第5話 真っ赤な世界
「おそらくですが、他にはいません。よく吸血鬼に噛まれた者が吸血鬼になるって伝承がありますが、我が国の吸血鬼には当てはまりません。食い殺されて終わりなんです」
「――」
それは重い事実だなと、トムソンもラピスも顔を顰める。ということは、吸血鬼の身に堕ちてしまったマクスウェルは、孤独に生きているということか。
「俺は、一人の人間が食い殺される場面を見ました。マクスウェルは首に噛みつき、血を啜り、そして肉を食らった。その場面を見ているからこそ、その、ここでのことが信じられないっていうか」
ラグランスも、ここまで意気揚々とやって来た気分が萎んでいた。魔導師になれば、賢者になれば解ると思っていた吸血鬼の秘密も、未だに解らず終いだ。
吸血鬼と呼ばれるものは、おそらく伝承されているよりももっと複雑なものだ。だから、神に背くという行為が必要なのではないか。それが、ラグランスが三年間考えて得られた結論だ。
「なるほどね。ま、何にせよ、実態を調べるってことだよな。だったら手伝ってやるよ。ただし、倒すのには同意しかねるし、いくらお前が魔導師だとしても無理だと思うね。解ってるだろ? 奴は今でも史上最強の魔導師様なんだよ」
「わ、解ってるよ」
自分では到底敵わないかもしれない。それはずっと考えていたことだ。実力の差は明確で、しかも人の血肉を啜ることでよりパワーアップしているかもしれない。ただでさえ勝てる見込みは少ない。
さらに今、マクスウェルが正常である可能性を知ってしまった。そうなると、より勝てる見込みはなくなる。相手は頭脳明晰で知略に長ける。こちらが策を弄しても見抜かれるだろう。さらに魔導師としての能力はお墨付き。ラグランスが魔導師特有の法力を使えるようになったところで、正面から当たって勝てる相手ではない。でも、今どうなっているのか。それを知らないことにはどうしようもない。
「そういうことだな。寝泊まりはここでしてもらうとして、自警団の連中にも手伝って貰うか。奴らはあんたのこと舐めてるし、倒しに来たなんて微塵も思わないだろうからな」
「た、倒しに来たとは」
「思ってなかったって? おいおい、魔導師とあろう人間が嘘はいけないぜ。話し合うと言うが、あんたの中でマクスウェルはとんでもない化け物だったんだろ? 本当に友人として接することが出来たのか?」
ぐうの音も出ない指摘だ。ついさっきだって倒す方法を考えてしまった。ラグランスは唇を噛むことしか出来ない。
片想いの相手だからと気張ってみても、マクスウェルが吸血鬼として振る舞うことを知っている。それが、心の中でブレーキになってしまっている。もうこの気持ちを伝えることは出来ないのだと、諦めになってしまっている。
「倒すなんてまず無理よ。逆に食われて終わりね。何人か倒しに来たけど、みんなやっつけられてマクスウェルが食べちゃったもの」
そしてラピスが、洒落にならない情報を付け加えてくれるのだった。
目覚めたら、真っ赤な世界があった。そんなことを経験した人間は多くないに違いない。
夜、月が東の空に昇る頃に目覚めたマクスウェルは、寝起きの頭でそう思う。
自分が吸血鬼という存在になったのだと、気づいたのは目の前の世界が真っ赤だったからだ。一面の赤。どこもかしこも血だらけで、そして、自分も血塗れだった。
周囲の怯えた目で、これが自分の所業だと理解するしかなかった。そして、舌に残る、何とも言えない甘美な味。それが、人間の血肉だと理解するのは一瞬だった。
「ああ」
どうしようもないと、その場は逃げた。いや、逃げるしかなかった。そしてここまでやって来た。
来た当初は、自分の身体の勝手も解らず、ずいぶんと苦労した。しかし、紳士的に振る舞うことが身を助けた。魔導師としての経験が、マクスウェルを最後の最後で化け物にしなかった。神に背き堕天したとされた自分が、魔導師の経験に救われるとは、何とも皮肉なものだ。
今はもう、あの重たいマントは羽織っていない。普段はこの城で手に入れたスーツで過ごしている。神に背いたとされた者が神父服を着ているなんて、滑稽以外の何物でもない。
「目覚められましたか」
「あ、ああ」
まだベッドの上でつらつらと考え事をしていたら、身の世話をしてくれるマリーがやって来た。そしてベッド脇にコーヒーを置いてくれる。
メイド服に包む少女のマリーは、マクスウェルが吸血鬼として助けた一人だ。つまり、彼女もまた、吸血鬼である。
「本日は町へ行かれるのですか?」
寝起きの身支度を手伝いながら、マリーがそう伺ってくる。
今日はどうしようか。それはその日の体調で決めることになっていた。町中で空腹となり、町人を襲ってしまわないようにと、しっかり考えなければならない。
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