第44話

「さっさと死ねぇ‼︎クソガキ‼︎」


 男はニヤリと勝ち気な笑みを浮かべ大地を踏み込んだ。


 これまでとは段違いの速さでアーノルドへと迫ってきた男はその速さに反応できていないアーノルドを見て勝利の笑みを深めた。


 しかし剣を振りかざしたその瞬間アーノルドの瞳がジロっと男を追った。


 その瞳に一瞬怯んだ男であったが、その程度で退くような小さな心を持っていなかった。


「ッ‼︎だが、俺の方がはや——ゴハッ・・・・・・‼︎」


 男の攻撃は当たらなかった。


 男が突然背後からの衝撃を受けて勢いよく顔から地面に突っ込むこととなったからだ。


(っ‼︎ なんだ⁈ 今何が起きやがった?)


 ガバッと即座に顔を上げた男は突然地面に倒れたことで混乱状態であったが、心よりも先に体が反応し迫りくるアーノルドの攻撃を地を転がりながら躱して即座に起き上がった。


 だが、立ったまでは良かったがグワングワンと視界は揺れて、そのままバランスを取れず片膝をついた。


(クソ‼︎頭をやられたのか⁈だがどうやって⁈あのガキは前にいたはずだ。あいつらが加勢したのか?)


 男はフラつく体を何とか制御してアーノルドと距離を空けるように適当に後ろへと大きくジャンプした。


 そして痛みのある部分を左手で押さえると、その触れた部分、手の平に液体のようなものが触れた。


 一瞬血かと思った男であったがすぐに違うとわかった。


(なんだこれ?・・・・・・水か? ッ‼︎ あのとき放った魔法か⁈ バカな、ありえねぇだろ!こんなガキが『体外操作リファフォガン』を扱えるというのか?いや、ねぇ!そんなことあってたまるか!)


 この世界において一般的であるエーテルによる攻撃、マナによる魔法。


 一般的にこれらを扱う難易度というのは体から離れれば離れるほど、規模が大きくなればなるほど難しくなると言っていい。


 騎士級ナイトが扱う身体強化のようなものは常に体に纏って使っているものである。


 これはエーテルの使い方としては初歩中の初歩、最も簡単と言ってもいい。


 体からエーテルを放出する必要もなく血液が体を巡るかのようにエーテルを体中に巡らせればいいからだ。


 だが、大騎士級マスターの者なら使えるような、エーテルを凝縮し体から切り離して斬撃として飛ばす基本技『オーラブレイド』になると途端に難しくなり扱える者が少なくなる。


 魔法も同じで、規模の小さいものや近くで発動できるものほど簡単であり、遠くで発動したり、一度に発動する魔法の数を増やしたり、放った後にどういうことが起こるのか追加していくほど難しくなっていく。


 それらは基本的に魔法を放つ前段階でプログラムされるもので、放った後には基本的に術者本人の意志とは切り離される。


 よって激しく動く戦闘中に魔法を当てるのは相手が強ければ強いほど難しくなっていく。


 一流の騎士ならば魔法が放たれてから避けるなど造作もない。


 それゆえ、魔法師は騎士ほど人気がない。


 戦いという場面において魔法師と騎士が戦った場合、魔法師は接近戦ではかなり不利な戦いを強いられるからだ。


 もちろんメリットもあるが基本的に守ってもらう仲間ありきの存在が魔法師とされている。


 それゆえダンケルノの騎士の中で魔法のみを修めているような者はほぼいない。


 だが、魔法師の中でも1人で戦える優れた者達はいる。


 そういう者達は例外なく放った後の魔法であろうと自在に操ることができ、一度に数多の魔法を同時に扱う事ができる。


 それこそが『体外操作リファフォガン』と呼ばれる技術である。


 騎士が剣を自由自在に扱うように変幻自在に魔法を扱い、騎士とは違って同時に何十もの魔法を同時に扱う者もいるため、世界一の魔法師を目指す者はそういう領域に至ることを目標としている。


 だがそのような領域にたどり着けるものなど世界でも一握りである。


体外操作リファフォガン』ですら扱える者はそれほど多くない。


体外操作リファフォガン』を使えなければ敵わないようなかなり強い騎士を相手にする機会などそうそうない。


 ほとんどの者は学院での訓練であったり卒業してから戦った際に、『体外操作リファフォガン』を使えなくとも通用してしまうため本気で習得を望むものは少ない。


 深く深くのめり込むほど熱望しない者に力が宿ることはない。


 ——「いい?『体外操作リファフォガン』は魔法を戦闘に組み込むのなら基本中の基本の技よ。これが使えるのと使えないのとでは戦闘における自由度も大分違ってくるわ。そうね、イメージとしては魔法を増やすたびに脳を何個も用意してそれぞれに別々のことをさせればいいわ。魔法を発動するたびにそれを操作する専用の脳を作ってあげるの。魔法はね、浮気することを許さないの。他のことをしようと思えば思うほどそれに反比例するように一気に扱いが難しくなるの。だからね、頭の中でちゃんと分けてあげなさい。それが魔法師として戦えるようになるということよ」


 アーノルドはマードリーの言葉を思い出していた。


(最初に脳を増やせなどと言われたときは全く意味がわからなかったが、感覚としては同時通訳やピアノのように手足を別々に動かすような感じか。まぁ難易度は段違いだが。まだ魔法一つを扱うのがやっとだが、確かに役に立ったな。ただ放つだけの魔法なんて至近距離だろうと避けられ意味などなかったな。フッ、マードリーには礼を言わなくてはな)


 魔法を教えているのはマードリーであるため簡単なものから教えるようなことはしなかった。


 習得難易度など考慮されておらず、ひたすら実戦に使えることを教えている。


 なのでアーノルドにとって『体外操作リファフォガン』は皆がまず習う基本中の基本と本当に思っている。


 だが、アーノルドにとっても『体外操作リファフォガン』はまだ簡単に使えるものではない。


 かなり無理をしなければ使えないため脳へのダメージも大きい。


 今のアーノルドには男を追撃する余裕はなく脳がある程度回復するのを待っている状態であった。


 だが、アーノルドは男が回復しきる前に動き出した。


 男の視界も完璧には戻ってはいないがアーノルドが動き出した気配を感じ取り歯を食いしばりながら迎撃の体勢をとった。


 長年の経験は視覚を少し奪い取られたくらいでは衰えなかった。


「舐めるなクソガキ‼︎この程度で、俺を殺れると思うな‼︎」


 男はフラフラと重心が安定しないながらもアーノルドの攻撃を上手いこと捌いていた。


 だが、突然アーノルドの攻撃が少しずつ速くなった。


 それにより鍔迫り合いの最中男の腕に切り傷程度であるが一撃入った。


(なんだと⁈ッチ‼︎まだ速度が上がるだと⁈だが、こっちもだいぶ脳へのダメージが回復してきた‼︎まだだ‼︎まだッ⁉︎)


 男はまだ諦めていなかった。


 諦める理由などない。


 生ある限りどれだけ追い詰められようと足掻いてきたからこそ今まで生き残ってこれた。


 だからこそ今回も諦めない。


 だが、その足掻きを嘲笑うかのように男は地面にあった小石に躓きバランスを崩した。


 極限状態の中でのミス。


 普段ならありえないミス。


 予想外の出来事に男はまるでスローモーションのようにアーノルドの剣が自身の胸へと近づいてくるのを見ていることしかできなかった。


「・・・・・・クソ・・・・・・最後の最後についてねぇ」


 男は血を吐きながら自身の胸に深々と刺された剣を見てこれまでかと勝負の終わりを悟った。


 これ以上足掻く気力も体力ももはやなかった。


 急速に血の気が引いていく感覚があり体に力が入らなくなっていった。


 だが、男の口元にはやりきったという清々しい笑みが浮かんでいた。


「・・・・・・」


 アーノルドは剣を引き抜き何の言葉をかけることもなく、男の顔から血の気が引いていき膝から崩れ落ちるのをただ見ていた。


「・・・・・・ッチ。こりゃもう逃げられねぇな。ハハ・・・・・・、これまでの人生・・・・・・運は良い方だったんだが・・・・・・ここに来て・・・・・・ハズレを引いたか」


 男は乾いた笑みを浮かべて、口から血を吐いた。


 それまでただ見ていただけだったアーノルドが表情を険しくし、どこか哀しげな瞳をしながら口を開いた。


「運か・・・・・・。そんなあるかもないかもわからん不確かなものに縋っている時点で貴様の命運などとうに尽きていたのだろうよ。自分の思い通りにならなかった結果を運が悪かったなどという言葉だけで片付けるのはただ努力をしてこなかった馬鹿の言い分だ。私が貴様に勝ったのもただ運が良かっただけなどではなく、貴様が努力を怠り、私が努力をしたに過ぎない。貴様がしっかりと訓練を積み、あらゆる攻撃の可能性を考えて備えていれば今頃倒れているのは私であったであろう。戦闘が始まる前に貴様がしっかりと情報を集めていれば貴様は戦いなど選ばず今頃どこかで生き延びれていただろう。それは運などではなく貴様の努力次第でどうにかなった問題だ」


 アーノルドはこの結果を運などではないと言い切った。


 たしかにどれだけ努力しようがどうにもならないことは世の中にはある。


 だが、今回のこの男の行動の結果は断じて運などではないと。


 アーノルドは運という言葉が嫌いだ。


 そんな不確かなもので自身の人生を決められてたまるかと。


 自身の前の人生の結果は運などではなかった。


 ただ自分が未熟で愚かで度し難いほどの無知蒙昧であっただけだ。


 その結果は必然であり運などではない。


 だからこそ今世では人事を尽くしている。


 人事を尽くして天命を待つという言葉があるが、アーノルドは天命を待つつもりなどない。


 人事を尽くしたならばあとは自ら掴み取るだけ。


 そこに運など絡める必要などない。


 運などという訳のわからぬ曖昧なものに自らの努力を消し去られてたまるかと。


 だから運などという言葉は嫌いだ。


「フッ、違いねぇ。言いたいこともあるにはあるがこの世で勝者の言い分ほど正しいものはねぇ・・・・・・。勝っている限りはそいつの言い分が正しいと証明されてんだからな。敗者が何を言おうがなんの道理も生まれやしねぇ・・・・・・。ああ・・・・・・、神も仏も信じられやしねぇ世の中で運だけは俺の味方だと信じていたんだがな・・・・・・。ゴフッ・・・・・・‼︎」


 男は口から血を流したまま不敵な笑みを浮かべていたが、再び吐血し天を仰いだ。


「あー・・・・・・終わりか〜・・・・・・。悔いはねぇ・・・・・・って言えば嘘になるがそれでも俺の最後がこんな正々堂々とした戦いで終わるとはなー・・・・・・。逃走生活になって何十年と相手を罠にはめるようなことしかしてこなかった・・・・・・。そうだ、なんで俺は・・・・・・こんなに真正面から戦ったんだ?・・・・・・ああ?そうだった・・・・・・、なんで忘れてたんだ?俺は、あの野郎にやられて、あの——」


 何かを思い出しかのように眉を寄せたその瞬間、突然男が自分自身の剣で自身の腹を突き刺した。


 アーノルドは突然の出来事に目を見開き固まっていたが男もまた自身の行動が信じられないのか血を吐きながら驚愕の表情を浮かべ何かを言おうとして絶命したように首がカクンと下に落ちた。


 アーノルドが少しの間その男の亡骸を眺めていると死んだはずの男が突然動きだし血まみれで血色の悪い男が立ち上がると、先ほどまでの野太い声とは違い少年のような声を出した。


「う〜ん、勝手に動いてくれるから使い勝手はいいけどやっぱり自我がある個体はめんどくさいな。記憶の操作は完璧に済んでいたはずだけど・・・・・・死の間際で思い出せちゃったとか?でも全部マニュアル操作ってのも存外面倒なんだよね〜・・・・・・」


 少年のような声の何者かは男の体を色々と動かし、手をグッパグッパとしながら独り言のように呟いていた。


 アーノルドは下手に動くこともできず警戒をしたまま男の動きを観察していた。


 それに気づいた目の前の人物はパッと表情を明るくしてアーノルドに話しかけてきた。


「あ、ごめんごめん、待たせちゃったかな?初めましてアーノルド・ダンケルノ君。僕は・・・・・・そうだね、僕のことはライ——‼︎」


 その瞬間アーノルドとその男の間にクレマンが割って入ってきた。


「コルドー‼︎アーノルド様を守りなさい‼︎」


 普段冷静なクレマンがその周辺一帯に響き渡るような大声で叫んだかと思えば、怨敵を前にこれ以上感情を抑えれないといった様子で目の前にいる男を尋常ではない殺気を伴って睨んだ。


 コルドーが即座にアーノルドを抱き抱え、アーノルドがクレマンに叫ぼうとした瞬間アーノルドの視界からクレマンと男の姿が消えた。


 突如前方から響き渡る爆音。


 その衝撃によって発生した風がコルドーの背中に叩き込まれアーノルドを抱く腕に力が入った。


 アーノルドはコルドーによって離れた位置に避難させられた。


 砂煙が晴れアーノルドが見たのは地面が蜘蛛の巣状にひび割れその中心に立っているクレマンと葉っぱが攻撃の余波で吹き飛んでしまっている裸の木の枝の上に立っている男であった。


「おい、コルドー。何がどうなっている?」


 まだ短い付き合いではあるが、普段温厚なクレマンがあれほど感情を露わにしているのを見たことがなかった。


 憎悪の感情を隠しきれず怒りの波動を撒き散らすクレマンを。


「申し訳ございません。私にもわかりかねます」


 コルドーも状況を理解出来ておらず、クレマンの刺すような重圧にあてられ額に冷や汗を浮かべていた。


 コルドーや他の騎士達はなまじ力があるからこそクレマンと自身の絶望的なまでの格の違いを感じ取り息を呑んだ。


 だが、そんなことがわからないアーノルドですらクレマンが放つ異様なオーラは感じ取れていた。


 それを一身に向けられている男はそんな憎悪を向けられても気にした様子もなく癇に障るような声で話し始めた。


「えぇ?いきなりなんなの?自己紹介の最中に攻撃してくるなんて躾がなってないんじゃないの?これだからダンケルノの騎士は嫌いなんだよ。僕はそこのアーノルド君とお話したいんだ、君はお呼びじゃ———。おっと、もうなんなのさ」


 クレマンは男が話していることなどお構いなしに攻撃を仕掛けた。


 男がいた木が吹き飛びその余波で周りの木や大地までもが吹き飛んだ。


 アーノルドとは逆向きに放たれた攻撃にもかかわらずその衝撃によって巻き起こった風がアーノルドのところまで来たがコルドーがアーノルドを庇ったためなんともなかった。


「お前を探し出そうとし幾十年。なんの手がかりも得られず己の不明を恥じ毎晩毎晩忸怩たる思いに駆られていましたが貴様の方から出向いてくれるとはこれは重畳。『傀儡士』、お前のその声今でも鮮明に脳裏に焼き付いていますよ。お元気そうで何よりです。私が殺す前に死んでしまったのかとヒヤヒヤしていましたよ。あの日あの場で私の人生は止まっているのです。貴様を殺すことで私は———」


 クレマンは自身を抑えきれないとばかりに声を荒げ拳を力強く握った。


 だが、そんなクレマンのことなどお構いなしに『傀儡士』と呼ばれた男はクレマンの言葉を遮った。


「悦に浸っているとこ、悪いんだけどさ。君、僕と会ったことあったけ?悪いんだけど記憶にないんだよね〜、君のこと。それに、なんだよ、僕のことを知っている奴がいるのなら口止めのためにこいつを殺す必要なかったじゃないか。まったく、無駄なことをしちゃったじゃないか。そもそも僕に会ったことあるならなんで生きているの?確かに僕のこと知っている人はいるかもしれないけどさ、生かした相手や逃げられた相手なら覚えているはずだけど。それにそこまで憎悪を向けられるのもよくわからないな〜。・・・・・・ああ、君の大切な人でも殺しちゃった?あ、もしかしたらまだあるかもしれないよ?僕のコレクションの中に。会わせてあげよっか?」


『傀儡士』は煽るでもなく本気でそれを善意から提案していた。


『傀儡士』にとって人間とはその形をしているかどうかであって生きているのか死んでいるのかは大事ではない。


 だから『傀儡士』からしたらたまには善行を積むのも悪くないかなくらいの気持ちしかなかった。


 しかしクレマンは剣呑な雰囲気をさらに強めた。


「私がお会いしたいと願って願ってやまないお方はお前如きの傀儡にはなっておりません」


 クレマンはピシャリと言い放ったが、それを聞いた『傀儡士』は首がもげるのではないかというくらい首をかしげた。


「ん〜?なら尚更わからないな〜。僕が傀儡にしていないのに殺された誰かってことかな?何かのときに巻き込まれて死んじゃったとか?アハハハハハハ、それなら覚えているわけないじゃん!そんな虫ケラいちいち記憶に留めてないよ⁈」


『傀儡士』は腹を抱えて笑っていたが先ほど自分で刺させたところに触れて血がついてしまい、汚いとばかりに顔を歪めて手をバッバッっと振るって血を落とそうとしていた。


 その姿はどこまでも人を馬鹿にしているかのようであった。


「いいえ。あなたは逃げ帰ったのです。負け犬の如く尻尾を巻いて」


 クレマンは嘲笑うように挑発し『傀儡士』を蔑むような目で見た。


「・・・・・・へ〜、面白い冗談だね」


『傀儡士』は初めてクレマンに真の意味で目を向けて一気に不機嫌そうな声を出した。


 アーノルドはその瞬間その場の空気が一層寒くなったように感じたが、クレマンは一切動じることなく『傀儡士』を絶対に逃しはしないと憎悪を宿した目をしていた。


「貴様如きがアーノルド様とお話ししたいということでしたが、お前があのお方とお話しする資格も未来も訪れることはない。お前の命はこの場でこの私が・・・・・・我が師匠エレナに捧げることで潰えるのです」


 クレマンは手に嵌めている白い手袋を改めて深く嵌め、大気が唸るほどの殺気・圧とも呼べるようなものを『傀儡士』に叩きこんだ。


 それは遠く離れたアーノルドのところにも届いた。


「ぐっ・・・・・・‼︎」


 これほどまで濃密な殺気に耐性のないアーノルドは思わずうめき声を上げた。


「大丈夫ですか⁈アーノルド様、もう少し離れましょう」


 コルドーが心配そうに聞いてきたがアーノルドはそれを拒否した。


「いや、大丈夫だ」


 アーノルドは遠くからでもこの戦いを見届けたかった。


「エレナ?エレナ、エレナ、エレナ・・・・・・。・・・・・・ああ、思い出した。思い出したよ‼︎君、『拳姫』エレナのところにいたあの子供か〜。アハハ、あの日腰を抜かして動けなかった君か!そういえば忘れていたよ!君のせいで、君がいたせいで僕は大損害を負ったんだったよ。あの日失ったものを取り戻すのにどれだけかかったか・・・・・・。そうだよね。そうだよ。それじゃあ、あの日の対価を今君から貰うのも悪くないかな?君じゃあ全然足りてはいないけどね」


『傀儡士』はクレマンからの重圧など気にした風もなく不機嫌そうな声色から一転しまたふざけた態度へと戻り、薄気味悪い笑みを浮かべクレマンを舐め回すように見た。


 クレマンはそんな態度の『傀儡士』を見ても微動だにせずただただ傀儡士を見つめていた。


「・・・・・・一応聞いておきますが、アーノルド様にどのような御用が?今回のこれは教会の意志ですかな?」


 頭に血が上っていたクレマンであったが、ダンケルノ公爵家の執事として、最低限の責務として、この男がなぜこの場に現れたのかを聞くべきだと条件反射のように何とかギリギリ思い至った。


 それすらまともに果たせぬほどに今のクレマンにまともな理性など残っていない。


「ん?ああ、教会は関係ないよ。僕個人の用事さ。ちょっとした確認をしたくてね。まぁ場合によっては殺しちゃうつもりだけど」


『傀儡士』は何が楽しいのか邪悪な笑みをその顔に浮かべ、チラッとアーノルドがいる方を見据えた。


 しかしその言葉を聞いたクレマンの醸しだす圧がより一層濃いものとなった。


 それを感じ取ったアーノルドも自分に向けられているわけではないにもかかわらず額に汗を浮かべ、手が自分の意志に反して震え始めそれを止めるために拳を硬く握りしめた。


「・・・・・・私の前で殺す、と宣いますか。貴様のそのニヤケ面を見ると虫唾が走りますね・・・・・・。その顔を歪ませることを一体どれほど待ち望んだか」


 ただクレマンが殺る気になった、それだけでエーテルもマナも使っていないのに辺りに風が吹き荒れ、クレマンの攻撃によって宙を舞っていた砂がバチバチと蒸発していった。


 その異様な光景に見ている騎士達も目が離せなくなっていた。


 しかしアーノルドはコルドーに支えられて立っているのがやっとの状況だった。


 だが、そんなクレマンを見ても『傀儡士』の余裕の笑みは崩れなかった。


「あハハ、どれだけ僕のために頑張ったのか知らないけど、どう頑張っても君じゃあ僕は殺せないよ?それがわからないから———」


 ニタニタと笑っていた『傀儡士』の言葉が突然止まり顔を顰めながら胸のあたりに恐る恐る手を当てていた。


「え?・・・・・・い、痛い?いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたい〜〜〜〜」


『傀儡士』は胸の辺りを抑えて痛みを分散するかのように地べたでのたうち回っていた。


 クレマンはそんな『傀儡士』を冷めた目で見るだけで特に追撃することもなかった。


「わからないから・・・・・・何でしょうか?いくら傀儡にダメージを与えようと貴様の本体にダメージが通らないと高を括っていたのでしょうが・・・・・・、その程度この私が出来ぬとでも思いましたか?魂そのものにダメージを負わせることなど今の私には造作もありません。どうです?観客席から舞台上に引き摺り下ろされた感想は?貴方を殺すためだけに一体どれほど鍛錬を重ねてきたかわかりますか?貴方を殺し殺し殺さなければあの世で師匠に顔を合わせることもできません。誰かの復讐などと綺麗事を抜かす気はありません。ただ私の、私の師匠への贖罪のために死になさい。そして願わくばお前が弄んだ人たちへの餞となることを祈りましょう」


 クレマンが『傀儡士』に一歩近づくと『傀儡士』は息を切らしながらもフラフラと立ち上がり今までの余裕綽々とは程遠い焦ったように顔を歪めながら手で胸を掴みながらクレマンを見据えた。


(どういうことだ? そもそもいつ攻撃された? 最初に回避したときか?この僕がわからなかっただと?ありえないな。それに魂に干渉してきたということは)


「お前・・・・・・、禁忌の魔法に手を出したのか・・・・・・?神をも恐れぬ大罪人になったか。お前には、お前には天罰が降るだろう」


『傀儡士』は痛みで顔を歪めながらも薄く笑みを浮かべた。


 それは自分が負けるなど微塵も考えておらず、ただただ咎人は必ず死ぬ運命にあるという自信の表れだった。


 神に仇なす怨敵をこの身で裁きを下すのだと。


「天罰ですか。何とも都合の良い言葉ですね。自らは使っておいて他者が使えば天罰とは」


『傀儡士』は他者を傀儡にして使う。


 それはクレマンが使ったのと同じく精神系の能力である。


「僕は神様にそれを許された存在だ。これは神に与えられた『権能ギフト』なんだから。でも僕が君を救ってあげるよ。君が僕のものになれば天罰が下る理由も無くなるからね」


『傀儡士』は手を広げ慈愛に満ちたような表情をした。


『傀儡士』は今まで天罰を受けたことがない。


 受けたことがないということは神がお許しになったということ。


『傀儡士』のする全ての行為は神の名の下に許されるのだと。


 だからこそクレマンに天罰で死ぬと言いながら、自信の傀儡にすることで神が許すのだと勝手な解釈をする。


「敬虔な信徒であれば貴様のその言葉に恐れ慄き屈したやもしれませんな。しかし私はあの日あの時すでに神を捨てた身。信仰など一欠片もありはしません。貴様の信じる神に従うなど死んでもごめんです。それにもし、神がいて人間などを助けると言うのならあのときあの場であのお方が死ぬことなどなかっただろう・・・・・・。貴様のような外道が生き残ることを望む神などこちらから願い下げです。さぁ・・・・・・、貴方の言う神への祈りは済ませましたか?あなたが真に神に許された存在であるかどうか、今この場であなたを救ってくれるのかをもってあなた自身の身で確かめるといい」


『傀儡士』はクレマンの言葉を聞いて我が神を否定されて不愉快だと言わんばかりに徐々に顔を歪ませていったが、突然残忍な笑みを浮かべた。


 クレマンがちょっと自分にダメージを与えたくらいで得意げになっているのが面白かった。


 そしてその顔を歪ませたならどれほどの快感が得られるだろうかと考えると自然と笑みが溢れてきたのである。


「・・・・・・確かに直接ダメージを喰らうのは脅威にはなり得るけれど、それがあるとわかってしまえばどうということはないよ。この体の性能はそこまで良くは無いけれどそれでも君程度なら余裕だよ?君のその大言壮語がはたしてどれほど通用するのか・・・・・・僕の方こそ君に教えてあげるよ」


(さっきの正体不明の攻撃。あれにさえ気をつけてしまえば目の前の男の戦闘能力自体はさほど高くない。僕と同じ魂に干渉できる玩具なんて持っていないからこの男を玩具にしたら今後更に楽しみが増えるな〜)


『傀儡士』がクレマンを傀儡にした後のことに想いを馳せている間にクレマンがダンケルノ公爵家の騎士にだけわかる合図をコルドーに対して出した。


 コルドーはその合図を見ると即座にアーノルドを抱えてその場から去っていった。


「おい‼︎何処へ行く⁈止まれ!」


 これからというところで突然抱き上げられたアーノルドはコルドーに下ろすように命令した。


 アーノルドはこれまで他人の命を賭けた戦いというものをほとんど見たことがなかった。


 実戦、それもおそらく遥か格上同士の戦いを見てみたかった。


 だが、コルドーはその命令に逆らった。


「申し訳ございません。罰は後でお受けしますので今は従って頂きます。巻き添えになる前に離れなければなりません」


 コルドーの速度は凄まじい速さであり、ものの数秒でクレマンが点にしか見えないほど離れていた。


 どれだけ今までアーノルドに合わせてゆっくり進んでいたのかがわかった。


 他の騎士達もコルドーに続いて次々と離脱していった。


 騎士達が護るべきはアーノルドであり、クレマンが1人で良いと判断したならわざわざ残る必要もないからである。


 だが、その騎士達も心なしか名残惜しそうにその場を離れていった。

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