第38話 苦しみ
マクスウェルはよろよろと食堂を後にすると、そのままシャワールームへと進んだ。そして、服を着たまま思い切り冷水を浴びる。少しでも冷静になりたくて、理性が残っていることを恨みつつも、その理性を総動員して自らのことを考える。
「くそっ」
自分で認めておいて、それでも尚、吸血鬼に堕ちることが辛いだなんて、なんて身勝手な感情だろう。もちろん、吸血鬼になった過程が理不尽だ。だからこそ、どこかで踏ん張ってしまう。しかし、それこそ神が望む罰ではないか。
「どうして、俺が」
魔導師になるきっかけが間違っていたというのならば、どうして試験を受けることを許可したのか。あの試験は枢機院の管轄だ。まず受ける前の書類審査もある。どこかで、誰かが止めることは可能だったはずだ。そして、あの場所で対面した神も止めることが出来たはずではないか。
ラグランスは何となく感じたという神の存在を、マクスウェルははっきりと感じ取ることが出来た。そして、とりとめのない話だったが僅かに言葉も交わした。だというのに、神はこの無情な判断を下したのだ。
「理不尽だろ」
どこかで納得しようと頑張っていたものが消えてしまう。助けたのに自らが食らった少女の顔が浮かぶ。牙を剥きだした瞬間の絶望の顔が、脳裏に焼き付いて離れない。
「俺が、どうして俺が殺さなきゃいけなかったんだ」
我慢していたものが溢れ出す。それまで孤独だったから、マリーがいようと孤独だったから我慢していたものが、ラグランスと言葉を交わしたことで一気に溢れてくる。
そう、本当は誰かに総てを告白して楽になりたかった。完全に敵視しない誰かに、困っていると打ち明けたかった。しかし、ラグランスの背負うものが解るからこそ、最後は縋ることなく戦うことを決めた。
でも、苦しい。辛い。そして、寂しい。
「何が賢者だ。何が魔導師だ。何も解っていなし、何も出来やしない。この世界は、たった一人の理不尽な神が支配しているだけだ」
総てを認めてしまうと、もう立っていることが出来なかった。そのまま冷水を浴びたまま、マクスウェルはそのままその場に蹲っていた。
「えっ?」
何だか呼ばれたような気がして、ラグランスは振り返った。その視線の先には、今は眠っているだろうマクスウェルのいる城が、朝日を浴びてどっしりと構えている。
「マクスウェル?」
今、助けを求められたような気がした。しかし、どうしてそう思ったのか解らない。
「どうした? まだ後七キロは残ってるぞ」
「うげっ。そうだった」
だが、立ち止まってはいられなかった。マーガレットの特訓により、ただいま走り込みの最中だ。それにトムソンも付き合わされている。
「強く、ならないと」
走り出しながら、助けるためには力が必要だ。ラグランスは自分の中に広がった不安を振り払うように前を見据えていた。
健全な肉体には健全な精神が宿る。
そんな標語を実践するかのようなマーガレットとメニューに、ラグランスはへばりそうだった。
「一週間で基礎体力ってどうにかなるのかぁ」
筋肉痛の足を擦りながら、ラグランスはのたうち回る。こんなに走ったこと、今までになかった。神学校の授業の体育なんてストレス発散程度でしかないし、魔導師になるためにある程度の体力強化はしたものの、これほど走ったことはない。
「確かにな。毎日十キロは辛いぜ。しかも下半身の強化メニューが多いんだよ」
同じく床に寝そべるトムソンもへろへろだ。こちらは日頃の怠けが完全に祟っている。
「寝てないでスクワット」
そんな二人に、監視役のラピスが容赦なくバケツに汲んだ水を注いでくれる。冷たい水に、二人はひゃっと声を上げて立ち上がった。鬼め。
「魔法を持続させるためには正しい姿勢が必要なんですよ」
「わ、解ってるよ」
まだ不満たらたらな顔をしていたら、ラピスから正論が飛んできた。確かにその通り。魔法を放つのは腕だが、それを正しい方向に飛ばして持続させるためには足腰の力が重要だ。ここがぶれていると、どれだけ強力な魔法を放っても明後日の方向へと飛んでいくことになる。
とはいえ、一週間の付け焼き刃で大丈夫なのだろうか。ラグランスは途轍もなく不安だ。それだけ大掛かりな技になるのだろうが、筋肉痛が辛い。
「はいっ、いちっ」
しかし、考える暇もなくラピスの号令が始まった。ラグランスとトムソンは慌てて頭の後ろで手を組んで腰を落とす。ぶうぶう文句を言いつつもちゃんとメニューをこなしてしまうあたり、校則の厳しい神学校出身者ならではの根性だ。
こうして午前中一杯は下半身の筋力強化が続く。そしてその後、トムソンは集中力を養うための瞑想。ラグランスは秘法をマーガレットから授けてもらうことになっている。
「はあ。しかし」
その秘法が途轍もなく感覚的で、ラグランスは困っている。マーガレットも、使えるのは神に選ばれた者だけだという秘法であるから、総てを教えられるわけではないと、少し申し訳なさそうだ。そこが、大変なところ。
「ラグ。遅れてるわよ」
「はいっ」
だが、今はスクワット五十回が辛い。悲鳴を上げる足腰に鞭を打ち、必死に課題をこなすのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます