第12話 色のない世界
「それに、奴隷とはいえ人間だし」
「そこは割り切るしかねえだろ。奴隷というものが公認されている時点で、同じ人間だからなんて理屈は通らないぜ。奴隷っていうのは金で売り買いされる、いわば物と同じなんだからな。それにあんただって、牛も豚も食わないってわけないんだし」
「うん。まあ、ね」
やはりそういうことを考えたことがあるのか、ゼーマンはすでに提供される奴隷を家畜と割り切る考え方をしていた。それに、ラグランスはやっぱり胸が痛む。
奴隷を許容している時点でどう扱われても仕方ない。そう指摘されると痛いのだが、それでも、食べられることまでを許容しろというのはおかしい。
「ああ、もう」
今は奴隷制度まで考えている余裕はない。それに今、奴隷制度を廃止すれば、それこそマクスウェルに渡す人間をどうするかという問題が浮上するのだ。こうやって、たった一人でも吸血鬼になっただけで、何かがおかしくなっていくのだ。それが、あちこちに矛盾を感じるラグランスを奮い立たせる。
それに、マクスウェルだって悩んでいるのではないか。そう思うと、無視できなかった。ここに来てちゃんと生活していると知っても、吸血鬼という未知なる存在はたった一人だけだ。どうすればいいのか、困っているのではないだろうか。
「そりゃあ困ってはいるだろうよ。自分で解決していかなきゃいけない問題ばっかりだ。でも、お前に相談できる内容なのか?」
「うっ、それは」
ゼーマンの当たり前の指摘に、ラグランスは言葉に詰まる。
「しかも吸血鬼になった理由も誰にも相談していなかったんだろ? そう簡単に打ち解けてくれるか?」
さらに追い打ちを掛けるようにトムソンがそう訊いてきた。たしかにそう。ラグランスの思いはどれも一方的だ。第一段階として、打ち解けられるのかも問題だ。
「そうだよなあ。向こうは、俺の存在なんて忘れてるかもしれないし」
しょんぼりとしてテーブルに突っ伏してしまう。
ここで割り切って酒を飲めればまだ気分は晴れるかもしれないが、魔導師であるというなけなしのプライドがそれを許さない。
「覚えてないって言われたらどうしよう」
「ははっ。それが最も悲しいパターンだな」
がははっと、ゼーマンとトムソンは笑い飛ばしてくれる。この酔っ払いどもめと思ったが、ハードルはますます高いものに感じてしまった。
「ああ、もう」
どうしてこんなに難しいんだと、ラグランスは一人頭を抱えてしまった。
夜になると、自然と目が覚める。日中に間違って目が覚めることはない。間違って目覚めて、伝説のように日光を浴びて消えられればいいのに。そう、何度か思う。
朝まで起きて実践しようとしたこともあったが、それも無理だった。身体が、本能的に忌避してしまうのだ。それは恐怖心なんかでは片付けられない、まさに神が課した何らかの力によるものだった。
「自分で死ぬことは許されない。狂って、誰かに倒されるまで、この苦しみは続く」
そう呟いて起きる自分にも嫌気が差すが、確認していないとやっていられない日もある。マクスウェルは目を覚まして、真っ暗な外を見つめた。
日中の景色は、きっと綺麗なのだろうなと思う。夜には色がない。黒と紺色の世界だ。人々が灯す小さな明かりはあるものの、こんな田舎町では多くが二つの色合いだ。
今日は曇っているからか、余計にそう思うのだろう。星と月の明かりがないと、本当に色が少ない。まるで神が創造する前の世界のように――
「マクスウェル様。お目覚めですか?」
「ああ」
しかし、物思いも長続きはしない。マリーが呼びに来た。彼女はいつも、自分より少し早く目覚める。マクスウェルに仕えることが唯一存在する理由だからだろう。
今日もメイド服を身に纏ったマリーは、すでにコーヒーを用意していた。ベッド脇のテーブルにコーヒーを置く。
「ありがとう」
「いえ。何か心配事ですか?」
「え? うん。まあね」
会話は成り立つのだが、いつもどこか空々しい。だから、心配事があるのかと問われたことに驚いた。
「私は何も考えられませんから、マクスウェル様は大変なのでしょうね」
「まあね」
小首を傾げるマリーは非常に愛らしい。だが、マクスウェルの心は暗く重くなるだけだ。この少女の総てを、命を繋ぐ代償としてマクスウェルが奪ってしまった。思考があまりできないのもそのせいだと、言ってしまいたくなる。もちろん、言ったところでマリーから芳しい反応は得られないだろう。それが無性に悲しい。
「今日も町へ?」
「ああ。ちょっと気になることがあるからね。魔導師が、この町に来ているらしい」
「まあ」
マリーは酷く驚いた顔をした。そんな反応をするのは初めてで、マクスウェルは驚かされる。だが、倒されるかもしれない。その本能的な恐怖ゆえの反応だろう。彼女には人間らしさというものがあまり残っていないのだ。
「どうやら昔の知り合いらしくてね。どういう目的があるのか。探らなければならない」
「マクスウェル様も魔導師でしたものね」
「――そう。必死にね、勉強したんだ」
「勉強?」
「そう。魔導師になるのはとても難しいんだ」
「マクスウェル様でも?」
「当然だよ。あれは最難関の試験だからね。それにあの試験は、色々なことを試されるから」
一体何の話をしているのやらと、マクスウェルは苦笑してしまう。
魔導師試験を受けたことが、もうずいぶんと昔のように思えてしまう。無事に試験を突破し、魔導師として誇り高く生きていたのは、まだ三年前の出来事だというのに。
「俺は、どうして」
「マクスウェル様?」
「いや。世の中には色々とあるなと、そう思うだけさ」
自分が禁を破ったことを、こうして強く意識する日々。しかし、同時に思うのだ。神はどうして、自分だけを吸血鬼にしたのだろうと。他の奴ら、自然の理を侵そうとした自分より下劣な奴は多くいるのにと、悲しくなる。それだけ闇が深いと判断されてしまったのか。
「常に誰かの血肉を啜るに値する罪、か」
町へと向かう前、また、マクスウェルは独り言を呟いていた。
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