恋をするなら君がいい

葉桜

第1話

 あれは今からちょうど五年前。セミの羽音と木の葉が騒めく、砂の舞う校庭。小学校最後の夏休みを目前に控えた終業式の日のことだった。

「約束だよ」

 こちらに小指を差し出してにこりと微笑む顔と、風に揺れた綺麗な黒髪を、私は一生忘れないだろう。


 数歩前を歩く部活仲間たちが楽しそうに笑っている。廊下の窓から差し込む光がまぶしくて、夏だなぁと関係のないことを思った。

「部活が終わったらマクドメルドに行こうよ」

 いつも通りに真弓が発案する。それに愛海が飛びつくのもいつも通り。

「行く行く! みんなは?」

「俺はバイトだからパス」

「私も塾だから……」

 お調子者で、優しい加藤君。大人しくて、しっかり者の凛ちゃん。二人が来ないと寂しいな。そんなことを言ったら困らせてしまうかな。グダグダと考えているうちに、愛海がツンと唇を突き出した。

「えー、凛ちゃんも? 加藤はどうでもいいけどさ」

「本当は俺がいないと寂しいくせにー」

「うん、そうなの。私、加藤がいないと生きていけない……」

「あ、そう」

「そこはノってよ!」

 愛海と加藤君は仲良さそうに冗談を言い合っている。愛海は明るくて誰にでも話しかける良い子だから加藤君と気が合うのだろう。凛ちゃんはといえば、そんな二人を見てクスクスと笑っている。彼女は意外と笑い上戸だ。

 一方で真弓はチラリと私に視線を向けると、唇の端を吊り上げた。そのままもう一人を見る。

「田辺君は?」

「俺は大丈夫だよ。佐藤さんはどう?」

 そう言って振り向いた田辺君の髪は陽光を受けてキラキラしていて、ドクンと心臓が跳ねた。うん、今日も格好良い。


 ガヤガヤと騒々しいマクドメルドの店内。うちの高校からも余所の大学からも近いこの店舗は、夕方になると私たち学生で混み合う。そんな中で奇跡的に空いていた隅のテーブルに愛海がぐったりと伏せった。

「練習疲れたー」

「まぁ、そろそろコンクールも近いしね」

 バニラシェイクを啜りながら真弓が冷静に切り返すと、愛海はプクッと頬っぺたを膨らませた。

「どうせ記念参加なんだから、そんなにビシバシやらなくてもいいじゃん。先輩たち超怖い」

「それはアンタが楽譜を覚えて来ないからでしょ」

「だってぇ」

 拗ねた愛海は部活の愚痴を次から次へと吐き出していく。よくもそこまで口が回るなと感心していると、隣に座る田辺君が私の耳元に唇を寄せて囁いた。

「ところでさ。約束、覚えてる?」

 鼓膜にダイレクトに響く声。周囲の音が突然消えたかのように錯覚する。ドキドキと跳ねる心臓を必死で抑えながら、赤くなっているであろう耳を覆った。

「それ、わざとやってるでしょ」

 軽く睨むと田辺君はクスクスと可笑そうに笑う。すっかり私で遊ぶつもりだ。意趣返しに「覚えてない」と言い残して、空き容器しか乗っていないトレイを持って席を立つ。慌てたように追いかけてくるのを無視して、氷をダストボックスの排水口に流し込んだ。


 マクドメルドからの帰り道。とっくに暗くなった住宅街を、真弓と二人、自転車で駆け抜ける。

「さっき田辺君に何を言われたの?」

「古典のノートを貸す約束を覚えているかって」

「え、それだけ?」

 まさに拍子抜けといった様子で真弓が聞き返す。

「二人でデートの約束でもしたのかと思ったのに……」

「なんで私と田辺君がデートするのよ。付き合ってもいないのに」

「じゃあ付き合っちゃいなよ」

 風を切る音とは別に、からかうような声が耳に届く。彼女とは幼稚園の頃からの幼馴染みだ。中学校は別だったとはいえ、顔を見なくてもどんな表情をしているのかは容易に想像がつく。

「別にそんなんじゃないよ」

「向こうは『そんなんじゃない』って感じはしないけどね。よくアンタのこと可愛いって言ってるし」

「うーん」

「アンタも田辺君に可愛いって言われるたびに、顔を赤くしてるし」

「それは身に覚えがあるかも……」

 恥ずかしくてはぐらかしたが、たぶん田辺君は私のことが好きだし、私も田辺君が好きだ。とても格好良い人だと思う。だけど私は田辺君自身のことが好きなのか、それとも自分を好いてくれている田辺君のことが好きなのかがわからない。確かに田辺君と目が合ったり、可愛いと言われるとドキドキする。だけどそれは同年代の男子に言われているから意識してしまっているだけで、他の男子でもいいのでははないだろうか。

「そんなに深く考えなくていいじゃん。彼氏がいるって、それだけでステータスでしょ」

「またそうやって身も蓋もないことを言う……」

 女子同士で固まっていた中学生の頃とは違い、高校生になってからは男子の友達が増えた。それは私たちが大人になったからだろうか。誰かの恋路を茶化すことなく素直に応援して、カップルが誕生すれば羨ましがる。私と田辺君が付き合ったら、真弓もそんな例に違わず祝福してくれるのだろう。でも、なんでだろう。そう考えると嫌な気持ちになる。祝福なんかしないで、悲しんで欲しい。

 並走する真弓を横目で見た。長い髪が風に流れて揺蕩っている。

 うん、今日も綺麗。眩しい陽光で輝く田辺君の茶髪も好きだけど、街灯の薄明かりに照らされた真弓の黒髪だって、私は好きなのだ。

 そんな私の思いなんて知るはずもなく、真弓はテンション高く捲し立てる。

「だからさ、告白しちゃいなよ。応援してるから」

 応援してるなんて言われたら、ありがとうと返さなくては。ズキリと痛む心を無視して口を開く。だけど、口からこぼれたのは全然違う言葉だった。

「もし告白して友情が壊れちゃったらと思うと怖いな」

 にこりと微笑んで小指を差し出す姿が脳裏に浮かぶ。

 約束だよ。ずっと友達でいてね。

「友達を好きになるって、なんだか悪いことのように思っちゃう」

 ぽつりと呟くと、真弓は「そんなことで悩んでるの?」と大声を上げた。

「それは仕方がないでしょ。友達ってことは一緒にいる時間が長くなって、長所を知る機会も多くなるんだから」

 真弓は「仕方がないよ」ともう一度繰り返した。

「別に、ずっと友達でいようなんて約束した訳じゃないでしょ?」

 図星を突かれて肩が跳ねる。けれども真弓は気付いていないようだった。

「ただの同級生。ただの部活仲間。趣味レベルの吹奏楽部。仲違いして部活に迷惑がかかるなんてことも無いし。私は好きにすればいいと思うけどな」

「うん、それはそうなんだけどね……」

 問題なのは、約束してしまっていることだ。どうしても気になって追及してしまう。

「真弓としては、やっぱり約束してたらダメなの?」

「どうだろう。でも、やっぱり相手が正真正銘の友達だったら、裏切られたような気持ちになるかもね。よく男子がひっそりと『誰が可愛い』とかって話をしてるけど、それを聞いちゃった時とか気まずいじゃん」

「確かに」

 うなずきながら、あの終業式の日を思い出す。肩下まで伸びた黒髪と白いワンピース。にこりと微笑んだ表情は真弓としては珍しいものだった。

 もう最後の夏休みだね。中学校は別々だね。約束だよ。学校は違っても、ずっと友達でいてね。

 あの日の私にとっては掛け替えのない言葉だったはずなのに、再び毎日を共に過ごすようになった今、なぜかそれが胸につっかえている。

「全然乗り気じゃないね。告白しないなら、私が田辺君に告白しちゃうよ?」

「それは一番困るから、ちょっと考えさせて」

「えー、どうしようかなー」

 楽しそうに笑う姿を見ながら思う。私の一番好きな人は、田辺君ではなく真弓だと言ってしまったら。この友情はどこへ行くのだろうか。

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恋をするなら君がいい 葉桜 @hazakura07

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