第3話 2066年12月18日 06:00

 とあるマンションの一室で、目覚まし時計の甲高い電子音が鳴り響く。ベッドの中ではこの部屋の主が、アラームの音から逃れるように頭まで布団を被ってもそもそと動いている。

 アラームが鳴り続ける中、布団の中身はしばらく無駄な抵抗を続けるが、とうとう諦めたのか布団の隙間からにゅっと腕を伸ばし、目覚まし時計を憎らしげに止める。


「んんんうー……」


 ばさっと布団をめくり、ベッドの上で体を起こし伸びをする少女。小柄でスレンダーだが、均整の取れたその身体からだに纏っているのはキャミソールとショーツのみ。きめ細かい健康的な肌に艶のある黒髪が映える。

 まだ重いまぶたを軽く擦りながらベッドから降り、少々覚束無おぼつかない足取りでベッドルームから廊下へ出る。


 洗面台にて冷水で顔を洗うと少し意識がはっきりしたのか、鏡に写る凛々しい顔には先ほどまでの気の抜けた表情は無くなっていた。


 肩より少し下まで伸びた、毛先に少し癖のある黒髪をヘアゴムで軽くまとめると、彼女のトレードマークであるポニーテールが完成する。


 モノトーンカラーで統一された家具が置かれたシンプルながら広々としたリビングに入ると、最近のお気に入りプレイリストをオーディオから再生させる。70年程前の楽曲だが、唯一無二とも言われる独特の世界観と変拍子を織り交ぜた透明感のある男女ツインボーカルを偶然耳にしてからというもの、このグループの虜になっていた。


 オーディオから流れる音楽に合わせて鼻唄を歌いつつ、オープンキッチンの奥にある冷蔵庫からゼリー飲料とプロテインバーを取り出し、先ずは一口ゼリー飲料に口を付ける。お行儀良く足で冷蔵庫を閉めると、リビングに戻り少し固めのソファーへと身を沈める。


 プロテインバーの包装を開けて一口齧りつくと、パキン、シャキ、サク、と独特の食感と何とも形容し難い風味が口内に広がる。栄養補給機能のみを優先している為か、肝心の味は二の次になってしまっている様だ。

 いつもと変わらない味に顔をしかめつつプロテインバーを一気に頬張りバリバリと咀嚼すると、残ったゼリー飲料で胃の中へと流し込む。

 質素な朝食を終えて、残ったゴミを両手でくしゃっと丸めると、部屋の隅にあるゴミ箱へノールックで放り投げる。ゴミは綺麗な放物線を描き、見事ゴミ箱の中へと収まる。


 朝のルーティンを終え、部屋の主である少女、安倍あべ茉莉亜まりあは白い天井を見上げ、しばし間物思いに耽る。折角の休日だというのに、特に予定もない為、今日一日をどう過ごしたものかと思案していた。


「あ、そうだ」


 と、ここ暫くの任務続きの日々にかまけて、愛用銃の手入れが疎かになっていたことを思い出し、ソファーから勢い良くぴょんと立ち上がり、軽やかな足取りで寝室へと向かう。


 寝室のクローゼットの折れ戸を開き、ハンガーに掛けられた幾つかの衣類を端に寄せると、クローゼットの中へと入る。奥の壁の巧妙にカムフラージュされた隠し扉を開くと、内部は六畳ほどの窓の無い空間になっており、壁面全てが様々な工具や多種多様な銃器類、タクティカルスーツ等の装備品で埋め尽くされていた。


 部屋の中央にある作業台には、黒い牛革製のホルスターに納められたリボルバーが一丁、無造作に置かれている。ホルスターから銃を抜き取ると、その独特の形状をした姿があらわになる。


 .357マグナム弾を六発装填できる角の取れた六角形のシリンダー、シリンダー下部へ繋がるポリゴナルライフリングの2インチバレル、ウォールナット材のグリップ、さらには中折れ式ブレイクオープンにその他諸々、趣味と実益を兼ねたワンオフの特注品である。普段は護身用に隠匿携帯コンシールドキャリーで持ち歩いているが、ここ数週間は立て続けに任務をこなしていた為、久し振りのご対面に自然と口角が上がる。ドイツ語でほたるを意味するGlühwurmグリューヴルムと銘打たれた刻印を、愛おしげに指でなぞる。


 まずは本体左側面にある後部ラッチのリリースレバーを操作し、バレルの付け根下部のヒンジを少し開きシリンダーが空なのを確認する。さらにヒンジを最大限まで開くとシリンダーの回転がロックされ、カシャンと乾いた音と共にシリンダーの薬莢排出機構が作動する。その状態でシリンダーの留め具を外し、シャフトからシリンダーを抜き取る。続いてバレルの根本を操作すると、ワンタッチで本体から分離される。

 ここまでの野戦分解フィールドストリップに工具は必要なく、シリンダーとバレルを交換すれば9×19mmパラベラム弾や.40S&W弾を使用することも可能である。


 取り外したバレルとシリンダーに有機溶剤ソルベントを吹き付け、付着したすすなどを専用のブラシで擦り取る。とはいえ、会社組織射撃場シューティングレンジで慣らしに試射した程度なのでほとんど汚れはなく、ウエスで仕上げ磨きをすればブラックアルマイトマットブラックが妖艶に鈍く光を反射させる。


 先程とは逆の手順で銃を組み立て、仕上げに可動部分にオイルをして馴染ませれば、簡易メンテナンスは終了である。


 その後、興が乗った茉莉亜は他の銃や装備等のメンテナンスを始めた為、一息つく頃にはたっぷり4時間程を費やし、作業台の上に置かれたPDWやコンバットナイフ等の愛用品達がまるで新品同様にピカピカになっていた。


「……よし、とりあえず今日はここまで」


 時計を見れば、時刻は11時少し前。そろそろ昼食の事を考える腹具合だが、久し振りの休日に折角だからと少し奮発して外食にする事に。但し、ソルベントやオイルの匂いを漂わせたまま外出するやべー女になる訳にはいかないので、軽くシャワーを浴びてから。


 ボニーテールをほどきながら作業部屋を出て脱衣所へ。キャミソールとショーツを脱いで洗濯機に直接放り込み、シャワールームに入ると熱いシャワーを頭から浴びる。腰元にはタクティカルスーツ等の装備品との非接触型接続端子がうっすらと見えるが、意識しなければ見落としてしまうほどに生体と馴染んでいる。


 泡のボディーソープで一通り全身を洗い終えると、続いてリンスインシャンプーで適当に髪を洗い流す。ろくに手入れをせずとも、さらに昨日のような荒事を幾度と無く経験しているにも関わらず、茉莉亜の濡れ羽色の髪は潤いと艶を失わず、そのきめ細かい柔肌にはかすり傷一つ存在しなかった。


 シャワーを終え、バスタオルで軽く体と髪を拭くと、OD色オリーブドラブのスポーツブラのセットを身に付ける。バスタオルをフェイスタオルに持ち換え、髪全体を包むように頭に巻き付けながら、リビングと廊下に繋がるウォークスルークローゼットへと向かう。


 その中には大量の衣服や履物、服飾品等が整然と陳列されており、少しの思案の後、適当なコーディネートを掴むとリビングへと進む。


 ソファーの背もたれにコーディネート一式を無造作に放り投げ、頭に巻いたタオルを取るとものの5分程しか経っていないにも関わらず、殆ど乾いた状態だった。


 まずはダークブラウンのカラータイツに足を通し、伸ばしながら腰まで上げる。続いてクリーム色のタートルネックセーター、赤のチェック柄プリーツスカート、防弾仕様の黒いレザージャケットを順に身に付ける。最後にグレーのキャスケットを被り、姿見で全身のコーディネートを確認する。軽い変装も兼ねている為、髪は下ろしたままである。

 ショルダーポーチに財布や携帯端末と共に、先ほど手入れを終えた装填済みの相棒・グリューヴルムと予備のスピードローダー1つを入れる。ついでにレザージャケットの内側に数本のスローイングダガーを忍ばせる。5拍子のインストゥルメンタルが流れるオーディオの電源を切り、玄関へと向かう。


 玄関扉横のシューズクロークから編み上げのロングブーツを取り出し、あがかまちを越えた先、広い玄関ホールに置かれたスツールに腰掛けながらブーツの紐を締めていく。

 傍らに備え付けられたキャビネットの上に置かれたアクセサリートレイから、非接触型ルームキーを兼ねたブレスレットを取り、左手首に装着する。ブレスレットには数個のガラスビーズが紐で連なり、その先には十字架をモチーフにしたアミュレットがぶら下がっており、時折袖口からチラチラとその姿を覗かせる。


 準備万端いざ出発というタイミングで、茉莉亜の携帯端末がメッセージの着信を知らせるメロディーを奏でる。

 ポーチから携帯端末を取り出しメッセージを確認すると、途端に苦虫を噛み潰した様な顔になり、がくりと項垂うなだれてしまった。どうやらゆったり休日を過ごせるのはここまでの様だ。


 渋々、嫌々、不承不承、どうしても仕方なくというていで、指示された場所に向かうべく、部屋を後にする茉莉亜であった。

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