第7話

 アーノルドは自室のベッドに大の字で倒れていた。


 執事長に見られれば怒られるだろう。


(さて、とりあえず現状の整理からだな。とりあえず想定していたよりはマシな状況だな。あの女が連れて行けと指示をしたところだから最悪の場合使用人全員があの女の手の内の者ということもあり得ただろう。屋敷の前に集まっていた執事とメイド共を見る限り5割があの女の手の内のもの、3〜4割がおそらくレイの手の内の者、残りが公爵の手の内の者か中立の者と言った感じか)


 アーノルドは視線に敏感なので最初に来た時に感じた視線から大体割り出していた。


 そしてそれは大体合っていたのである。


 流石にザオルグの母オードリーといえど公爵家で好き勝手する権限はないのである。


 しかし後継者争いにおける闘争であるがゆえに5割もの者を離れに潜り込ませることを見逃されていた。


 そして潜り込ませたのは普段から勤務態度が良くなく家柄だけで威張っているこの公爵家では淘汰されるであろう捨て駒であった。


(無能なものを送り込んで問題を起こすリスクと敵ばかりの状況での生活で私が根をあげるのとを天秤に賭けたのだろうが、普通の貴族の坊々ならともかく私は前世では家すら失くし生活していたのだからその程度で根をあげると思ってもらっては困るな)


 アーノルドは思わず笑みを溢した。


 アーノルドが普通の子どもと違うのはドン底を経験したことだろう。


 それゆえ大抵の嫌がらせには怒りはするがすぐに冷静になることができる。


 本来怒りの感情すら余分なものであるが、そこまでの域にはまだ達していなかった。


(私は大丈夫であるが、母上のケアは一応しておかないとな)


 他人など表面上ではどうでもいいと思っているが、実の母親だからかはたまた性分なのか罪なき人が害意に晒されるのを放ってはおけなかった。


(人脈は何も貴族の力だけではない、家を支える使用人や騎士の忠誠もまた力の一つであるだろう。だが、誰でも味方につければ良いというわけではない。無能な味方ほど恐ろしいものはないからな。まずは使用人の選別からだな。あの女の手の者は今は放置だな。一々処分していたら、あいつは些細なことで人を処分するやつだという噂を流され人心掌握に支障が出るだろう。どうせ放っておいても何か問題を起こすだろう。処分するのはそれからでいい。引き込むのは中立の立場とレイの手の者の中でも末端の者達だな。公爵の手の者はおそらく公爵に忠誠を誓っている者だろうから無理だろう。あの執事とお茶を淹れていたメイド辺りが公爵の手の者という感じがするが……)


 ゴロンと仰向けからうつ伏せになった。


(とりあえずこれから1年は武力に力を入れるのがいいだろう。暗殺者が来る可能性は低いだろうが、相手が馬鹿の可能性もある。特にあの女はあの程度の策を取ってきた相手だ。十分ありえるだろう。それから使えそうな商人を探して財を築く。だが商会を築くのは武力を手にした後だな。今の状態で軌道に乗ってもおそらくあいつらに奪われてしまうだろう。だから本格的に始めるのは6歳からでいい。7歳からは初等部らしいが……いく必要があるのだろうか)


 コンコン、と扉がノックされた。


「はい」


 アーノルドが反射的に返事をし。執事長が扉を開けて入ってきた。


「アーノルド様、この後の……」


 布団からバッと顔を上げて何事も無かったかのようにベッドから降りた。


 執事長から無言の圧力を感じるがスルーする。


 執事長は根負けしたのか、ため息こそ吐かなかったが若干呆れたように表情を変化させて口を開く。


「……アーノルド様、この後のご予定ですがお食事とご入浴どちらを先に致しますか?」


「……先に食事にしよう。それから母上に一緒に食事はどうかとお誘いしてきてくれ」


「かしこまりました。準備が出来次第呼びに参ります」


 本当は執事長に忠誠を誓えるかと聞こうかと思っていたが、流石にあの格好を見られた後に聞くのはないと思って後回しにした。


 その後、食堂に連れられて行くと、既に母親が来ていた。


「お招きいただきありがとうございます」


 そう言って母親が礼をした。


 一応今のこの離れの女主人は母上であるが、主人は私となっている。


「いえ、当然のことです。これからも出来るだけ一緒に食事を取りましょう」


 そう言って子供らしくニコっと笑った。


 その後、席に着くとすぐに料理が運ばれてきた。


 執事長に目を向けると無言で頷き壁に控えている使用人を部屋から出してくれた。


(本当に有能な執事だ。どうにかして味方に引き込みたいところではあるが……)


「さて母上、いただきましょう」


 そして静かに食事がはじまった。


(もぐもぐ……。昨日のよりは普通って感じがするが料理人の腕の差だと言われたら判断に困るくらいだな……)


 別に不味くはないのだ、不味くはないのだが美味くもない。


(……母上の方が食事が進んでいないみたいだな)


「母上、おいしくありませんか?」


「いえ、元々それほど食べれないから沢山ありすぎて困っているのよ」


 母親は困ったような笑みでそう言った。


「それならば、もらっても良いですか?」


 本来であるならばマナー違反であるが、今日はこれをするために使用人を外に出したのである。


 母上はチラッとクレマンの方を見たが、何も言わないのを見て了承した。


「クレマン」


 クレマンに母上の料理を持ってきてもらった。


(もぐもぐ……。なるほど。まずいというほどではない、昔の私なら文句なく食べていただろう。だが、先程私が食べたものより明らかに質が悪く、間違っても公爵夫人に出すものではないだろう。質の悪い嫌がらせだな。元娼婦には味の違いなどわからないと思っているのか、わかったとしても何も言えないだろうと高を括っているのか)


 その後食事を終え、母上とは食堂で別れた。


 自室に戻った後は入浴をした。


(この誰かに洗われる感覚慣れないな〜)


 風呂から上がり部屋に戻る前に体を拭いていたメイドに話しかけた。


「クレマンを部屋に呼んで……呼べ」


「かしこまりました」


(やはりまだ命令口調というものは慣れん)


 自室のテーブルの前のイスで目を瞑り腕を組み小さな足を組んで座っていると扉がノックされた。


「入れ」


「失礼いたします。お待たせして申し訳ございません」


「かまわん。まずは雑事からだな。まずは年間与えられる1億ドラだがお前が管理しているのか?」


「いいえ、今現在は奥様の管轄となっております。そして直接的な管理をしているのは金庫番になっております」


(金庫番があの女の手の者だとめんどう……いや、むしろ好都合か?)


「この離れの管理費もそこから引かれるのか?」


「いいえ。この離れの管理費は公爵家より支払われます」


「そうか。それと明日までにこの離れの使用人全員のリストを用意してくれ」


「かしこまりました」


「あと明日の離れの探検で案内が欲しい。お前が信用できる者で、この屋敷の使用人の名前を把握している者を用意してくれ。出来るか?」


「はい、かしこまりました。しかし私のことを信用してもよろしいので?」


「その件についてはあとだ」


 手をシッシと振りながら答えた。


「かしこまりました」


 クレマンは恭しく礼をした。


「次だ。今日の料理を作ったのは料理長か?」


「そう聞いております」


「そうか。ならばもっと精進せよとでも言っておけ。それと配膳をお前の手の内の者にして、私と母上の配膳を逆に出来るか?」


 その言葉を聞いて料理人の腕が上がるならよし、更に落ちるようなら判断に困らなくて良いだろう。


「することは出来ますが、僭越ながら気に入らないのならば解雇してしまえばよろしいのでは?」


「今それをするのは下策だということくらいお前ならばわかるであろう。試すのはやめよ」


「は、失礼いたしました」


 いま料理長を解雇したとしても得るものは害虫が1匹減るだけ、またすぐに湧いてくるだろう。


 そしておそらくまともに料理をすればしっかりと美味しい料理を作れる料理人を解雇すれば、料理がまずいからなどという理由で不当に解雇されたと言い私の評価は落ちて少なくともただの癇癪持ちの子どもだという印象が付くだろう。


 噂や印象というものは一度出回るとそれを払拭するのは簡単ではない。


 私が冤罪で捕まったとき、私の自宅のご近所にはすぐに私が犯罪者であると広まった。


 そして死ぬまで犯罪者であるというレッテルが剥がれることはなかったのだ。


 それゆえ第一印象がまだ定まっていない今は慎重に動かなくてはならないのだ。


 そこで邪魔になってくるのが、『誰にも屈することを禁ずる』、というルールである。


 どこからが屈した扱いになるのか判断が難しい。

 

 しかしアーノルドは世間一般に広まらなければ大丈夫であり、5歳のうちは即脱落ではないというのが先程の問掛けで判明しているので一時の評価程度は後々挽回できると思っていた。


 それに公爵になるための後継者争いはアーノルドにとっては最優先事項ではない。


 地位を手に入れるために貰えるなら貰うがそのためにアーノルドの行動を制限しようとは思わなかった。


「それと当分の間は使用人共の行動についてお前が余程目に余ると判断したもの以外は放置しておけ」


「よろしいので?」


「ああ、害虫は一遍に駆除するのが俺の流儀だ。チマチマと1匹ずつしてもすぐにまた湧いてくるだろう?」


「は、かしこまりました」


「ああ、それと明日屋敷を回ることは周知しておけ。その際無理に畏まる必要もないとな」


 そう言われて本当に畏まらないやつは敵と判断しやすいだろうし、敵でなくとも主人に本当に畏まらないやつはただの無能であるから味方にはいらん。


「かしこまりました」


「それじゃあ本題に入ろうか」



 

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