第27話
Side:アーノルド
アーノルドが今までに黒化したのは2回である。
1回目は今度の遠征のきっかけとなったユリーを殺したとき、2回目はマードリーとの講義中。
1度目の時は自分が変化していることにすら気づかず、何か別の視点からふわふわとした感じで自分を見ているような感覚であった。
それゆえ自分のことであるが、どこか実感のないものであった。
2度目はマードリーの講義中にマードリーから聞いた言葉が原因となって起こった。
この時アーノルドの意識はハッキリとしていたが、周りは全く見えておらず黒のオーラの制御を失っていた状態であった。
そして3度目。現在のアーノルドは意識もはっきりしており、制御も出来ている状態であった。
今までとは違い、ある種の全能感に包まれ何でも出来るような感覚に陥っていた。
しかし、騎士の男を殺したあたりからアーノルドの体に異変が起きていた。
黒いオーラがアーノルドの制御から外れだし、アーノルドの意識はより鮮明になっているにもかかわらず体はアーノルドの意志に従っていなかった。いや、それこそがアーノルドの意志であるのかもしれないが。だが、そんな状態になろうともアーノルドはそのことに何の違和感も持っていなかった。
「何をしている‼︎貴様らの存在価値なぞ俺様に比べたら塵芥も同然であろう‼︎さっさと立ち上がってあの化け物を倒さんか‼︎」
ザオルグの喚き声が聴こえてきた。
「そう喚くな。貴様も君主たろうと思うのならば剣を取り、立ち向かってきたらどうだ?臣下に押し付け自らは逃げるなぞ、とても君主の姿とは思えんぞ?・・・・・・ククク、それはなかなか滑稽な姿であるな。それとも君主ではなく道化の類であったか?」
そしてアーノルドの表情はアーノルドの意志に反して、だがそれが当然であるかのように楽しげに口角が上がっていた。
「下郎ごときがこの俺様をバカにするだと・・・・・・‼︎許さん、許さん、許さんぞ‼︎未来の公爵たる俺様を侮辱したのだ。貴様は確実にこの俺様が殺してやる‼︎」
ザオルグが顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
「怒るのは多いに結構であるが、実力を伴わぬ言葉なぞただの
そう言ってアーノルドは威圧を込めた視線でザオルグを射抜いた。
アーノルドはもはや他者のために何かをするつもりなどなかった。
しかし人間の本質とは変わらないのである。
アーノルドは人を殺すことに躊躇いがあり、弱き者が虐げられているのを見ると助けようという気持ちが湧いてくる。
その気持ちはアーノルドになってからは邪魔なものとして心の奥底に眠っていたが、妻と娘を幻視したことによって前世の気持ちを思い出し、心の奥底からその気持ちが顔を出して口から出てしまったのである。
だが、それを口にしたアーノルドもただ自分が不快だから殺すだけであり、他人のためではなく自分のためという認識でしかなかった。
そしてアーノルドはオーラを周囲から手に集め1本の剣を作り出した。
先ほどの剣の形をした無骨な漆黒な何かとは違い、しっかりと
その剣を見て、ある者は見惚れ、ある者は恐怖し、ある者は見定めるように見ていた。
その剣は見る者の心が弱ければ精神を乱され恐慌状態に陥らせる。
剣に見惚れていた者達はアーノルドが持っている剣をなんの干渉も受けずそのまま見ている者であり、恐怖している者達は精神が乱されアーノルドが持っている剣がとても禍々しいものに見えていた。
そしてザオルグもまた、アーノルドが持っている剣が禍々しく見えていた。
一度は怒りにより恐怖を脱却したザオルグであったが、その漆黒の剣を目の当たりにしたことで先ほどの比ではない恐怖が襲いかかってきていた。
アーノルドが1歩近づくとザオルグが1歩後退するということが繰り返されていた。
「どうした?なぜ退がる。貴様の臣下に見せる背中が後退などと無様なものでいいのか?」
そう言われたザオルグは悔しさからか歯を食いしばり後退するのをやめた。
「ほう?覚悟は決まったのか?それならば剣を構えよ。そしてお前の意志を見せてみろ」
アーノルドは目を細め楽しげに笑みを浮かべた。
「・・・・・・などに・・・・・・」
「ん?」
「お前などに!お前などに何がわかる‼︎下の者には力を示し、力で押さえつけなけなければならない。さもなくば増長し反旗を翻すだろう!そして強者を従えるのならば自らがさらに強者となるしかない‼︎そのために犠牲となる者が存在するのは当然であろう‼︎そして気に入らぬ者を放置などしておけば、下の者が俺についてくることはない‼︎舐められれば生きてはいけない世界にいるのだ! 弱者が強者に食われることなど、この世の常であろう‼︎それをすることの何が悪いというのだ‼︎お前こそ気に入らぬから使用人の女を1人殺したのだろう⁉︎お前と俺の何が違う‼︎同じであろう‼︎」
母親の傀儡となっていたザオルグが初めて述べた自らの魂の叫びであった。
「
アーノルドはザオルグに対して自らの考えを声を荒げることもなく堂々と語った。
もはやアーノルドは前世のように自分の考えが絶対であり正義などとは思っていない。
ただ自分が信じた道を
そのためならばどこまででも非情になれるだろう。
だからこそ、アーノルドはザオルグの行いが悪だとは言わない。気に入らないから殺すだけ。
ただそれだけである。
「ザオルグ‼︎その者をさっさと殺しなさい。お前達‼︎今すぐ動かなければ家族がどうなっても知らないわよ‼︎」
アーノルドの感情が少し落ち着いたため恐怖から抜け出せたオードリーが自らの騎士に呼びかけた。
『貴様は黙っとけ‼︎』
アーノルドはオードリーの方を向き咆哮した。
「今は君主同士の語らいの場である。公爵夫人ごときが邪魔をすることは断じて許さん」
「っ‼︎」
オードリーはアーノルドから直接向けられた威圧に当てられ喋ることができず、屈辱にまみれたとても人には見せることが出来ないような顔となっていた。
アーノルドの言葉を聞き俯いていたザオルグがゆったりとした声色で話した。
「そうか・・・・・・。俺にはお前のような信念などない。ただ言われるままにそれが正しいと信じ込んでいただけだ。まだ俺には、何が正しく何が正しくないかを判断することはできん。そのうえ、俺の行いが間違っているかどうかもわからん。少なくとも俺にとって今までの行いは正しいものであった。・・・・・・だが、自らがした事の責任を取るのもまた君主たる者の務めか」
ザオルグは先ほどまでとは違って少し晴れ晴れとした顔をして剣を構えたのだった。
その顔はまるで長年の疑問への答えに辿り着く兆しを発見した者のような表情であった。
頼れる者は母親だけであり、オードリーの言うことを産まれてから今までひたすら言われるままに従っていた。だが、少し前から公爵家の教養の教師から教育を受けることになったために本当にこれでいいのかという考えを自らの中に抱くことになった。しかし、それでも今ある環境を変えることに勇気を持てず母親の考えが正しいのだとひたすらに自らに言い聞かせていた。一種の自己洗脳状態に陥っていたのである。しかし、アーノルドによって恐怖状態に陥ったことで一時的に自らの洗脳が弱まりアーノルドの言葉がザオルグの洗脳という殻にヒビを入れたのである。そしてまだ何が正しいのかなどわからないが、自身の行動によって起こった闘争から逃げることが君主として正しくないことだけはわかった。それゆえ、ザオルグはアーノルドに立ち向かうことに決めた。例えその結果死ぬことになっても・・・・・・。
「そうか、ではあとは剣を交えるのみだな」
アーノルドはそんなザオルグの変化に気づいているのかはわからないが、その声には先ほどまでの王者のような威圧感はなかった。
だが、その気配は手心を加えるなどという甘い幻想を抱かせるものでは微塵もなかった。
ザオルグは精神を整え一度深呼吸をして自身が持つ剣を構え直した。
その構えは愚直なまでの型通りなものであった。
「うぉおおおおおおおお‼︎」
ザオルグは自身を奮い立てせるために咆哮を上げた。
アーノルドとザオルグはお互いに駆け出し剣を振った。
ザオルグの表情に畏怖の気持ちが表れることはなかった。そしてまた悔恨もなかった。君主たる者、自らの行動を省みて是正することはあっても、その行いに意を唱えるなど決してしてはいけない。もし、自身の行動を悔やむ君主がいるのならばそれは暗君である。それゆえザオルグは自らの行いに疑問を持つことはあっても後悔だけはしないと、この場で決意したのである。
お互いの剣が間合いに入り今にもぶつかるところまで近づいていた。
———しかし、お互いの剣がぶつかることはなかった。
「おう、そこまでだ」
突然どこからともなく1人の男がアーノルドとザオルグの間に割り込み2人が振りかぶった剣を素手で止めた。
その男は無性髭を生やしてどこかだらしなさを感じさせる風貌であった。
そしてアーノルドは掴まれた剣をその男の手から引き抜こうとしたが、びくともしなかったので即座に剣から手を離し距離を取ってから再び漆黒の剣を作り出した。
そしてその男が持っていたアーノルドの漆黒の剣は霧散して消えた。
その男はニヤニヤとしながらアーノルドを見ていた。
「何の真似だ、貴様」
アーノルドに対して敵意があるわけでもなく、ザオルグに味方をするといった感じでもない様子の男を見てアーノルドはこの男が何がしたいのかわからなかった。
だがそのだらしなさとは裏腹に、どこか公爵に似た雰囲気を纏っていたので知らず知らずのうちに冷や汗が出てきていた。
「ああ、邪魔しちゃったか?でもそこの第2公爵夫人とザオルグ様を公爵がお呼びになってんだ。だから悪いけどそこまでにしてくれるか?」
その男がそう言うとオードリーは肩がビクっとなり震え出した。
アーノルドはより一層眉間に皺を寄せた。
「俺がそれを聞く義理はないと思うが」
「まぁ、そうだわな。だからお願いしてるんだよ。命令じゃないぜ? だが、後継者候補同士の殺し合いはご法度だぜ⁉︎ この辺でやめとくってのもありだと思うぜ?」
あくまで提案の
「俺にとっては後継者争いごときのルールを守ることより重要なことだ。そこをどけ」
アーノルドはただ淡々とその男に言った。
「う〜ん」
その男は困ったように無性髭を撫でていた。
「エルフレッド‼︎貴様がなぜここにいる!」
惚けていたザオルグが突然怒鳴った。
「そりゃ、俺は騎士団の所属ですから」
その男は飄々とした態度で悠然と答えた。
「そうではない‼︎」
「ん?ザオルグ様に解雇された件でしたら、別に解雇されても本館に戻るだけですので。・・・・・・それとも俺を襲ってきた男共のことですかね? ハハハ、俺を殺したいなら、それこそ
そう言われたザオルグは固まってしまった。
「おい、そこを退くのか退かないのかさっさと答えろ」
アーノルドはしびれを切らしたようにエルフレッドに返答を求めた。
「・・・・・・よし!それならこうしよう。退いて欲しければ力尽くで退かすといい。それがダンケルノってもんだろ?」
名案とばかりにその男はアーノルドにニヤリと笑いかけてきた。
「そうか」
アーノルドはそれまで引っ込めていた闇のオーラを全開に広げアーノルドを中心に渦を巻くようにその地を満たしていった。
「うぉ⁉︎もうこんなことまで出来るのか。末恐ろしいね〜」
あくまで飄々とした態度を崩さない男の態度がアーノルドの癇に障った。
(余裕をかましやがって‼︎)
アーノルドはエルフレッドの足元から闇の針を作り出し串刺しにしようと指を動かした。
しかしエルフレッドは予備動作など全くないまま別の場所に瞬間移動しているかのように移動しアーノルドの攻撃が当たることはなかった。
その後何度か同じことを試みたが全て避けられたのだった。
「う〜ん、確かに強力な技ではあるけど来るタイミングが分かれば避けるのは容易いぜ?」
エルフレッドはアーノルドが指を動かすのをずっと見ていた。
もちろん指を動かす必要はないのだが、そう言う動作があった方がイメージしやすいのである。予備動作なしで何かをするのは一朝一夕では出来ない。
「それなら、これはどうだ」
アーノルドはまたしても足元に広がる黒から無数の剣を生み出しそれをエルフレッドを中心として高速で回転させ始めた。
そして逃げられぬようにそこから不規則な動きで絶え間なくエルフレッドに向かって四方八方から剣を射出した。
流石に数百、数千万もの剣を生み出し射出したアーノルドに疲れが見えてきていた。
「ハァ・・・・・・ハァ・・・・・・どうだ」
オーラの渦が次第に晴れ、そこから出てきたのは無傷のエルフレッドだった。着ている服にすら傷ひとつなかった。
「数があればいいってもんじゃない。1本1本の剣の威力が弱すぎて当たっても全くダメージがないぜ?」
実際もし普通の騎士が今のアーノルドの攻撃を受けていたのなら今頃体中穴だらけであっただろう。エルフレッドが普通じゃないだけである。しかしアーノルドにとってはそんなことは言い訳にならないのである。
「なら‼︎」
アーノルドは体の内部から棘を生み出しエルフレッドの体を突き破らせようとした。
だが、体の内部を正確にイメージし、そこから棘を生み出さないといけないので即座イメージすることもできず多大な集中力を要した。普段の状態のアーノルドならば確実に出来ない芸当をしようとしていた。
「う〜ん、それは少し面倒だな」
エルフレッドがそう呟くとアーノルドの体が突然動かなくなり、アーノルドの目にはそのまま地面が起き上がってきたように見えた。
倒れ伏したアーノルドは何が起きたのか全く理解できなかった。
「勇気と蛮勇は違うもんだぜ?」
ゆっくりと近づいてきたエルフレッドはアーノルドだけに聞こえる声でそう言った。
「ありゃ?エーテル切れかな?まぁあれだけ使ってたら仕方ないよねー」
エルフレッドはそこにいる人に聞こえるようにわざとらしく大声でそう叫んだ。
棒読みであり明らかに大根役者であった。
(エーテル切れだと⁉︎そんなわけあるか‼︎まだまだ切れる様子などなかったわ‼︎)
エルフレッドはアーノルドの今の実力を見るために嗾けたが、公爵の命を受けている状態であり、あまり悠長に遊んでいる時間もなかった。かといってこのままアーノルドに圧勝してしまえばしこりが残る。ダンケルノは負けることを何よりも忌避するからだ。だからわざわざエーテル切れという体をとってアーノルドが戦闘離脱したと演出したのだ。
元々エーテルを使いすぎていたから仕方がない。だが、それすら準備不足と詰られればそれまでであるが、負けかどうかなど所詮は個人個人が勝手に決めるものである。勝者がいなければ敗者もいない。
誰もがたとえアーノルドが万全の状態であったとしても勝つことなど出来ないことはわかっているが、そういう建前もまた大切なのである。
「コルドー‼︎」
エルフレッドがコルドーを大声で呼んだ。
「は」
「アーノルド様を任せたぞ」
「は、かしこまりました‼︎」
エルフレッドはアーノルドを託した後にオードリーの前まで近づいていった。
「それでは、第2公爵夫人。御同行願えますかな?」
オードリーは少しばかりエルフレッドを睨んだが、すぐに観念したのか何も言わず大人しくついていった。そしてザオルグも一度アーノルドの方を見てから、その後を追っていった。
アーノルドは動かない体でザオルグ達が去っていくのをただ見つめていた。
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