先を越される

瀬希瑞 世季子

先を越される


「人間はね、産まれた時からずっと死という花を育て続けているの。普通の人はその花を咲かせるのに八十年だったり九十年だったりとか、そのくらい長い時間をかけちゃうんだけど、わたしは育てるのが上手いから、みんなの先を越して、もうすぐ咲きそうなの」

「へぇ……すごいね」

 どう返答しようか悩んだ。これから彼女がやろうとしていることくらい想像できる。だけど、わたしはそれを否定しようとは思わないし、勝手にすればという感想しか出てこない。とぼけたふりをしようかと思ったが、このまま会話が続いていくのは嫌だったので、突き放すような、冷たい口調で私は言った。わたしは勝手に、彼女はこれから自分がやることを止めて欲しいと思ってると決め付けていた。返答を聞いて、彼女は悲しむと思っていた。だけど、わたしは彼女に情をかけてあげる義理なんてない。

「すごいでしょ」

 実際に彼女が見せた表情は、わたしの想像とは正反対のもので、まるで親に褒められた子どものような無邪気な笑顔だった。思わず、気持ち悪いなと心の中に言葉が出てきてしまうほどに、不気味に感じた。

 わたしの人生からいなくなっても、嬉しくも悲しくもならない人間の一人と交わした最後の会話だった。



 今日も飛び降りれなかった。

 穿つような陽射しはやがて雲に遮られ、街に影を落とす。やわらかい風が吹くようになる。額から流れた汗が風に当たり、頭を冷やされる。明日は一日中雨だって、下校中の生徒の話し声が聞こえてくる。ずっと蝉が鳴いているのに、すぐ下の校庭から運動部の掛け声が聞こえてくるのに、車が走る音や、信号が青に変わった音があちこちから聞こえてくるのに、不思議とこの街は静かだ。ここから見える街の景色、果てしない灰色が広がっている。存在感を放ちながら横に並んでいる鉄塔は、まるで十字架に貼りつけられ、見世物にされている死刑囚を想起させる。空に浮かぶ入道雲にこちらを見られている感じがして、少し畏怖する。


 廊下にはわたしの上履きがコツコツと地面を踏む音だけが響く。下駄箱に着くと、サッカー部の顧問の鬼澤先生と遭遇する。昇降口前でサッカー部の男子たちが地べたに座り込んで休憩しているのが見えた。今日は違う部活がコートを使用しているので、サッカー部は使えないらしい。

「柳か。もうすぐ夏休みも終わるというのに、まだ学校に来てて、お前も大変だな」

「いえ、べつに・・・・・・さようなら」

 休憩中のサッカー部の群れを横切り、校門を抜け、わたしは学校から立ち去る。


 勉強が苦手だ。だから成績も悪い。一学期の中間、期末を通して、数Ⅱと数B、化学で赤点を取ってしまい、こうして夏休み中も補習を受けに学校に登校しなくちゃいけない羽目になっている。鬼澤先生が言ってた通り、本当に大変なのだ。二年にはなんとか上がれたが、一学期から三つも赤点を取っているようでは、三年に進級できるか怪しくなってくる。三年に上がれなかったら、もう受験勉強どころではない。そういうことを考えれば考えるほど、生きてるのが嫌になり、逃げだしたくなり、死にたくなるのだ。死にたいといっても、わたしは何もできなかった。カッターナイフで手首を切るのも怖くてできなかった。

 なにかしら、自分の死へアプローチをしたかった。唯一できたのが、補修が終わった後、学校の屋上に上ることだった。

 屋上に上ったところで、飛び降りることなんてできなかった。柵を超えることもできなかった。それでも、学校の屋上に来たということは、確かな達成感のような、わたしには「死にたい」という気持ちがちゃんとあるんだという自覚が持てて良かった。でも、死に対してできるのはこれくらいしかないという事実が、わたしにまた新たな劣等感を植え付けることとなった。

 こんなことしてても、一体いつになったら死ねるようになるのか、分からないままで、そうこうしている内に、本当に死にたい人たちはどんどん死んでいってしまい、彼らと比べてなんでわたしは・・・と、自分が情けなくなってしまうのだ。生きるのも嫌だけど、死ぬことはできない。死にたいけど死ねない。そんな今の状況がとても辛い。



 翌日、名前も知らない生徒が言ってた通り天気は雨だった。ザーザーと雨が地面を打つ音が窓ガラスの向こうから聞こえてくる。わたしは黙々と手首を動かし、シャーペンで回答用紙に答えを書いていく。

「できました」

 解答用紙を先生に渡す。先生は何も言わず解答用紙を受け取り、赤ペンで採点を行っていく。緊張感が教室を支配する。赤点解消がこのテストに係っている。七十点以上取れなければ不合格。神に祈る。

「合格だ」

 その瞬間、緊張感から解放される。ありがとうございますと言って、プリントを返してもらい、荷物をまとめて教室を出ようとする。教室内にはまだ問題を解いている生徒がいる。彼らも無事合格できるだろうか。興味ないが、赤点解消が係ったテストからの解放感で、心には余裕が生じていた。なので、彼らに無事合格できますようにと祈ってあげる。完全に調子づいてる。教室を後にする。

 階段の前で立ち止まって、屋上に上がるべきかどうか悩む。外は雨が降っている。小雨ではなく結構濡れるタイプの雨なので、傘なしに屋上に出るのはとても気が引ける。傘を取りに行くとしても、一度一階まで降りて傘を回収してまた屋上に上がるという動作はとても面倒くさい。今日はやめておこう。そのつもりで下駄箱まで戻ってきて、昇降口前の傘立てに刺した自分の傘を回収した。その途端、屋上に上がりたくてしょうがなくなってしまった。雨に降られるこの街を、高いところから見下ろしたくなった。磁石に吸い寄せられるみたいに階段を上がる。呼ばれているような気がして。

 屋上への扉を開ける。雨は強まっており、扉を開けた瞬間、ザーッという音が私の耳を貫いた。傘を開いて屋上に出る。雨粒が傘の上で跳ねる音、ぴちゃぴちゃと私の上履きが雨水を踏みつける音。誰かがいる。

 黒に染まる直前みたいな灰色の雲の下、地上への攻撃みたく降り注ぐ大雨の中、傘を差した女の子は柵の向こうの景色を眺めていた。夏休みだし、誰もいないだろうと油断していた。他人と鉢合わせてしまうのは気まずい。さっきまでの屋上への執着はサラっと消え去り、今は屋上から出ることしか考えられなくなった。振り向いて、階段へ戻ろうとした時、雨水で足を滑らせ転びそうになる。

「あ」

 思わず声が漏れてしまう。

 声に反応して、女の子はこちらを振り向く。

 思いっきり目が合ってしまった。女の子は目にかかるくらい前髪が伸びていたが、驚いた表情をしていたのがはっきりと分かった。恥ずかしさに耐え切れず、そそくさと私は屋上から逃げる。人が、人がいるだなんて、思わなかった。

 下駄箱で靴に履き替え、昇降口を降りる。さっきの女の子に屋上から見られてないかちょっと不安になる。なんとなく屋上の方へ顔を上げてみたが、人の姿らしきものは見えなかった。角度的に見えない位置にいるだけかもしれない。


 わたしが通う高校は駅から歩いて十分するかしないか程の所にある。駅前にはちょっと大きめの商業施設があって、そこにはゲーセンだったりカラオケだったりボウリングだったりが一緒になってるアミューズメントセンターがある。まぁ学生が放課後遊ぶには困らない感じになってて、わたしはよくそこで音ゲーをやってから帰る。本当は今日も帰りに音ゲーをするためそこに寄るつもりだったが、テストの疲れからか、早く帰って眠りたい気分だったのでやめた。

 帰りの電車に揺られながら、私は屋上にいたあの女の子のことを思い出す。彼女は何しに学校に来ていたのか。何年何組? そもそも、なんであんな雨の中、屋上なんかに出ようと思ったのかな。なぜ、なぜだろう。もしかして、彼女もわたしと同じで———。

 ・・・もし、彼女が私と同じで、“死にたがっている人間”だとしたら、その理由はなんだろう。また屋上に来るのだろうか。屋上に上がったら、また彼女がいるかもしれないという不安と、彼女への純粋な興味が湧いてくる。あの子、私より先に死ぬのだろうか。

 電車が急ブレーキをかける。バランスを崩しそうになる。今日の運転手は随分と運転が下手かもしれない。


 翌日、数Bの補修が終わった後、また屋上へと上ってみた。昨日の大雨が嘘のように空は晴れていて、眩しい日差しと蒸し暑い温度が街をじわじわと焼いている。屋上にはあちこちに水たまりができていて、昨日の大雨の名残を感じられた。女の子はいなかった。


 無事、夏休み中に三つの赤点を解消することが出来た。赤点補修から解放されてすぐ、夏休みは最終日を迎えた。夏休みというが、わたしの場合、学校に登校してた日の方が多かったと思う。最後の補修の日も屋上に上ったが、女の子はいなかった。結局、屋上の女の子はあの雨の日以来、姿を現すことはなかった。夏休みはこうして終わった。



 平成最後の夏が終わった。終わってから今年の夏が平成最後だってことに気付いた。前にもそういうの聞いた覚えもあるが、すっかり忘れていた。夏という特別な季節に更に平成最後と言う冠詞が付くのだから、特別の特別って感じがして、そんな一生に一度の機会を赤点補修だけで終わらせてしまったのは勿体無いなぁと思った。ぼっちのわたしが平成最後だからなんかやろうって躍起になっても、虚しいだけなので、これでよかったのかもしれない。

 しかし、夏は終わったはずなのだが——何故か、蝉の鳴き声は相変わらず五月蠅いし、気温も馬鹿みたいに高い。汗で身体が湿っていく感触が気持ち悪い。質の悪い夏の置き土産に今日も苦しめらる。


 長ったらしい始業式が終わるまで、サウナみたいな体育館の中で耐えなければいけない。始業式が終わると、学年別で集会が開かれ、二年生は体育館一階の柔道場へ移動となる。体育館よりかは幾らかマシになったけど、早く終わってほしいのに変わりはない。進路指導の先生が進路についてうんたらかんたら言っている。進路かあ。わたしはどうなるんだろう。進学になるのかな、一応。でも、学校の勉強すらままならないわたしが受験勉強だなんて、本当にそんなことできるのだろうか。かといって就職もなぁ。バイトもしたことないわたしには、自分がどこかで働いているというビジョンが全く見えなかった。将来、不安しかない。あぁ、こんなこと考えてたらどんどん死にたくなってくる。そもそも、なんで死にたいのに将来のことなんて考えるんだ。矛盾している気がする。

 学年別の集会が終わり、残すはHRだけになった。HRが始まるまでの行間休み。クラスはとても騒がしくなる。男子生徒の中で特に騒がしい、いわゆる問題児たちが、お互いちょっかいを掛け合い、場所も考えずにはしゃぎまわる。それを気にもせずに他の生徒たちは大きな声で色々な話をする。あの映画が面白いとか、アイドルの推しがどうとか、ゲームの話とか、学校内のくだらないゴシップ、スキャンダル、猥談、下ネタ。嫌でも耳に入ってきて鬱陶しい。私は机に伏せ、寝たふりをしていた。チャイムが鳴るとほぼ同時に、担任の小池先生は教室に入って来た。騒がしかった教室内は途端に静まり返る。

「ではHRを始めるぞー」

「起立、気を付け、礼」

「お願いしまーす」

 日直の号令と共にHRは始まる。

 これが終われば今日は学校終わり。午前で学校が終わるのは良いことだが、明日からいきなり六時間の通常授業が始まるのが、とても嫌だ。もうちょっと、もうちょっと猶予がほしい。HRはプリントの配布と体育祭と文化祭の話、最期に席替えの予告をして終わった。本当はこの時間で行うはずだったが、体育祭文化祭の話で時間を押してしまい、予告だけになった。今週中のどこかで行うと小池先生は言った。学校行事のことを考えると憂鬱な気持ちになる。クラス一丸になってあれしよう、これしよう、みたいなノリには付いていけない。でも学校行事となると、どうしてもそういうノリに巻き込まれてしまう。みんながやりたがってるからという理由でお揃いのクラスTシャツを着せられ、出し物の準備、当日の手伝い、片付けをやらされて、とても疲れる。しかも体育祭は肉体的にも疲れるので最悪。運動苦手なのに。


 HRが終わって下校になる。明日は夏休み明けの確認テストがあるのが、成績には関係ないので、解けるところだけ解ければいいやの心意気で勉強はしないことにした。夏休みの補修や宿題で疲れてるんだこっちは。確認テストくらいは手を抜いてもいいでしょと自分に甘える。

 階段の前で立ち止まる。屋上に行こうか悩む。

 いつまでわたしはこんなことをしているつもりなんだろう。結局今日も飛び降りなんかせずにぼーっと屋上から景色を眺めて帰るだけで終わるだろう。一体自分は何がしたいのだろう。死んでしまいたいという気持ちは確かに存在している。夜になると死んでしまいたいという思いでいっぱいになって眠れなくなったりする。でも、それでも私は明日の明後日の一週間後の、一か月後の予定を立てたり、進路のことを考えたり、これからも生きる前提でものを考えている。やはり、これはどう考えたって矛盾している。

 屋上に上がらなかったら上がらなかったでモヤモヤが残りそうだったから、結局上ることにした。相変わらず暑い。残暑というが、これは本当に夏が残ったものなのだろうか。夏は今も続いてて、人類が早とちりに、九月から秋と定義してしまっているだけなのではないか。

 屋上に出る。人がいる。

 柵に寄りかかり景色を眺めている女の子。

 それを見た瞬間、雨の日の屋上で出会ったあの女の子のことを思い出す。もしかしたらあの子かもしれない。どうする。また立ち去るべきか。いや、それは違う気がする。私はあの子のことが知りたい。向こうはわたしのこと気付いてるのだろうか。今日は雨なんか降ってないので、ちゃんと扉の音が聞こえてたはず。向こうはわたしのことなんか気にしてないのかな。だとしたらわたしも気にしないフリをして、彼女の近くまで行ってみよう。景色を眺めるフリをして、ちらっと彼女の方を見てみよう。雨の日に出会った女の子と同一人物なのか、それだけ知りたい。

 固唾を飲む。一歩、一歩、柵へと近づいていく。引っ込み思案の私がここまで大胆なことするなんて、自分でも驚いている。彼女から5mくらい離れた距離で、私は景色を眺めているフリをする。よし、あとは彼女の横顔をチラ見するだけ。前髪がとても長かったら絶対彼女だ。私は彼女があの時出会った女の子だと確信をもってチラりと彼女を見てみる。あれ、前髪が長くない。

 前髪で隠れていたから彼女がどんな目をしていたか分からない。でも後ろ髪の長さは一緒くらいな気がする。もしかしたら同一人物かもしれない。

「何?」

 わたしがこっちを見たのに気付いた彼女は声をかけてくる。私の心臓が止まりかける。漫画みたいにビクッと効果音が実際に出たような気がした。それくらい、絵に描いたように身体が震えた。

「あ、あの・・・雨の日も屋上にいませんでしたか? 前髪がすごく長かった時期がありあませんでしたか?」

 どうすればいいのか分からなくなる。勢いで口から言葉が滑り出てしまった。

「あなた・・・茜と会ったことあるの?」

「え」 

 茜? 

 誰それ?

「茜と話したの?」

「そ、その別に何も話してないんです。ただ目が合っただけで、何も話してないです」

 あの女の子、茜っていうんだ。

 彼女は茜さんの友達?

 いま茜さんはどこにいるんだろう。

「あ、茜さんが、どうかしたんですか?」

 彼女は少し黙り込んだ後、口を開いてこう言った。死んだんだよ、と。

「死んだ・・・?」

 死。突然現れた単語は今まで随分慣れ親しんできた気がしたのに、とても非現実的なものに感じた。

 化学のテストが終わったあの日、雨が降る屋上で出会った茜という人間は死んだのだ。いつ死んだの? もしかしてあの後すぐ? 屋上から飛び降りて? だったらニュースにもなるはずだし、私も知っているはずだ。でも、彼女だってこの学校の生徒だったはずだ。在校生が死んだのに、なんで集会とかで話にならなかったのだろう。

「アイツ、夏休み中に学校中退したんだ。あなたが会った時は、きっと荷物とか取りに来てたのかも。でも、八月の最後の日に自殺した。既に中退した生徒だから関係ないのかな。集会とかHRでもなんも言われなくてさ。ニュースとかにもなんなくて」

 彼女は割と軽い感じの口調で茜さんの死について話す。その姿がどこか不思議だった。

「茜さんは・・・なんで自殺したんですか?」

「ん? う~ん。なんでだろうね。いじめられてたわけでも、成績や人間関係のことで悩んでたわけでもないのに・・・ずっと、ずっとこの世界は私には向いてないって言っててさ。死のうかな、死のうかなってずっと言ってたの」

 沈黙が訪れる。彼女はそれ以上なにも言ってこなかった。返す言葉が見当たらないわたしはずっと無言だった。家族が死んだ経験もまだないわたしにとっては、これが初めて身近に体感した死だった。あまりにもあっさりし過ぎたその感じに感情が追い付けないというか、置いてけぼりにされた気分だった。

「正直、わたしもいつか彼女は死ぬんだなって思ってた。で、死んだ。わたしたちの間にあったのはそれだけ。喋り過ぎちゃったね」

 気まずくてなにも言葉を返せない。今まで自分の死について、沢山考えめぐらしてきたわたしの言葉でも、誰かの死を前にすると、何も言えなくなってしまうんだと分かった。

「ねぇ。なんであなたは屋上に来たの?」

「え、それは・・・」

「もしかして自殺?」

 背筋が震えた。偶然かもしれない。だけど、半分当たってる。自分の希死念慮を誰かに言い当てられた恐怖に心臓を掴まれる。図星と思われたかもしれない。

「別にしてもいいと思うよ。あなたが死んでも、わたし何も思わないから。でも、目撃者になったら面倒だから、わたしは帰るね」


 そう言って彼女は屋上から去って行った。取り残されたわたしはただどこも見ずにぼぅっと突っ立ているだけだった。しばらく上の空だった意識が急に戻って来る。わたしは屋上から校庭を見下ろした。運動部が練習をしている。とりあえず、ずっとここにいたってしょうがないので、わたしも屋上から立ち去ることにした。

 あの時間は、なんだったのだろう。名前も知らない彼女に、あの雨の日に会った茜という女の子の死を伝えられ、わたしの希死念慮を言い当てられ、死んでもいいと言われた。訳が分からなかった。出来事に振り回されていた。でも一つ分かったことがあるような気がする。彼女に自殺してもいいと言われた時、きっとわたしは自殺できないと、はっきりと分かった。他人に死んでもいいと言われて、懸念が確信に変わってしまった。それを知った帰り道は、ぬるい絶望の中にいるみたいな気分だった。あの雨の日、屋上には二人の人間がいた。死にたいと思って死んだ人間と死にたいと思って死ねなかった人間。前者が茜で、後者がわたし。後者になったわたしは、これからもこの出来事を心のどこかにしまいながら、死にたいと思いながらも死ねない人生を送っていくのだろう。もう、追いつけない。

 

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先を越される 瀬希瑞 世季子 @sekizui_sekiko

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