第45話 決意
「ぐっ」
どんっと壁にぶち当たって、トムソンは枢機院があっさりと手を引くはずだと納得する。こんなの、戦いにすらならない。嬲り殺されて終わりだ。
「そこでゆっくりしているんだな、トムソン神父。俺はこの半端な覚悟しか出来ない魔導師に用事があるんだ」
にやっと笑って、マクスウェルはまだ倒れたままのラグランスに近づいていく。待てと呼び止めたかったが、肋骨が折れているのか、息を吸っただけで痛みが走った。
「マジかよ」
なんとか出た声は掠れている。これでも、神学校時代からケンカには慣れていた。そんなトムソンでさえ、どうにも出来ない。肉弾戦に持ち込んでも、吸血鬼の怪力の前では何の役にも立たないだろう。そんな恐怖が、ずずっと身体の中を這いずり回る。そして、その恐怖は止めどなく大きくなった。
「ヤバいな」
それは生存本能に関わる恐怖へと変わっていく。マクスウェルに近づこうとしては駄目だ。話し掛けては駄目だと、身体が全力で拒否してくる。そのマクスウェルは、まだ床に寝転がるラグランスを無造作に掴み上げた。胸ぐらを掴み、高々とその身体を持ち上げてしまう。
「ぐっ」
「戦え。総てを終わらせるにはそれしかないぞ」
全身を打った痛みに呻くラグランスに、マクスウェルは目を鋭くして言い放つ。他の道はない。それはすでに理解しているはずだろ、とイライラを隠すことなく言う。
「そう、だけど。マクスウェル、君は」
「余計なお節介をしたいのならば、俺と戦え。そして俺を殺せ!」
ラグランスに対して効果的な言葉を投げつけ、さらに持ち上げた身体を思いっきり振り回して投げる。
「うおっ」
まさかこっちに飛んでくると思わなかったトムソンは、何とか受け止めようと立ち上がったが、馬鹿でかい剛速球を素手で受け取るのと同じで、思い切り巻き込まれて共倒れになる。
「ぐあっ」
「いっ」
しかし、トムソンがクッションになったおかげでラグランスはそれほどダメージはなかった。だが、クッションになったトムソンは再起不能だ。
「わ、悪い」
「あ、後で治癒魔法を頼む」
今ので肋骨完全に折れたと、トムソンは呻いてその場から動けなくなる。これで完全に防御は絶たれた。トムソンが二人の戦いに介入することは出来ない。
「――」
ラグランスは立ち上がると、覚悟を決めてマクスウェルと対峙する。そのマクスウェルは、再び牙を引っ込めて優雅に佇んでいる。その変幻自在の姿に、どうしても惑わされそうになる。でも、彼の本音は一つだ。吸血鬼みたいに相手の考えを読む力がなくても解る。
「本当に、ここで終わらせていいんだな」
「もちろん。告解は総て終わっている。そして結論はどうあっても変わらない。だが、俺はただ倒されるなんて望まない。神が理不尽な罰を与えた。俺は何一つ間違っていない。だから、俺はこの世界の総てを食らい尽くす吸血鬼に堕ちてやる」
「俺は、全力で止める」
遠慮していては駄目だ。ラグランスを食らって吸血鬼として暴走してしまうのは、何があっても止めなければならない。つまりは、倒す以外に、その魂を完全に吹っ飛ばすかもしれない魔法に賭けるしかない。
互いに本当は解り合っている。こんな天罰なんて間違っていると思っている。しかし、それに背く道は用意されていないのだ。どちらにとっても、逃げ道は存在しない。
「神のご加護を」
ラグランスは気持ちを落ち着けるために印を切ると、ぎっとマクスウェルを睨み付けていた。
覚悟を決めたつもりでいた。でも、殺すのが正しいと思ったわけではない。
もちろん、吸血鬼を倒さなければならないのは解っている。もし自分を食らってしまったら、彼をこの世界に止める楔は消えてしまうだろう。そして、理不尽な神へと復讐すべく、その命が尽きるまで誰かを食らい続けてしまう。
でも、本当にどこにも救いはないのだろうか。救いがないのなら、どうしてマクスウェルと対話することを望む自分が倒す役目を負わされたのだろう。何だか違う気がする。
もしも殺すだけならば誰でも良かったはずだ。正しく倒す方法があるのならば、それは魔導師の資格を持つ誰もが使えるもののはずだ。
なのに、どうして自分だけなのだろう。
どうして、魔導師としては中途半端でありながら、吸血鬼に堕ちたマクスウェルを救いたいと願う自分だけなのだろう。
「殺したくない。魂を消し去りたくない。彼を、救いたい」
祈りを終えたラグランスは、静かに目を見開く。自分を挑発するために必死に悪であろうとする友人を、恋い焦がれた相手を見つめる。
もしもただ倒されるだけを願うのならば、彼は抵抗しないはずだ。それでも、ずっと全力で戦うと宣言している。それは、ラグランスが吸血鬼になってしまわないよう、そう配慮してのことだ。
「そんなことをしてもらえるほど、俺は立派な魔導師じゃない」
魔法はぐだぐだだし、魔導書を構えただけでは何も呼び出せないし、政治的な駆け引きなんてもっての外だし。
そんな自分のために命を賭すると、そう言ってもらえるほどの人間じゃない。
誰かを犠牲にしてまで生き残っていいほど、ちゃんとした魔導師じゃない。
そんな自分が出来ることはただ一つだ。
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