第94話 変身
人間とも吸血鬼とも、魔物とも判別できない人型が口を開けると、はたりと女の腕が地に落ちた。
口元をべったりと血で染めて真っ赤な弧を描き、薄らと笑いを浮かべている。
見るに、吸血鬼の腕に齧り付き、無理やりに血を啜って魔力を奪ったようだった。つまりはマナドレインの真似事だ。
ドラクルの血の主従を持ってしても、魔力が奪われたようで、手下の女は魔力の欠乏により意識を失っている。
「――ッ」
歪な魔力の持ち主に、ドラクルは警戒する。
魔力だけを吸収し、不要とばかりに吸い出した血を口から垂らす人影はドラクルを睨み、直ぐには動かず野生の獣のように様子を見ている。隙を窺っている。
だから、ドラクルは蛇に睨まれた蛙の如く、動くことを許されなかった。
髪を逆立たせ、四足で地に立って「フシュー、フシュー」と息を荒げている。
充血した桃色の眼球に、熱を帯び火を吹く勢いの赤褐色の肌。蒸気機関車が白い煙を上げるみたいに口や身体から白い熱気の煙を放っている。
煙を纏い、その人相は不鮮明。骨格から男であるように見える。
――しかし、吸血鬼から無理やりに魔力を奪うとは。
ドラクルはますます訝しがった。
どうやら妹もこの新手については知らないようだ。彼女もこの獣のような男を刺激しないように、目立った動きは取れずにいる。
「ふるラぁあアァ!」
男は威嚇するみたく唸る。口の両端から煙の筋を立てるが、口内に覗いた白い歯には吸血鬼の特徴である牙があった。
他人から魔力を得る、そういう魔法があるのをドラクルは知っている。殆どは対魔法使いや魔法の効力を削ぐ為に用いられ、魔物の活性を抑えるためなど他にも用途はある。
しかし、魔法を用いずに他人から即座に、そして強力なマナドレインをするのは吸血鬼の専売特許であった。他に例はない。
にも関わらず、吸血鬼相手に無理なマナドレインを成立させるこの男。勿論、吸血鬼でもないはずのこの男が何者であるか、何故吸血鬼の魔力を発するのか、それは千年以上生きたドラクルにも分からなかった。
千年以上生き、不死であるからこそ、得体の知れない存在にドラクルは恐怖する。
不死であるはずの吸血鬼を殺す方法に、魔力の喪失があるからだ。
この不安の感情が生物の根源的な恐怖であるとドラクル本人は気付いていない。だが、男と向き合い、少しの観察を経て。この男こそ、この場で最も警戒が必要な対象だと即座に判断した。
――この男は私を殺し得る。
カミラよりもその危険度は遥かに高い。
「温存はもういい。変身も許可する。さっさと、この野暮な獣を即座に片付けろ! ――生死は問わん。いや、差し違える覚悟をするのだ!」
吸血鬼の主人らしい威厳のある物言いで、ドラクルは手下に指示した。
それを受け、彼に忠実な手下たちは直ぐに行動する。まだ動ける十数名の吸血鬼は自らの腕に牙を深く突き立てると、身体に張り巡らされた血管の筋が、肉を透かして赤く輝いて浮かび上がる。
輝きは次第に強くなり、光によって全身の輪郭が曖昧になって行く。そして次の瞬間には輝きは消え、人間とは呼べない異形の姿が現れた。
全身が体毛のない赤い肌をしていて、骨格が人とは似ても似つかない。オオカミのような足、ネズミのような尻尾。長く細い腕はコウモリのようで、ナマケモノのような鋭く長い爪が生える。
個体差はあるものの、吸血鬼たちは概ねは毛のない哺乳類を不気味な人型にしたみたいな化け物に変貌する。
「――ま、待て。待つのじゃ!」
カミラが抗議するが、異形となった吸血鬼たちに聞く耳はない。
ドラクルの用いた
魔法と吸血鬼の力を合わせ、ドラクルの生み出した吸血鬼の高等魔法であり、太陽から吸血鬼を守る範囲結界である。
本来なら太陽の熱によってたちまち蒸発してしまう吸血鬼の血液だが、この結界内でなら昼の間でも吸血鬼は血の能力を行使することが出来る。
また、この結界内に満ちるのはドラクルに由来する魔力であり、ノスフェラトゥの眷族たちを活性化させ、並列化させる。眷族の中で、より高位の吸血鬼が下位の吸血鬼の血を摂取する事なく魔力を徴収できるようになる。
そして何より、吸血鬼の異形化は血の能力を暴走させた姿であり、理性のない化け物になるはずが、結界内ではドラクルが眷族の暴走を抑止することで理性を保ったまま異形化による身体能力を向上させた戦士となるのだ。
――つまり、これから始まるのはただの蹂躙であった。
こうなってはもう終いじゃ。助からん。
異形の吸血鬼たちが殺到し、圧倒的な暴力によって圧殺される未来が見えた。
自分が今助太刀しても、精々二体を抑えるのが限界だろう。
化け物共には――速さでは互角。腕力では劣る。殺傷力では勝る。
だから、間に合わない。
自分なら何体だろうとも相手取り、確実に殺して行ける。しけしそれは、不死身だから出来るのだ。不死身を相手取るには何より動きを止めるのが先決である。カミラにはそれが出来た。
不死身を盾に、魔力を鎧に。
そうすることで、近接攻撃を仕掛けて来る他ない相手に遅れをとることはない。不死身同士であるならば、特別な怪力なんて意味はない。
だからカミラは目を瞑った。せめて最後の瞬間を見ないようにした。
これより始まるのは試作機プロトの解体ショーである。
「ハァァァアア゛――」
声にもならない叫びが上がる。
「ふ、――フッふざけるなよ!」
続けてドラクルが声を荒げる。
その声に、カミラはやおらに瞼を開く。
速さでは劣る。腕力では勝る。凶暴性で上回る。
獣のような形相で、血のように肌を赤める異様のプロトは化け物の如く、吸血鬼に応戦する。
その硬い魔力の鎧を貫通する力は吸血鬼たちにはなく、身体に付き纏うものはガリガリと歯を突き立てている。そうやって身動きを封じられたプロトは、腕をぶんぶんと振り回し、飛び掛かってくる吸血鬼たちを叩き、殴り、潰す。
その攻撃を擦り抜けて、プロトを押さえ込んだものを潰し、握り、千切る。
時に噛み付き、時に踏み付け、捻り切り、力尽くで抱き殺す。
致命傷には至らずとも、身体を負傷し血を流す。自分の膂力のあまり肉にヒビが入るみたいに身体が裂け、骨が飛び出すこともあった。しかし、どんな傷も、身体を這う白い煙が瞬く間に治癒して行く。
技術も何もない純然たるパワーで吸血鬼たちをぼろぼろの肉塊にして行く。
なまじ理性のある異形たちは、そうやって仲間たちが蹂躙されて行くのを見て、戦意を喪失する。
例え主人の命令であっても。
自分たちが不死身の戦士で、仮にバラバラにされたところで、血と魔力があれば復活できても。
未知と暴力と死の恐怖には抗えない。
微塵の理性も残していないプロトは、そうやって後退りを始める吸血鬼たちを逃しはしない。
例えこの身がどうなっても。
魔物を捕まえ、その魔力を吸収して力を高めるほどに、熱にうなされ、身体が痺れ、意識が薄れて行くとしても。
敵を撃ち、ホウキを守らねばいけない。
そう覚悟してこの場所へ戻って来た。
道中、プロトが魔物を食らったのも、吸血鬼の血を啜ったのも、完全なる無意識だった。既にプロトは意識を喪失している。
覚悟に突き動かされ、夢遊病のように暴れている。
そうして残されたのは戸惑うカミラと腹を括るドラクルと暴走化したプロトと弱り切ったホウキだけ。
残す敵――吸血鬼は後二人。
「ふルシしゃあアア――」
血迷うプロトは潰れた喉で不敵に笑う。
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