第92話 兄妹とは

***



 遡ること五分――。


 カミラを乗せたバンは道路で立ち往生していた。

 時刻は丁度お昼時、車の交通量も多ければ、交差点を行く人も多い。

 いくら緊急を要するからといって、一般車両が道路交通法を無視するわけにはいかない。切迫した状況を説明したところで法が寄り添ってくれることはない。


「急げんのか!」


「私だって急ぎたいさ!」


 珍しく苛立つカモは、人差し指の腹でとんとんと合皮のハンドルを叩いた。

 どの車線も車の列で塞がっており、慌てて辺りを見渡しても、焦ってハンドルを握り締めても、渋滞する道路状況は変わらない。

 魔法でさえままならない状況に、カモは歯噛みをする。


「――クソッ。わしは降りるぞ! カモよ、視覚遮断の魔法をわしに施すのじゃ!」


「え⁈ だけど」


 運転席に縛られたカモは手が離せないことを目で訴える。


「どうせ、進まんのじゃろ⁈ 少しぐらい余所見しといても平気じゃ! ほれ、急がんか!」


 後部座席から乱暴に助手席へ這い出てくるカミラ。

 カモが付与の魔法の施術をすると、カミラはいつもの部屋着に持って来た帽子を深く被り、サングラスを掛けてスライド式のドアを開けた。

 彼女は道路へ飛び出すや否や、同じく往生する車を避けて歩道まで出ると、走って助走を付けながら背中に血の翼を生やして空へ舞い上がった。



***



「……」


 小さな身体でホウキの肩を支えるカミラはいつになく険しい顔をしている。

 張り詰めた空気感とビリビリと痺れるような魔力を、隣でホウキは感じていた。


「――ありがとうございます」


 ホウキは礼を言う。

 肩に掴まって歩いていると不甲斐なさで一杯になる。きっと身体を支配する無気力は戦いのせいだけではなかった。

 それでも、まだ動かせる口で謝辞を述べずには居られない。身体の底から湧き上がるような安堵にホウキは涙を流し小さく震えていた。

 プロトはどうなったのか。それを考える余裕がないほどに、ホウキは死を覚悟した。覚悟というより、一番残酷な未来を想像して生を諦めていた。

 だから“助かった”ということの他に、今はなにも考えられなかった。


「礼は言わずとも良い。元よりわしの問題じゃ。……それに、まだプロトがおる。ホウキ、お前さんのことは魔力と血の匂いで分かったが、プロトの方は見つけられなんだ。……魔力も、匂いも、せんのじゃ」


 カミラの言葉に、ホウキは少しばかり冷静さを取り戻す。

 まだプロトは助かっていない。彼にはもう一人の男が差し向けられているはずだ。

 ただ、プロトは魔力を消耗して、はなから魔力感知の外にいるはずだ。

 今はただ無事を祈る他にない。それはカミラも同じであった。


 異世界由来の怪しくも愛らしい童顔を強ばらせ、あれこれと考える。敵が何者であるかはもう見当が付いている。敵と呼ぶには少し違うが、ホウキがこうなった以上、カミラも心の内の衝動を堪えておく気はない。

 怪我人のホウキを抱え、下階へ降り、ショッピングモールの外を目指す。

 道中、すれ違う人々が小さな少女に抱かれる怪我を負った少女の二人組に訝しげな目を向けることはなかった。

 一般客は時間が停止したみたく不自然に立ち止まっているが、これを不思議に思うのはカミラだけ。ホウキに周囲の様子を伺う余裕は残されていない。

 悪い予感はもうずっと的中し続けていた。


 三月の清々しい晴天。

 ガラス越しに見える雲一つない青天井は血のように赤黒く染まっていた。



***



 モノクルを掛けた男が駐車場に立っている。

 ぴっちりとした手袋をはめ、畳んだ日傘を持つ男は、執事服を思わせるような時代がかった黒の背広を無理なく着こなしている。どころか、銀色で金属のようにキラキラ光る冷たい長髪と、陶器のように白い肌とが合わさり風貌は上品な白黒のモノトーンになっている。

 高い鼻、切長の目、長い顎と角張った顔のシルエットは男に切れ者であることや狡猾であるような印象を抱かせる。

 妖しいほどに秀麗な風貌、その整った顔立ちの中に野生的な鋭さを飼っていて、日本人どころか地球人にも見ない、人間離れした冷たい魅力があった。

 もっとも血の空の下で、彼を認識出来るのはもともと彼を知る者だけである。


 男の後ろに控えるサングラスにマスク、帽子や服のフードを被って肌を隠す者が四十人ほど控えている。

 ショッピングモールに複数ある出入り口の一つに窓を絞り、何者かを待つようにして男は動かない。

 一言も声を発さずただ立ち続ける男の後ろで、男の僕はガヤガヤと騒いでいたが、それに注意をすることもなく黙ったままでいる。


 やがて肩に人間を抱えて現れた金髪の少女に向け、男は冷たく声を掛ける。


「……十年に一度は顔を見せろ、と言っただろう」


 少女は抱えた人間をゆっくりと壁の側に座らせる。

 すっかり意識の薄れた人間の少女は、地面へ座り込むと力無く項垂れた。


「わしがどう生きようと、わしの勝手じゃ。……それが何故、貴様の顔なぞ立ててやらねばならんのじゃ」


 男は目を見開き、ぎらりと深紅の瞳を輝かせる。

 そして「生きるだと?」とクスクスと肩を震わせた。


「カミラ。貴様――とは、また悪い言葉を覚えたな。愚問極まるが、答えてやろう。それは私が兄であるからだ。然り、お前の馬鹿な問いにも答えてやるのだ。――私が兄であるから。そして、お前は妹なのだから、兄の顔を立てるのは当然だろう。互いに想い合う、それが兄妹と言うものだ」


「ふん。妹などと。そもな話、血の繋がりがあるでもないはずじゃ」


 静かに激怒するカミラ。その手首からするすると赤い筋が伸び、それがおどろおどろしい大鎌の形になる。


「血の繋がり――か。何を今更。今やお前に通う血は私と寸分違わぬはずであるが。これが血の繋がりでないなら、何だと言うのだ」


 歩み寄る物騒なカミラに対し、男は同じように血の力を操って片手剣を造り、それを構えた。


「貴様がわしを吸血鬼にしたんじゃろうが……。――ッそれを妹なぞと! 気色悪いにもほどがあるッ!」


 激昂したカミラが吸血鬼の膂力で、力任せに鎌を振る。

 ブウンと空気を切り裂きながら襲い来る鎌刃を、男は自身の得物でもって易々と受け止める。

 血の刃同士がぶつかり合い、まるで精錬された金属の如く甲高い衝撃音が鳴る。

 ギリギリと力押しするカミラの鎌に、男は刃先を滑らせて片手剣の刀身に手を添えると、足を踏み込んでそれを押し返した。

 吹き飛ばされた体勢のカミラに、今度は男の方から斬りかかる。


「また貴様――。それに気色悪いとは何だッ! 私のことはお兄様と呼びなさいとあれ程教えただろうッ!」


 嬉々として剣を振る男は、子供のような無邪気な笑みを浮かべて吸血鬼の牙を覗かせる。

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