第32話
公爵が去った後リリーとランは気絶したままであったため、アーノルドの問いへの答えを聞くことはできなかった。しかしもはや2人を咎人とは扱えないので牢ではなく客が泊まれる部屋にとりあえず2人を寝かせた。
もちろんアーノルドもただの善意でこのようなことをしようとしているのではない。
ある種の実験と懐柔をしようとしていた。
リリーとランに選択を突きつけたのは実験のためである。
使用人を辞めて実家に帰るという選択をされた場合には、アーノルドの意図とは違うが、慈悲深い姿を他の使用人に見せることができるだろう。
だが、これはザオルグ陣営に向けたものである。
それほど効果は見込めないであろうが、今のアーノルドのイメージは恐怖寄りである。それをある程度払拭できるのならばやってみる価値があるかもしれない。
アーノルドの予想が正しければ後々効果があるかもしれないという程度のものであるが・・・・・・。
もし真に公爵家の使用人しかいないのならこのようなことを考えずただ自分のやりたいようにやればよかったのであろうが、いや、そもそもの話、もしそのような状態ならば今頃熱心に訓練に取り組んでいるだけで良かったのだろう。
だが、その場合アーノルドが身体強化を使えるようになっていたかはわからないので、どっちが良かったなど結果論でしかないのである。
そして、リリーとランが残った場合である。
もし2人が残ることを選択したのならどのような気持ちでそれを選ぶだろうか。家への義理?アーノルドへの返報?いいや、そこにあるのはただただ恐怖の感情でしかないだろう。誰しも殺人鬼の側になど居たくないだろう。しかし、本当に帰っていいのか、帰ると報復されるのではないか。そういった疑心暗鬼の末に正常に判断できなくなってしまい、恐怖の対象から離れたいと思いながらも離れることができない見えない檻を自ら形作っていく。
だが、その効果も公爵のせいで半減してしまいそうであった。
アーノルドは心の中で公爵に対して悪態をついていた。
先ほどまでは恐怖の対象がアーノルドでしかなかったが、公爵の威圧を受けた2人がもしかすると恐怖の対象を公爵に切り替えており、アーノルドがむしろ救った構図になっていたのではないかという懸念があった。
(だが、ムチからのアメというのも悪くはないか)
アーノルドにとってあの2人は明確な敵ではなくなったが、だがらといって味方というわけでもない。そして出来れば手元に置いておいた方が監視をしやすいとも思っていた。
それを強制しないのは、自身で選択させるためである。
自身で選択するか強制的にやらされるか、この差は大きい。
後々に不満や悪感情が出てきたときに強制的にやらされている者ならば、その矛先は真っ先に強制させてきた者に対して向かうだろう。
対して、選択を自分がした場合にはまず、なぜ自分はこの選択をしたのだろう、と自己の否定から始まる。その末に逆恨み的に選ばせた者を恨んでくる者はいるだろうが、不満の感情というものは現れやすい。特に貴族令嬢なら隠すといったこともないので気付きやすいだろうと思いアーノルドはこのような周りくどい方法を取っていた。
だが、実際には本当の貴族ともなれば自身の感情を隠すなど容易であるので、これはユリーのイメージに引っ張られたアーノルドの考え違いである。
そしてこれらの方法も当然不確定要素が多すぎる。
それゆえ実験なのである。
(まぁあとは奴らの選択次第だ。それよりも今は私が昨日使った黒いオーラと金色のオーラ、公爵の褒美がなんであったのか、そして公爵の最後の言葉の真意・・・・・・。わからぬことが多すぎる・・・・・・)
アーノルドは当然自らのオーラを改めて使いこなせているか確認するために再度使ってみようとしたのだが、なぜだが黒のオーラはあの時の感覚がわからず自らの意志で使うことが一切できなかった。
金色のオーラは元々使えていたものである。あのときほど使えるかと言われれば微妙であるが、おそらくあの時は火事場の馬鹿力的なものが働いたのだろうと思っていた。
黒のオーラに関しては全くわからなかったので、あの場を見ていたマードリーに聞きに行ったが困った顔で、『う〜ん、一度出来ていたものが出来なくなる原因ね〜・・・・・・。イメージは出来ているのよね? それならイメージが甘いとか?いえ、でも前に出来ていたのよね・・・・・・。そうね。考えられる原因の一つとして、あのとき君は少し成長していたわ。自身の中で成長しなければ使えない力と定義してしまっているのかもね』そう言われた。
自分では成長していたという自覚もなければ、オーラを発現した瞬間もあまり覚えてはいない。
だが、金色のオーラとは比べ物にならないほどの力の奔流を自身の中に感じた。
少しでも早く強くなりたいアーノルドにとっては是が非でも使いこなせるようになりたいものである。
(はぁ、あの力を使いこなせればそれこそこの世の頂点に1歩近づけるだろう。だが・・・・・・、あの男は全く本気を出すことなく私の攻撃をあしらっていた。おそらくあれがこの公爵家の
アーノルドは強張っていた体の力を抜き、やっとリラックスしてイスに座り一息ついた。
ワイルボード侯爵領に行くための期間を考えると公爵家を出発するまであと1週間ほどとなった。
現在、アーノルドと共について来るという意思表示を自ら示してくれた者が6名ほどいる。クレマンとメイリスと自分を加えてもまだ9名にしかならない。
コルドーに命じ、昨日見ていた騎士達の中から共に行くことを志願してくれる者を探してもらっている。そして明日その者達との対面となるだろう。そしてその数がアーノルドの今度の戦いにおける戦力となる。
(不思議と戦うことへの不安はないが・・・・・・、数の多さは戦略の多様さに繋がるためある程度の数は欲しい)
扉をノックする音が聞こえクレマンが書斎に入ってきた。
「アーノルド様、リリーとランの2人が目を覚ましました。いかがなさいますか?」
「歩けるようならここに連れてこい。動けないならば明日でも良い」
「かしこまりました」
――∇∇――
クレマンがリリーとランの2人を連れてきた。
リリーとランの顔は恐れ、というよりは不安そうな顔をしていた。
(なんだ?俺が本当に家に帰してくれるかと不安がっているのか?それともここに残った後の待遇への不安か?)
「アーノルド様、二人をお連れしました」
クレマンがそう言って一礼した。
「ああ、ご苦労。下がって良い」
アーノルドは2人の感情の変化をより詳しく見るために第三者を居なくし、アーノルドとリリーとランの3人の状況を作った。
「さて、それでは答えを聞かせてもらおうか」
アーノルドがそう言うと、リリーとランは床に両膝をつき両手を胸の前にクロスさせ頭を垂れた。
両手をクロスさせるのは自らが主君に対して手を出すことは決してなく、そして自身の命を如何様にしてもかまわないという意味で頭を差し出す、騎士を除く使用人達が忠誠を誓う際に行う所作であった。
「「再度、我ら2人アーノルド様に忠誠を誓わせていただきたく存じます」」
「き、貴様らっ・・・・・・‼︎」
アーノルドは激昂しそうになったが、何とか踏みとどまった。
「貴様ら、それをすることの意味を本当にわかっているのだろうな?」
「「は、気に入らぬというのならばこの首、刎ねていただいて構いません」」
そうなのである。
先ほどまでならば
だが、ここでアーノルドが断るということはこの2人の首を刎ねることに等しい。
もはや帰る残るの話ではなくなった。
文字通り生きるか死ぬかの話になったのである。
「理由を聞かせよ。その理由いかんでは貴様らの首を刎ねるぞ」
「私たちの存意は一致しております。代表して私がお話しさせていただいてもよろしいでしょうか」
「かまわん」
アーノルドは尊大な態度でそう答えた。
「ありがとう存じます」
そう言うとリリーが頭下げたまま話し始めた。
「私達に家に帰るという選択肢はございません。あの家に帰るというのならそれこそ死を選んだほうがマシでございます。私たちは家の者にとってただの駒に過ぎません。逆らえば、良くてどこかの貴族に結納金目当てで売り飛ばされ、悪ければ文字通り捨て駒として使われ死ぬだけでございます。そして此度の件において家に帰れば間違いなく殺され、その首がアーノルド様の元に届けられるでしょう」
「家に帰すと判断したのは私だぞ?」
「私の家族にとっては関係ないでしょう。少しでもアーノルド様に敵対する可能性があると判断するものは間違いなく切り捨てるでしょう」
「解せんな、そも既に敵対しているだろう?貴様らは元々ザオルグ、いやオードリーの手の内の者だろう?」
「たしかに私たちはオードリー様の命を受けてこの離れに来させられました。ですが正確にはユリー・ワイルボード様に命が降り私たちはついて来させられただけなのです。私たちのような家門の者は小心者でございます。強き者に尻尾を振って生きざるを得ないのです。だからこそ、明確な敵対はしないという意味を込めて私たちの首を送るでしょう」
(全てをそのまま信じることなど出来はしないが、たしかに此奴らがあのとき言葉を発したのは私が此奴らを馬鹿にしたときだけ。あとはあのバカ女に合わせてクスクスと笑っていただけであった。上位の者に合わせるというのはよくあることではあるが・・・・・・)
「お前の仲間を目の前で殺した件についてはどう考えている?」
「あの者は仲間ではございません。家の者に指示され付き従っていただけで実際には侍女のような扱いでした」
少しばかり棘をもった声で話していた。
「なぜ、俺に忠誠を誓う?それこそ他の道もあるであろう?」
だが、アーノルドは言ってからそれがないことに気がついた。
もし、本気でこの2人の家門が自分に媚びるつもりならば、手土産としてどこに行こうが間違いなく殺されるだろう。敵の首、それも身内の首を送ってくれば自分達はあなたに尽くしますということを簡単に言うことができる。
此奴らが言うような情もないような奴らなら迷わずやるだろう。
2人がアーノルドのところ以外に行くあてがあるとしたらレイのところに行くことだが、まぁ受け入れられることはないであろう。
「いいえ、ございません。私たちはもはやアーノルド様の元でしか生きる道はないのです」
「貴様らが今までに言ったことすべて利己的な理由であるということは分かっているのか?」
「はい。アーノルド様に嘘を吐くよりはマシと判断し話させていただきました。もしそのまま使用人として戻ったとしても、最終的に誰かを主君とし仕えるならば・・・・・・アーノルド様しかないと愚考した次第です」
「何をもってそう思った」
「ユリー・ワイルボードをお斬りになったお姿、公爵様に対して真っ向から立ち向かわれるお姿、そして残りの候補生の可能性を考えそのように愚考いたしました」
頭は下げているので表情は見えないが、その声には真に迫るものがあった。
他の候補生と比べた上で選ぶというのは一見無礼にも思えるが、それはここのシステム上仕方のないことである。
むしろアーノルドは自らの臣下になった後の方が大事であると思っていた。
「貴様らは俺のために命を捨てれるか?」
「・・・・・・いいえ、捨てられないでしょう。今は捨てることができると思っていても、いざその時が来るとどのように動けるのかわかりません」
「まぁそうであるだろうよ。訓練を受けた者ならばともかくただの一般人が自ら死にに行くなどそう出来ることではない。それこそ自らが死んでもいいと思えるほどの忠義がなければな」
アーノルドはもし今の問いに、死ねる、と断言したのならばそれこそ首を刎ねただろう。今の状態で身内に獅子身中の虫になるやもしれぬ者を抱き込む余裕などない。
それならば斬ればよいだけである。
「それでは最後の問いだ。この公爵家の本当の意味で使用人になるということは貴様ら自身が力をつけなければならない。その末に貴様らは何を望む?」
「・・・・・・復讐を。私の人生を弄んだすべての者に対して復讐を‼︎」
少し考えた末に、力を手にした自分を想像してか勢いよく答えた。
「貴様も相違ないな?」
ランに対してそう尋ねた。
「はい!ございません。私も復讐を望みます‼︎」
その目はアーノルドがよく知る目であった。
「良かろう。ただ忠誠を誓われるよりはよほどマシな理由だ。貴様らを今をもって我が臣下として迎え入れよう。言うまでもないことであるが、裏切ればただで死ねるとは思うなよ?だが、俺は功には禄をもって報いる。貴様らが一度敵対したからといってそのことを理由に待遇を下げるということはしない。私のために働け。さすればお前達の望みも叶えてやろう」
だが、当然アーノルドは本当の意味で臣下にしたわけではない。
他者を信頼しないと決めているアーノルドが求めるのものは、アーノルドへの献身のみである。それをもってアーノルドはその人物が信用に値するのか決めるのである。
そして、アーノルドが意図した展開とは違うが、奇しくも敵対者を自らに魅了させ、それを許す器の大きさを対外的に示す結果となる。
それを甘いと断じる者もいるだろう、しかし敵を受け入れる度量の大きさこそが君主たるに相応しいと考える者もいるだろう。
どのような展開になるかなど実際にしてみなければわからないのである。
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