罪の足跡

しーちゃん

罪の足跡

離れて気がつくこともある。なんて愚かな母親なのだろう。元々母親になった私のイメージなんてできなかった。でも、子を持てば勝手に親になれると思っていた。あの子が産まれる前、この子の父親から私は逃げた。周りが言うよな浮気とか蒸発したとかじゃない。彼は精神科医として働いていた。私はそこの患者だった。職場でのトラブルから私は精神的に追い詰められ彼のクリニックに受診したのだ。彼に話を聴いてもらう内に私は彼を好きになっていた。彼は仕事で話を聞いていることは、分かってる。でも、私は彼を求めた。人生においてそうそう奇跡は起こらないが、過ちは幾度となく起こる。その過ちは幸せから始まることもある。最終診察時間で私は彼に会いに行く。これは私の中での精一杯の計算。何度か受診するうちに、一緒にご飯に行くことになった。嬉しかった。私は彼の仕事が終わるのを待つ間、メイクや身なりを整えた。2人でお酒を飲み終電を逃す。お互いタクシーで帰るか話しながらホテル街に向いて歩く。「もう、今日はどこかに泊ませんか?」そう聞く。私は酔いのせいか緊張のせいか、一気に心拍数があがる。「そうだね。」彼は私の手を繋ぎホテルに入った。それからと言うもの、決定的な一言がある訳ではなく、私達は付き合っているのか付き合っていないのかよく分からないまま関係が続いた。そんな関係に満足していた訳じゃないが、これ以上求めれば全てが消えてしまうと思った。私は怖くて何も言えないまま時が過ぎた。ある日突然吐き気に襲われた。ふと不安がよぎる。カレンダーを確認する。もう3ヶ月来ていない。あわててドラッグストアに行き検査薬を買った。結果を見て唖然とした。嬉しいとかそんな感情はまるでない。私の頭を『どうしよう』が埋めつくす。彼になんて話そう。でもきっと迷惑をかけてしまう。私は日に日に大きくなるお腹を見て焦り彼から逃げた。何も話さないまま1人で子供を育てることを決めた。子供を産んでから、寝る暇もないくらい家事に子育てに仕事に終われ、私は疲れ果てていた。子を持つと女は強くなるとか全くの嘘だ。私は弱いままじゃないか。いつまでも泣き止まない赤ちゃん。不安と苛立ちが私を支配した。お母さんに手伝ってもらいながら何とか生活する日々。私には余裕なんて何一つ残っていなかった。そんな時だった。2歳になった娘ユアがコップを倒した。私は気がつけば彼女の頬を叩いていた。なんて事をしてしまったんだと自己嫌悪に襲われた。でもその日を境に、何かあると娘に手を挙げてしまう。その度にけたたましく泣く娘。私は彼女に極力近ずかないようにした。ご飯を与え、お風呂に入れ、それ以外はほとんど放置した。近ずかないのがお互いの為だと本気でこの時は思っていた。彼女は私をママと呼ぶことは1度もなかった。そんなある日娘の部屋から声が聞こえる。「ねぇ、お姉ちゃん。今日はおままごとしましょ?」「いいよ!私ママ役する」私は愕然とした。私の娘は誰と話しているの?お姉ちゃん?娘は一人っ子だ。姉なんていない。娘がおかしくなった。そう思った途端にまた私は不安になる。それから彼女は誰かとよく会話をしている。1人で私の三面鏡を使って。彼女の会話にはいつも『お姉ちゃん』が必ず居た。そして、気がつけば娘の一人称は『私達』になっていた。何時でも彼女はお姉ちゃんと一緒にいると思い込んでいる。隣に住むおばぁちゃんが私に言う。「アンタ、子育てちゃんと出来ているのかい?学校にいかけてるのかい?あの子はなんなんだい。頭がどうかしてる。それにアンタ旦那はどうしたんだい?」そんな嫌味な言葉に私の心は限界だった。私は買い物に行き、たくさんの保存食を買い込んだ。安いが沢山の服を買い、家に帰り娘の部屋に向かった。ドアの開く音に反応しない娘。「今日はパイを作るわ。一緒に食べましょ?」そう言い娘を無理やりリビングに連れて行った。娘は不思議そうな顔をしている。私は彼女の頭を撫でて涙を堪えた。私が泣いていいわけない。娘は「美味しい。」と呟いた。その日は私のベッドで一緒に眠ろうと話し、小さく頷いた彼女を寝かす。気がつけば娘はこんなに大きくなっていた。夜中何度も泣いていた彼女はもう12歳になる。頭を撫で呟く。「私の可愛い子。」小さな寝息をたてる彼女が起きないように部屋を出た。私は1枚の手紙を書いた。『私は懺悔しなければならない事があります。しかしその前に救けてあげて欲しい、手を差し伸べて欲しい子供がいます。』そして、必要最低限の荷物をもち、家を後にした。

私は最低だと思う。でも、私も頑張った。頑張ってきたの。何度も自分に言い訳した。家を出る前はあんなに後悔し自分を責めていたのに、今は自分を援護する言葉が埋めつくす。そんな私に書いた手紙を投函する勇気なんてなかった。子を捨てたことがバレてしまう。罪悪感よりも不安が勝ってしまった。実家を頼るわけにはいかない。私は夜の仕事を始めた。実家の母から連絡は来ていた。「最近は大丈夫なの?」「ユアちゃんは元気?」そんなメールに返事をしないまま1ヶ月が過ぎた。そんな時、お店のテレビで虐待を受けたのちに両親の手によって殺害された子供の事件を知った。私は彼女を殺してない。彼らよりマシだ。私よりも最低な奴らがいると安心する。でも一瞬でその安心はかき消された。餓死していたらどうしよう。もしかしたら病気になっているかも。色んな最悪が頭をよぎる。私は急いで家に帰り手紙を探した。あの日書いた手紙。勇気がなく、しまったままにしてしまった手紙。見つけるや否や家を飛び出し郵便ポストに投函する。娘を助けたい気持ちなんて私はこの時持ち合わせてなかったかもしれない。この罪から解放されたかった。

それから数年して、電話がかかってきた。懐かしい番号。「もしもし、相澤です。」その声に涙が溢れた。私は何も言えないでいる。「彼女は私の、、、いや、私たちの娘なのか?」そう聞かれて声にならない声で頷きながら必死に答えた。「そうか。」と少しため息混じりに答える彼。そんな彼に「ごめんなさい。」と何度も伝える。彼は失望しただろうか。いや、そもそも彼を捨てた日に失望していたかもしれない。こんな時でも私は私の事で精一杯だ。「よく、頑張ったね」彼の意外な一言に言葉が出ない。「君は君なりに苦しんだんだろ?彼女の身体には傷はなかったし、やせ細ってもいなかった。彼女の好物はお母さんが作るパイだそうだ。彼女は君に捨てられたあとも君を思っていた。自らで母親を演じ生きていた。君のしたことは保護責任者遺棄と言う立派な罪だ。どうか、しっかり向き合ってほしい。」涙が止まらない。「私は彼女とこれから向き合う。君の苦しむに気が付かず申し訳ないと思う。償いと言う訳では無いが彼女をこれからしっかり育てていく。だから君もどうか。信じている。」そう言い彼は電話を切った。こんなに私は泣いているのに空はひどく晴れている。私はヨロヨロと歩き始めた。私はこの先強くなれるのだろうか。弱いままなんじゃないか、色んな不安が襲う。両親になんと言われるか。これから生きる上で私の罪はどう影響するのか。いつでも自分のことばかりで精一杯な私は誰かのために何かを出来るのか。嫌な妄想は尽きない。それでも、どうにかするしかないのだ。信じて進むしかない。そのために、まずは私は私の罪を受け入れ償わなくてはいけない。自分の気持ちを抑えられず、我が子に手を挙げたこと。それを恐れ、彼女と距離を置いたこと。寂しい思いをさせたあまり、彼女は現実逃避し、鏡に映る自分を双子の姉だと想い生活させてしまったこと。

目的地につくなり私は彼らに言う。

「私は娘を捨ててしまいました。保護はされたそうです。保護した人の名前は相澤匠。精神科医です。娘の名前は結ぶ愛と書いて結愛です。中本結愛です。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

罪の足跡 しーちゃん @Mototochigami

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る