀儡士』が操っている野盗の男の5倍ほどあり、その尾の先端は森の奥のほうまで伸びており、胴体部も民家を丸々飲んでも全く問題ないほどの太さをしていた。


 また他の魔物達も1体出現したら緊急で討伐依頼が出されるような魔物が勢揃いしていた。


「ゴルディネスだよ!あのゴルディネス!知らない?知ってるよね⁈暇つぶしに森の奥深くに潜っていたときにこいつの縄張りにでも入ったのか突然襲ってきてね。久々にワクワクしちゃったよ♪これほどの大物は滅多にお目にかかれないからね。流石に僕の支配下に置くのもそこそこ時間がかかったけど、どうだい?喜んでくれてるかい?君に見せてあげるのも僕なりの敬意というやつだよ。感謝に咽び泣いてくれてもいいんだぜ?」


『傀儡士』は演技がかった口調で楽しげに口元に笑みを浮かべはしゃいでいた。


 その瞳にはもはやクレマンなど映っていなかった。


 新しい玩具に夢中の子供そのものであった。


 ゴルディネスはかなり大きくそんな巨体で普段どうやって森の中で過ごしているのかと思うが、ゴルディネスは普段透明化しており獲物を取るときだけ実体化する魔物なのである。


 ゴルディネスは食べれば食べるほど大きく強くなる魔物でおそらくここにいるゴルディネスは国を滅ぼしたと言われているゴルディネスよりは小さいが、それでもこの森の中域に生息している屈強な魔物達を餌としているためその強さは言うまでもないだろう。


『傀儡士』は自分のコレクション自慢に満足したのか最後の“お片付け”をするかのようにクレマンに向き直った。


「それじゃあ。神様を信じない君にあの世があるのかは知らないけれど、彼女にもよろしく伝えといてくれよ。君も僕のものにしたかったとね。ああ、君のことも僕が使ってあげるから心配しないでくれ」


『傀儡士』が不敵な笑みを浮かべるとそれまで待機していた魔物達が一斉にクレマンに向かって走り出してきた。


 その言葉を聞いてもまったく感情を見せないクレマンは『傀儡士』に聞かせるわけでもなくただただ1人で話し始めた。


 迫りくる魔物など眼中にもなかった。


「あなたの間違いを3つ正しましょう。一つ目、私は自動回避などといったチンケな能力など使っておりません。その程度の見極めすらできないとは余程他人任せな人生を送ってきたのですね。2つ目、あなたはわたしの魂の輝きを見たとおっしゃいましたが、残念ながらあなた如きでは私の魂を測ることなど叶いません。この私が貴方相手にそんな油断するはずなどないでしょう。そして3つ目、私は未だに技と呼べるものなど一つたりとも使っておりません。評価するならばそれを見てからして欲しいものですな」


 クレマンはその場を動くこともなく、自身のこれまでの人生を振り返り、終わりが近づくことに喜びとともに哀愁のようなものを感じ始めていた。


 もはや『傀儡士』を逃すことはありえぬ。


 やっと自身の人生に終止符が打てると。


 そして『傀儡士』を屠ることでどこか師匠エレナがクレマンの心の中から消えるような気がして寂しさと悲しさを感じていた。


 だが、止まれない。


 止まれるはずがない。


「貴方の攻撃が当たらないのは簡単なことです。私は微塵たりとも本気など出してはいないのですから。たかが少し威力を強めた攻撃など何の違いもありませんよ」


 感情を表に出すことなくただ淡々とクレマンは『傀儡士』が勘違いしている真実を述べていった。


 そうこうしていると魔物達が鳴き声や咆哮を上げながらクレマンに迫ってきた。


 その咆哮を聞いて初めてクレマンは迫りくる魔物達にほんの少し注意を向けた。


「五月蝿いですね。魔物風情が身の程を弁えなさい。いま、この場で、何人たりとも私の邪魔をすることなど、許しません」


 クレマンのものとは思えぬほど低く鋭い声が発せられた。


 その瞬間まるで世界が崩壊したかのような無慈悲で暴虐な殺意の波動が放射された。


 もはや攻撃にも匹敵するほどの圧倒的な殺意の圧が。


 アーノルドがいたときに放った比ではない、正真正銘クレマンが今の魂で出せる全力の殺気である。


 世界を震撼させたりえるほどの殺気。


 大地は崩れ、草は散り、砂もそして音すらも消し去った。


 ある魔物は蒸発したように吹き飛び、ある魔物は痙攣して気絶し、ある魔物は硬直して動けなくなった。


 例外なく全ての魔物がたったそれだけで動きを止めた。


 指一本動かすこともなくそれは為されたのである。


 そして『傀儡士』もありもしない攻撃を幻視したかのように咄嗟に腕を前に出し攻撃に備えてしまった。


『傀儡士』は思わずごくりと唾を飲んだ。


 無意識にガードするほどクレマンの殺気に臆した『傀儡士』ではあったがその臆した事実を認識できていなかった。


『傀儡士』にはそれよりも大事なことがあった。


 先ほどまでの喧騒が嘘かのような風音一つない無音の空間、だがその静寂は『傀儡士』の癇癪を起こしたような声で破られた。


「ありえない。こんなに弱いなんてありえない。お前如きの殺気だけで動きを止めてしまうだって⁈ありえない。そんなことはありえないよ!ゴルディネス、何をしている、いけ‼︎お前の実力はその程度ではないはずだろ⁈」


 まるで駄々をこねる子供のように大声を張り上げた。


『傀儡士』はお気に入りの玩具がこんな雑魚相手に負けて壊されてしまうのではないかと焦っていた。


『傀儡士』の叫び声を聞いたゴルディネスはクレマンに向かって自身を奮い立たせるように威嚇の声を上げた後に突っ込んできた。


 他の魔物達はクレマンに怯んでしまいまだ動けなかった。


 ゴルディネスの威嚇の声も並の者ならば動けないほどの恐怖に晒されるが、クレマンの凄絶たる殺気の後ではまるで子供が怒っている程度にしか感じなかった。


(せっかく手に入れた超弩級のレア物だぞ?まだ初のお披露目なんだぞ?あんな雑魚の殺気に当てられた程度で何もできず終わるなんてありえない!さぁやっつけろ!お前の真の実力を見せてくれ!)


 クレマンが殺気だけでゴルディネスの動きを止めたことなど『傀儡士』にとってはどうでもよかった。


 ただただお気に入りの玩具を戦わせたら負けそうになり焦っている子供でしかない。


 ゴルディネスの初めての試運転のつもりで絶対に勝てる相手を選んだはずだった。


 だが、ゴルディネスはこんなにも弱いのかと。


『傀儡士』にとって魂を見れば相手の実力や伸び代などだいたいわかるものである。


 だからこそ自身が一度見たクレマンの魂の実力と現実との実力の差異を疑うことなどしない。


 少しの違いなら誤差として処理される。


『傀儡士』にとってクレマンはもう評価済み。


 疑う余地などなく自らを脅かす者ではないという意識がこびりついている。


 それゆえ自身が臆したということにすら重きを置かずスルーできる。


 そしてクレマンとゴルディネスの魂の格もゴルディネスの方が


 だから、クレマンが強いのではなくゴルディネスが弱くなっているという風に思うのだ。


(なんで、なんであんなに弱くなっているんだよ‼︎僕と戦った傷がまだ癒えていないのか?それでもこの程度のやつ相手に負けるはずないだろう?)


 内心動揺しまくっている『傀儡士』に対して、迫りくるゴルディネスを前に静かに立っているクレマンは微塵も焦りなど浮かべていなかった。


「この程度の魔物で私を殺ろうなど・・・・・・、見込み違いも甚だしい」


『傀儡士』にも聞こえないくらいの声量で忌々しそうにクレマンがそう告げるとゴルディネスを含め数百匹はいた魔物全ての首が一瞬で刎ね飛ばされた。


 数多の魔物の首が宙を舞い、倒れていく様子を唖然とした表情で『傀儡士』は見つめていた。


「っ⁉︎」


 その光景を口を開けて時が止まったかのように動きを止めていた『傀儡士』が少し遅れて言葉にもならない驚愕の声を初めて上げた。


 さっきまでの遊びの中の驚愕などではなく本当の意味での驚愕の表情を浮かべたのである。


『傀儡士』はクレマンの死に様を見るために一度たりとも目を離していなかった。


(あの男は間違いなく動いていなかった。・・・・・・ということは、まさかこの場に伏兵がいるのか⁈)


 ゴルディネスと遭遇したとき、ほんの少しではあるが従えるのに苦労したゴルディネスすら一撃で屠り去られた。


 ゴルディネスの表皮は相当な硬度である。


 クレマン程度の魂の格では傷など付けることなどできない。


 そして何より魔物達は明らかに斬り殺されていたような綺麗な断面であったがクレマンは素手である。


 そのことから『傀儡士』はクレマンの攻撃と見せかけて別の誰かが潜んでいるのだと思い、辺りを見渡すためにクレマンから目を離し無意識に回避行動を取っていた。


 今までありとあらゆる他者の魂を読み取り、そこから結びつけた相手の力量測定に自信があるからこそ一度弱者認定をしたクレマンがやったなどとは微塵も思っていなかった。


 だが、クレマンとの戦闘の余波で辺り一帯に身を隠すような場所は存在しない。


(僕にも気配を探れないとは相当の実力者が隠れているな?どこだ?ッチ、最初の攻撃もそいつの攻撃か?まずいな、この体じゃ明らかに分が悪い。一度撤退するべきかな?)


 もはやクレマンのことなど頭にはなかった。


 緊急事態に直面したときに玩具のことなどわざわざ考えない。


 だが、それが命取りになった。


「——よそ見をするとはつれないですね?」


 回避行動をとってクレマンから意識が離れた一瞬の間に接近された。


 反射的に振り返るもクレマンの攻撃の方が速く、『傀儡士』の左腕がバッサリと斬り落とされた。


 日常の中の動作のように軽く振った手刀によって。


「ぐ、ああああああああああぁぁぁぁ」


『傀儡士』の大絶叫が響き渡った。


「戦闘中に相手から目を離し、注意を逸らすなど三流も三流。慢心、過信、傲慢、驕慢、それらは戦闘において最も必要のないものです。自身が強くなればなるほどそれらを心に宿し他者を見下すことに快楽を覚える馬鹿が増えますね。貴様のように。自らよりも格下の者しか甚振らず成長を止めた愚図が強者として振る舞うなど、滑稽でしかない」


 クレマンは少し言葉が荒々しくなっていた。


(そしてこの程度の者に遅れを取った私は、私は本当になんと愚かだったのか・・・・・・。もっと真面目に鍛錬をしていれば違ったのでしょうか・・・・・・。いえ・・・・・・、仮定の話などに意味はありませんね)


 クレマンが感傷に浸っている間に『傀儡士』はなんとか逃げようと地面を這っていた。


(クソ!こんな雑魚にも対応できないなんて本当にこいつ弱すぎるだろ!こんなことになるならこんな玩具で来なかったのに!とりあえず繋がりを解除すれば・・・・・・、なんでだ?なんで繋がりを解除できない⁈これも隠れているやつがやったのか?誰に攻撃されているかもわからないまま、こんな雑魚にやられる?いやだ、いやだ、そんなことは認めない!認められない!僕は神様に認められた使徒だぞ!こんな雑魚にやられてたまるか!)


『傀儡士』のプライドは山より高い。


 強敵に負けるならばまだいい、だが、雑魚相手に負けるなど自らの格が落ちると、それは認められないと心が訴えかけていた。


 そんなことはあってはならないと。


 そんな不条理は許さないと。


 それがたとえのだとしても。


『傀儡士』が操る玩具の強さは元の人間の強さに依存する。


 だがほとんどの人間が無意識にセーブしている力まで引き出す事ができるので『傀儡士』自身が操作すると元の人間よりもだいぶ強くなる。


 そのため未だにクレマンが強く見えるのも自身が操る傀儡の実力が弱いからだという図式が成り立っていた。


「逃げれるとお思いですか?」


 片腕がなく虫のように這って逃げる『傀儡士』に後ろから声をかけ、蔑むような笑みを浮かべながら両足も斬り落とした。


 静かな荒廃とした地にまたもや大絶叫が響き渡った。


 いままでクレマンは遊びをしていた『傀儡士』に付き合っていただけ。


『傀儡士』が遊びをやめたのなら、もはや相手を傷つけないようにという配慮など不要であった。


 ここからが本番であり終幕フィナーレである。


(そういえばなんでこいつの攻撃でダメージを喰らっているんだ・・・・・・?)


『傀儡士』はやっとクレマンに攻撃されたことで魂にダメージを負っている事実に気がついた。


『傀儡士』が喰らった1番最初の攻撃に関して、最初はクレマンがやったものだと思っていたが、のちにあの攻撃も伏兵による攻撃だと『傀儡士』の中では自己完結していた。


 だが、やっとクレマンに対する疑問を持つようになった。


 もし『傀儡士』の考えるようにクレマンではない他の者が『傀儡士』に攻撃しているのならクレマンの攻撃によって負うダメージは所詮は傀儡のダメージにしかならないはずなのだ。


 本体である『傀儡士』の魂がダメージを負うはずがない。


(精神系の術はこいつの仕業か?それなら・・・・・・。いや最初の攻撃はこいつじゃない。あれはこいつができるような攻撃じゃない。なら、こいつに注意を向けさせておいて本命が仕掛けてくるってことか?)


 最初の攻撃がクレマンではないと思っている理由はクレマンを視界に収めていたにもかかわらず全くその攻撃が見えなかったからである。


 もしその攻撃がクレマンによるものならば自分が見逃すはずはないという自信。


 クレマン程度がそんな攻撃を撃てるはずがないとまだクレマンのことを軽視していた。


(・・・・・・これは無理だな。隠れているやつの気配が全く探れない。それに繋がりも絶てない。その上傀儡はこの雑魚だけ。これはどうしようもないかな?)


 そしていまだに探れない隠れているはずの者の気配。


 だが、それは当然である。


 隠れている者など存在しないのだから。


「貴方は武人ですらないですね。今まで人形を操るだけで自身は傷つかない安全地帯にいた貴方はよほど痛みに耐性がないみたいですね。・・・・・・貴方の悲鳴を聞ければ少しはこの心の枷も軽くなるかと思いましたが、変わりませんね」


 クレマンは虫ケラを見るような冷たい目で『傀儡士』を見下ろしていた。


「・・・・・・なるほどね。確かに今回は僕の負けみたいだ。舐めていたよ。人間とはこれほどまでに限界を超えれるんだね。次のためにいい勉強になったよ」


『傀儡士』は冷や汗を浮かべ息を乱しながらも余裕のある笑みを崩しはしなかった。


 雑魚相手には苦しむ表情1つすら見せないというくだらないプライドである。


 お前に負けたわけではないと。


 だが、『傀儡士』はあくまで隠れている者には気づいていないような発言をした。


 その方が『傀儡士』には都合がいい。


 だが、口に出した言葉も本心からの称賛ではあった。


 その言葉に満足したようにクレマンが笑みを浮かべた。


「貴方を殺すためにわざわざそのためだけに強さを手に入れたのです。受け取っていただきありがとうございます」


 クレマンは恭しく一礼をした。


 その姿は優美であるが、戦場でするには似つかわしくなく、ものすごく隙のある姿に見えた。


(馬鹿め!腕も足も斬り落として慢心したな⁈行け‼︎)


 たとえ雑魚だとしても自らにダメージを与えられるかもしれない存在を放置しておく気はない。


 たとえやられるのだとしてもクレマンだけでも今回は道連れにしようと思ったのである。


 ただの八つ当たりも込めて。


 そんな『傀儡士』にとって目の前のクレマンの姿は殺ってくれと言わんばかりだった。


 人は勝ったと思ったときに油断する。


 それをまさしく体現したかのような姿であるとほくそ笑んだ。


『傀儡士』は腕や足を操りクレマンに攻撃を繰り出した。


 所詮この男の体は傀儡。


 たとえ手足が切り落とされようとも『傀儡士』の支配下にあるのは変わりない。


 死角からの意識外の攻撃。


 集中力が欠けていたため精細を欠いた攻撃ではあったが並の者であれば容易く殺せる威力をもっていた。


 だが、その瞬間『傀儡士』は垣間見た。


 垣間見てしまった。


 クレマンの魂の真の輝きを。


 自ら封じることをやめ、全力を出したクレマンの魂を。


 目も開けられぬほどの眩さを。


 絶望的なまでの自身との格の違いを。


「貴方はあれ以来傷つかないようにと格下ばかり相手にしてきたのではないですか?その怠惰、怠慢が貴方自身を殺すのです。貴方の前で隙など見せるはずがないでしょう?言ったでしょう、慢心、過信、傲慢、驕慢、それらは必要のないものだと。それに格上の隙と思える姿は弱者相手には隙ではないのですよ。ただ貴方が弱いから隙に見えるだけなのです。貴方は生まれもった格の違いは越えられないとおっしゃいましたね。その通りです。貴方如きの格では私を超えることなど到底出来ないのです。そしてあなたは次などと言っていましたがあなたに次などありませんよ」


 クレマンは『傀儡士』の攻撃を視線を向けることもなくその腕と足を目にも止まらぬ速さでただの肉片にした。


 クレマンの魂の輝きを直視し声すら出せなかった『傀儡士』はクレマンから目が離せなかったにもかかわらず、ずっと見ていたにもかかわらず何をやったのかすらわからなかった。


 これまでにないほどの冷たい目で睨みつけられた『傀儡士』はクレマンの目が光の加減で赤く輝いているように見えて、さながら悪魔のように思えた。


 自身を地獄へと突き落とす、逃げようのない悪魔に。


「ば、・・・・・・ばっ、ば、馬鹿な、あ、りえない。お前が‼︎お前が全てやっていたというのか⁈だって、お前の魂は、・・・・・・ありえない。ありえないだろう⁉︎ 自分の魂を、いじくる?狂人、こ、この化け物め‼︎」


 クレマンの魂を見てから畏懼いくしていた『傀儡士』は言葉すらまともに話せなくなるほどの実力差を見てしまった。


 たとえ、どれだけ上に立とうがその更に上などどこかにはいる。


 頂点にいる者はただ1人だけ。


 そんな当たり前のことを忘れて強者を気取っていた『傀儡士』の姿は滑稽であった。


 クレマンが生涯をかけて至った境地。


 それは自身の能力に慢心し怠惰に過ごしていた者がどうにかできるほど生易しいものではなかった。


『傀儡士』も心の底から気づいてしまった。


 クレマンは自身が敵うような相手ではないと。


 魂で物事を測る『傀儡士』にとってそれは絶対的なことである。


 弱い魂の持ち主ならば負けることなんてありえない。


 同格の魂の持ち主ならば万全を期して自らが負けないようにした上で挑むか逃げてしまう。


 そして格上と分かっている相手ならばそもそも挑んだりしないのである。


 格上相手に勝てる道理などないのだから。


 いや、実際には格上相手にも勝てることはある。


 自らの限界を戦いの中で越えることだ。


 だが、『傀儡士』は見えるからこそ諦めが早い。


『傀儡士』は言ってしまえば戦闘への心構えなどなく、圧倒的な格上相手には極端に精神が弱くなる。


「ふむ。貴方に何を言われようと何も響かないだろうと思っていましたが、・・・・・・いささか不愉快ですね。人を玩具扱いするような外道に化け物呼ばわりされるのがこれほど不愉快であるとは知りませんでした。貴方より弱い者は玩具と呼び、強い者は化け物ですか。便利なものですね。よほど世の中が自分を中心に回っていると思っているようで。相変わらず反吐が出ますね」


 もはや勝負は決しているがクレマンは油断などしていない。


 ただすぐに殺さないのは感傷に浸っているのである。


 無意味な仮定を思い浮かべながら。


「な、なぜそこまでして実力を隠していたんだい?それほどの力があればすぐにでも殺せただろう?それこそ慢心なん——」


 どうにか自らの活路を切り開こうと頭をフル回転させてとにかくクレマンに話しかけていた。


 だが、『傀儡士』は引き攣った笑みを浮かべることとなった。


「一つには私の力があの時より上がっているように貴方の力もあの時よりも強くなっている可能性があったからです。自らの戦力を隠すなど当然のことでしょう。それは慢心ではなく余裕をもつということです。貴方には理解できないことかもしれませんね。そして二つ目、貴様をただ殺すだけなど許せるはずもなし。人が最も絶望を感じるときとは何かをずっと考えてました。どうすれば貴方が絶望を感じ死んでくれるかと。私はそればかりを考え考え考えましたが・・・・・・、結局答えは出ませんでした。月並みですが、やはり絶望を感じるのは自らが優勢であることに疑いを持っていないときにその優勢が偽りであったと知ったとき。もしくは絶望の中の一筋の希望を見つけたその希望こそが絶望へと繋がっていたとき。そんなものを採用してみました。貴方は自分の実力に絶対の自信を持っていますよね?たとえその場で負けたとしても失うのは傀儡だけ。たとえそこで負けたとしても更に強い傀儡を送ればいいだけ。そして過去の貴方の言動からあなたのプライドは相当高いものだと思いました。そして臆病者のくせに自分よりも弱者に対してはその残虐性を隠すことなく披露する。その悪癖が貴様を死へと誘うようにと考えた結果、貴方には弱者であると偽るべきだと思いました。貴方は強者相手にはすぐに逃げますよね?勝てそうな相手しか戦わない。本来であるならば師匠も貴方如きの相手にはならなかった。だからこそあのとき貴様は私を標的にしたのでしょうね。だから貴方に対しては弱者を演じ、逃がさないようにした上で圧倒的な力でねじ伏せる。貴方如きでは逆立ちしようが敵わないとわかったとき貴方がどのような顔をしてくれるのか何十年も考えていましたよ」


 クレマンの声色は努めて普通であるのに『傀儡士』にとっては命を刈り取りに来る死神の足音のように聞こえていた。


 鼓動が早くなり自身の体でもないにもかかわらず体が震え始めた。


 魂が恐怖に震えているのである。


 目の前の魂を刈り取る死神を前にして逃げられないと悟って。


 だが、『傀儡士』の性なのか、ただの自尊心なのか、決して余裕のある態度は崩さなかった。


「あはは、それだけ想われていたなんて光栄だな〜、っ‼︎」


『傀儡士』は薄らと引き攣った笑みを浮かべてそう言ったが、その最中にクレマンが取り出した短剣を見て頬をわかりやすく引き攣らせた。


 その短剣は『傀儡士』にはもはや短剣などには見えず『呪』の塊であった。


 万斛ばんこくの恨みが込められているその短剣を見ているだけで情緒が不安定になり冷や汗が止まらなかった。


 先ほどまでの平静を偽った表情など微塵も出来ていなかった。


 なまじその眼には本質が見えてしまうからこそ、それを見ていると吐き気が止まらない。


「敵わぬとわかった瞬間おもねるとは。少しはプライドというものをもってはいかがですか?そこらのいぬではないのですから。ところで、この短剣に見覚えはありますかな?これは私が初めて師匠に頂いた思い出の短剣です。そしてあなたが師匠を刺した短剣でもあります」


 クレマンはとても大事なものを扱うように短剣の腹を撫でた。


 だが、『傀儡士』はそれどころではなかった。


 凄まじい『呪』と『怨』が込められた短剣を見ているだけでも『傀儡士』は脳を直接ぐちゃぐちゃにされているような自ら死を望むほどの苦痛を味わっていた。


 それほどまでに凄まじい怨念がその短剣には込められていた。


(これは・・・・・・無理だね。ここで奥の手を使ったところでゴルディネスを瞬殺できる実力なら時間稼ぎにもならないか・・・・・・。少し惜しいけど、仕方ないね)


『傀儡士』は魂が肉体から出ることはできないが精神が死なないように肉体と切り離していた。


 精神が死なない限り魂が死のうとがある。


「それでは、さようなら。貴方の言う神とやらが救ってくれることをお祈りするといい」


 クレマンは暫くもがき苦しむ男を凝視した後に目にも止まらぬ速さで男の首を刎ねた。


 その刎ね飛ばした首を懐疑的に数秒間見つめた後、クレマンは自身の服についた砂を払い落とし乱れた髪を整えたあとアーノルド達が避難した方へと向かっていった。


 そしてその瞬間クレマンが詠唱することなく放った魔法によってその場にあった全ての魔物達の死骸が炎に包まれて灰燼に帰した。


 その灰はまるで誰かを弔うかのように天高く昇っていった。

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