第7話 苦悩
「いいや。大丈夫。少し薬の調合について悩んでいただけだ」
本人に告げてもせんないこと。マクスウェルは町で相談された胃腸に効く薬について考えていたと言い換える。
「そうですか。何か準備しておきましょうか?」
「いや。大丈夫だ」
テーブルの上には、二十代くらいの男が寝かされていた。ここに連れて来られて、何日も眠れない日々を過ごしたであろう男の顔は窶れていた。しかし、そんな日々に収束が訪れると解ったからか、眠る男の顔は幾分穏やかなものだった。
「俺は、どれだけの罪を犯せば」
男の顔を見ていると胸が苦しくなってくる。食べ応えを重視しているのか、王朝の連中は若くて、ちょっと肉付きのいい奴を送り込んでくる。だが、別にマクスウェルたちには関係ない。メインは血であり、肉を食べるのは一滴でも多くの血を啜ろうとする結果でしかない。
もちろん、若い方が美味しいのは言うまでもない。老人は酸化した味がする。
食べるまでに一か月以上かかるので、彼らは概ね、太ってやって来ても食べる頃には標準体型になっている。こちらとしても、デブよりこのくらいのサイズの方がいい。人間の脂は、さほど美味しくない。口の中にいつまでも人間を食らったという味が残り続けるのも不快だ。
そんな思考をしている自分が馬鹿馬鹿しくなり、さっきまでの悩みは何だったんだと、また自己嫌悪に陥ってしまう。だから――
「いただきます」
それは神へ向けての言葉か、今から死ぬ彼に向けて言うべき言葉か。しかし、牙を剥き出しにしてしまえば、そんな些細なことはどうでもよくなってしまう。
首筋に、頸動脈に牙を突き立て、まずは噴き出してくる鮮血を啜る。そうやって喉を潤しているともう、後はただただ食らうだけだ。何も感じない。美味しい食事をしているだけ。いつもそう。
「――」
だからこそ、総てが満たされ、顔を上げた時に激しい後悔がやって来る。
真っ赤に染まった景色。それを見て、ああ、また食べてしまったんだと、悲しくなる。
「せめてもう少し綺麗に食べられれば」
少しは後悔が減るだろうか。人一人の命を奪って生きながらえたとしても、ちょっとは後悔しないだろうか。
食事の後はいつも惨状だ。テーブルの上に広がった骨と肉の残りかす。そして飛び散った血。明らかに食い散らかしたとしか言えないテーブルの上に、マクスウェルは気分が悪くなる。そんな最悪の状況に顔を顰めていると、マリーがさっと現れてナプキンを渡してくれる。
「後は私が片付けておきます」
そして何でもないように退出を促した。いつもいつも、彼女が何もかもやってくれる。それに、とても情けなくなる。自分が吸血鬼にしてしまった少女に食事の世話をしてもらわなければならないほど、今の自分は落ちぶれている。
「頼んだ」
声は、とても弱々しく出た。せめて傲慢に命じられたらどれほど楽だろうと、そんなことを思いながら、食べ散らかした後に目を背けていた。
血みどろになった身体を洗うためにシャワーを浴び、着替えを済ませると、マクスウェルはようやく町へと向かった。吸血鬼になって便利だと思うのは、この移動の時か。瞬間移動という能力は、魔導師にはない。
部屋から、町にある診療所に一気に移動する。そして入り口にやって来たことを示すランプに明かりを灯し、相談者がやって来るのを待つ。それがこの町に住むようになってからのルールだ。
しばらくすると、自警団の団長を務めるゴルドンがやって来た。昼間、ラグランスに絡んだ一人である。
「こんばんは、マクスウェル様」
「調子はどうだい?」
体格のいいゴルドンを迎え入れ、マクスウェルはにっこりと笑う。その仕草は優雅で、とても吸血鬼に堕ちた男には見えない。魔導師という職業がぴったりと当てはまる所作。ゴルドンはいつもそう思う。
「それが、昼間、魔導師が来てましたよ」
しかし、今日は優雅な所作に見惚れている場合ではない。その魔導師が問題なのだ。
「え?」
案の定、訊き返したマクスウェルの顔は穏やかだが、目が鋭くなっている。それにゴルドンは慌てた。
「だ、大丈夫です。トムソンの友達だって言ってたし、魔導師のマント着てるくせに、かなり馬鹿っぽい奴だったし」
「馬鹿っぽい?」
魔導師なのに? と、矛盾する内容にマクスウェルは眉を顰める。
「え、ええ。本当に馬鹿でしたよ。普通の奴みたいに驚くし、おどおどしてたし」
魔導師とは賢者であり、この国では王と枢機院の次に権力を持つ存在で、この国の象徴のようなものだ。そんな奴が驚いたりおどおどしたり、これは普通ではあり得ない。だが、昼間の魔導師はまさにそれをやっていた。
「ふうむ」
しかし、マクスウェルは見ていないだけに信じられないようだ。ゴルドンは嘘じゃないですと、さらに言葉を重ねていた。
「いや。君を疑っているわけじゃないんだ。そんな奴が試験に通るのかなって」
「ま、まあ、そうですよね。あの試験って、くそ難しいんですよね」
ゴルドンもあいつ、よく通ったなという顔をしてしまう。そんな素直な反応に、マクスウェルは話が本当らしいと確信する。
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