第95話 共闘
ドラクルはモノクルを外して、それを丁寧に胸のポケットへ仕舞った。
「妹よ――」
落ち着き払った低い声で、ドラクルはカミラに呼び掛ける。
「分かっているな? アレは私たちを殺し得るぞ?」
殴り倒した吸血鬼から今も魔力を吸い取る化け物。暴走したプロトはカミラたちを横目に、にたにたと不気味に笑いながら食事を続ける。
異形化した吸血鬼たちは魔力を失い下の人型へ戻ってゆく。
その様子を警戒しながら、ドラクルはカミラを諭す。
「……」
カミラは変わり果てたプロトの姿に絶句している。暴走化の責任が自分にあるのが分かっていたから、苦い顔で見つめている。
どうすれば彼を救えるのか。戻せるのか。そんなことを考えている余裕はないと思った。
誰か彼を救って欲しい。
きっと自分は他の吸血鬼たちと同じくここで倒されるのだ。
抵抗することは出来る。――けれど、プロトは暴走しても本質的に不死身ではないはず。
自分が死ぬか、彼が死ぬか。そうなればカミラは自責の念から自死を選ぶつもりだ。
不死身となった自分が今更生に縋るつもりはない。しかし、彼を助けられないことを、自身の愚兄が起こした――ひいては自分の所為でこんな事態になってしまったことを考えると、つくづく嫌な気分になる。
それはカミラにとって二百年ぶりの絶望だった。
「……何となく分かったぞ。お前はアレを知っているな? アレの為なら死んでも構わないと思っている、そんな顔だ」
それを察せる兄は、妹のために、自分のためにお節介を焼く。
「――しかしだッ! 私は兄として、お前が死ぬことだけは許さん! 何も二度も誰かの犠牲に死ぬことはない。私の妹がこれ以上、何者かの犠牲になるのを私は望まない。 ……だから、私はアレを殺すぞ。殺せるかは分からん。――が、このままでは二人とも死ぬだけだ」
ドラクルは得物を構え、切先をプロトへ向ける。
そうして愛する妹に全てを諦めさせまいとした。
何でもいい。それはカミラ自身の生でも良かったし、あの暴走する男のことでも良かった。
全てを諦め、死を承諾するというその不幸だけは許さなかった。
あの男のために死を選ぶならそれでいい。
もとより他者の犠牲を嫌って、吸血も自分の眷族も持たなかった博愛主義者の愚妹だ。
しかし、それならせめて自分があの男へ攻撃し、それを庇う形でカミラの死を演出しようとした。
「あやつはわしの後輩じゃ。わしを殺そうとするはずがあるまい」
光のない絶望した表情でカミラは言ってのける。
プロトから向けられる荒立った殺意を感じながら。もともとは良い後輩なのだ、とプロトの名誉を守ろうとする。
「馬鹿を言うな。私にはアレがお前から殺そうと狙っているふうにしか見えない。殺さず止められる方法があるなら、早く教えるんだ。見るにアレも普段からああいうわけではあるまい」
「……わしには無理じゃ。生きたいなら貴様だけ勝手にするとよい……」
「私は諦めるなと言っているのだ。死ぬより前から、それはお前の美徳でもあり、悪辣なところでもある。責任の果たし方が違うだろう、お前がここで死ねばアレは助かるのか? 仮に我らの知らぬところでアレが助かったとして、お前の犠牲があったと知れば助かるものも助からん。心は死したも同然だ」
「……。……プロトは……。あやつは魔物の核を埋め込まれておる。魔力を吸うのも魔物由来のものかも知れん。そして、ごく少量だがわしの血を与えておる。その所為かものう、異形化した吸血鬼共に似ておる……」
「そうか。そんな悲しそうな顔をするな。――どれ、ここはお兄様が人肌脱いでやろう。妹の願いを叶えてやるのが兄と言うものだ」
そうすると、プロトと言う男はカミラの眷族と言うことになる。
初めての眷族に、カミラがその暴走を御せないでいる。
「――恐らくだが、あの力を維持するのに相当な魔力を使っているはず。そして、アレは私の魔力を食っている。どうやっているかは分からんが、
「……」
カミラはドラクルの暖かい目を見た。普段なら気色悪いと思う眼差しも、今は少しは頼りがいがある。
カミラは無言で頷きを返した。兄妹水入らず、共に死する覚悟を決める。
そんな折、頓狂声が掛かった。
遠くの方から一人の男が走って来る。
枯草色のビジネススーツを着て、走るには向かないつま先の尖った革靴をパカパカと鳴らす。壮年の顔には汗が浮かび、いつになく疲れたように顔を歪ませている。
ふらふらと減速し、膝に手を突きながら男は立ち止まる。
「――ちょ、ちょっと。カミラさん! 何なんですかこれは、ハア、ハア。――ッハアー」
肩で息をして、歳のせいか中々息が整えられないのはカモである。
「おや? リーサナージャのところのカモシダスか」
「あれ、ドラクル様。ここで何――」
「丁度良い。カモシダス、今からここで大規模な戦闘を行う。しかし、私は手が離せないのでな。代わりに結界を頼む。中には魔力を入れるなよ。結界の中と外を隔て、中の私とカミラ、それからアレを閉じ込めるだけでいい。それと、出来ることなら散らばる肉を陽の当たらない場所へまとめて置いてくれ。例えば、そこに私たちが乗って来た車が何台か停めてある。そこへ詰めて置いてくれ」
「アレとは?」
メガネのレンズに着いた汗をハンカチで慌てて拭くカモ。
「――プロトじゃ。どうにかしてしまったようじゃが」
カミラが補足した。
「アレって……えぇ! あれ、プロトくんですか⁈ どうして、何があったんですかッ!」
血が噴き出すほどに真っ赤になっている男。煙を纏い、毛を逆立て、口元を血で染め、鋭い牙を覗かせ、獣のような立ち振る舞いのそれを、いつでも大人しく優男なプロトと直ぐに判別するのは誰にだって難しい。
魔力も今では様々な気配が折り重なった歪なものである。
「ふるるるるるッ」
食事を終えたプロトは喉を吐息で震わせて威嚇音を響かせた。
「――もう猶予が無さそうだ。早く頼むぞ、カモシダス。巻き込まれれば無力な人間が何人死ぬか分からんぞ」
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