第93話 血の夜

 ホウキがしばらく振りに目を開くと、信じ難い光景が広がっていた。

 どうしてそうなったのかに心当たりはない。


 先ずは赤い空。鮮血のように鮮やかな赤と、血塊のようにドス黒い赤の魔力が淡いグラデーションになっている。

 吸血鬼らしき人影が数十人。立っているのと、切り伏せられた死体がいくつかあった。

 不死の吸血鬼の死体――という表現には少しの語弊があるが、誤りがないように言うには残骸になるだろうか。

 吸血鬼はバラバラの肉塊にされても死なないし血を流さない。そのことをホウキはパイドと名乗る吸血鬼の件で学んでいる。


 残骸の散らばる中で何度も何度も切り結ぶのは知らない男とカミラである。お互いに、禍々しい濃密な魔力で出来た真っ赤な武器をぶつけ合う。

 方や巨大な鎌で、方やホウキの知るゲームに出て来るような片手剣である。それが分かるのは戦いを繰り広げている彼らが立ち止まった時や、大きく距離を取った時だけで、切り結んでいる間は残像しか見えない。

 ガチンガチンと金属同士が激しくぶつかり合う音が絶え間なく聞こえるからで、振り下ろし、掻き払う武器はまるで透明で、武器を操る身体と、その身体にまとわりつくような赤い影が見えるだけ。


 ――人間には追い切れないほどの信じ難い速さで攻防が繰り返されていた。


 ホウキ以外にいるのは全員が吸血鬼のはずである。

 日本人には見えないし、極寒にも感じるようなこの気味の悪い魔力の中で立っていること自体がおかしい。

 ホウキも意識こそ取り戻したが、満ちる魔力に気圧されて呼吸が浅くなっている。自分を奮い立たせていなければ、思考力を保つことすら難しい。

 だから、この中で平気でいられるのは吸血鬼だからなのだろう。

 そう思えば、カミラの魔力の気配にもどこか似ている。


 ――今にも、また新しい残骸が出来た。

 周りで見ていた吸血鬼の一人の下へ、カミラと男が争いながら突っ込んで行き、そこに居たはずの人影がバラバラになった。



「血を貰うぞ――」


「はい、ドラクル様」


 手下にドラクルと呼ばれる吸血鬼は、自身の手下である吸血鬼の一人を斬り裂いた。

 刀身が鞭のようにしなって、ドラクルが剣を振った回数よりも多い細切れを作る。切断面からは血こそ流れないが、赤い血が蒸発する如く煙になってドラクルの身体へ吸収される。


「会わぬ間に随分と虚弱体質になったようじゃな」


「ふん。こっちで血の夜サンギスノクスを維持するのにどれだけ負担が掛かっていると思ってるんだ。お兄様はなぁ、お前のためにやってるんだぞ?」


 カミラとドラクルの実力は拮抗していた。

 速さ、間合い、威力ではカミラが勝るが、攻防の技術では圧倒的にドラクルの方に部がある。そして手下の吸血鬼を殺して魔力を徴収している分、継戦能力で上回っている。

 ドラクルの方は大鎌の特殊な刃の形状と間合いを意識しながらの高速戦闘に苦戦を強いられ、結果――より攻めに転じられているのはカミラである。しかし、ドラクルが防戦を続けているだけで徐々にカミラの方が疲弊して行く。


「――では、こういう趣向はどうじゃ」


 攻撃を弾かれた次いでに、カミラは踵を返して反対方向に跳ぶ。当然、その速さには誰も着いて来れず、まして有象無象の吸血鬼が反応することは出来ない。

 眼前で突如現れた金髪がゆらりと、走馬灯の遅い時間の中で揺れた。

 手下の一人の女はこれから何が起きるかを理解するより前に、悲鳴のように謝罪を述べる。


「……そんなッ、ドラクル様! 申し訳ありませんッ――」


 カミラは傍観する吸血鬼の一人の腹を切って真っ二つにすると、切断面に触れて無理やりに血を奪おうとする。


「おお、妹よ。兄の真似をするか! ああ……何とも健気だが無駄だ。強制力では私が上回っているのを知らないわけではないだろう」


 カミラはドラクルと同じように魔力の補給の図るが、マナドレインを発動させても、魔力が自身へ流れ込んで来ることはなく、それより強い力で無効化される。

 地面に倒れた手下の女は事の次第に、満足そうに薄ら笑いを浮かべて目を閉じる。


「時間はかかるが、お前から無理やり奪うことも出来るのだ。良い発想ではあるが、まだまだ見通しが甘いな」


 ドラクルは優しく諭すように告げ、マナドレインをする為に屈み込んだカミラに斬りかかる。遅れて防御をしたカミラは、体勢も相俟って十分に受け切れずに吹き飛ばされる。


「クソッ!」


 カミラが子供染みた怒号を上げる。


「わしから力を奪えるなら、さっさと奪うがいい」


「そう臍を曲げるな。兄妹水入らず、久しぶりの再会を楽しもうではないか」


「わしの友人を傷付けて置いて、よく言えるのう……」


「それについては謝る。部下がやり過ぎたんだろう。……だが、私が人間を無駄に殺すなと命じて置いたのだ。事実、お前の友人とやらもまだ息があるようだしな。ただ、私がその気になればお前のこちらの世界の友人を探し出し、そして全員を殺す事も出来るわけだ。何がお前の友人の為になるかを今一度考えるといい」


 カミラはギリギリと歯軋りし、自分が劣勢であることも理解しているからこそ怒りを抑える。

 ホウキを友人と呼び、一人に限らず全員と言うからには恐らくプロトのことも既に知られている。と怒りの中でも冷静に推察する。

 ――つまり、既に人質は確保していると言いたいのだ。


「……まあ、愛する妹に頭を下げることが出来ない兄と思われては困る。しかし先に、“お兄様ごめんない”と、カミラが謝るのが筋ではないか。二百年近く私に心配を掛けたのだからな。そうすれば私も、間接的ではあるがお前の友人を傷付けてしまったことを謝罪する。それで仲直りとしようじゃないか」


 ドラクルの物言いから、カミラに要求されている条件は一つではない。

 謝罪だけでなく、ホウキやプロトを人質に兄妹ごっこまで強いろうと言うのだ。


「……」


 カミラは能力を解除し、血の大鎌を体内へ戻す。

 その様子にドラクルはモノクルの奥で目を細め、気持ちの悪い笑みを浮かべる。


「――い、嫌! ど、ドラクル様ッ――」


 決着しようとしていた兄妹喧嘩に割り込んで、悲痛な声で主に縋るのは先程、カミラに上半身と下半身で綺麗に分断された女である。

 これに機嫌を悪くしたのはドラクルである。

 バラバラになっても、後で私が元通りに治してやる。だから切られて痛かろうが、血と魔力を抜かれて灰に成りかけようが、黙っていろ!

 ――という苛立ちを冷たい視線に込め、険しい顔で女を睨め付ける。


「――何者だ、貴様ッ! いや、いつからそこに居た――⁈」


 すると、そこには気を失っている手下の女の腕に噛み付き、血を啜る不気味な魔力の反応があった。

 魔力の持ち主はこちらを見ている。焦点の合わない瞳には嘲笑するような下卑た笑いの色が浮かべ、腕を加えて唸り声を上げる。


「ふルしゅしウゥゥ――」

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