第7話 似た者同士
***
今年の年末は実家に帰らない。
年末年始を迎える頃には、博人はVtuberとしてデビューしているだろう。
夏休みが始まる頃、前学期の取得単位数が確定して無事に留年がほぼ決定した。
この場合、無事とは平穏無事の無事ではなくて、なすすべなく、どうすることも出来ないから何一つ抵抗することなく留年を受け入れたということである。
前学期にのみ開講される講義の単位を落としたために、再取得にはまた来年まで待つ必要がある。
別にその講義一つ落としたところで必ず留年になることはない。
けれどその積み重ねが確実に博人を追い込んでいた。
後学期のスケジュールにできるだけの講義を詰め込んで、仮に全ての講義に出席し、全ての講義の単位認定試験を乗り越えることが出来れば――。
そうすれば、今からでも挽回していくことは可能だが、それだって少しずつ借金を返済していくようなものである。もとより、そんな大層なこと博人には不可能だ。
友達がいるなら出席票への代筆を頼むことが出来て、本来なら同じ曜日の同じ時間に開講されている受講できないはずの複数の講義に出席できる。
友達がいるならどこからか試験問題や提出課題の過去問、テンプレートを手に入れて対策が用意にできるだろう。
つまり博人にはもうどうしようもなかった。
一度留年をした時からどんどんと状況は悪くなり、大学に入学して自分を取り巻く環境は大きく変わったはずなのに、まるで今までの生き方の負債に首が回らない気分だった。
夏季休暇は実家に帰った。
その足取りは重く、乗り継いだ電車の時間は一瞬で、地元の大地を歩くのは無限にも感じられた。
「夏休みは帰省するの?」と母に言われたから博人は実家へ戻った。
合わせる顔がないから、博人はできることなら帰りたくなかったが、留年についても言わなければならなかったし、Vtuberデビューに関しても言う必要があった。
流石に電子メールの文面だけで退学することと、働くことを言うのはどうかと思ったので、罪悪感とか無力感を引きずって帰省したのだ。
「もっと頑張りなさい。今から諦めてどうするの?」
博人の母は簡単にそう言った。
現時点で留年だと言うのに、前学期で崖っぷちに立たされているのに、後学期を乗り越えられるはずがない。それに、後学期分の学費は未納なのである。
留年されたら学費は払えない。そう言って後学期分の学費はストップされているのである。余計にお金を掛けない賢い選択でもあるが、その癖、母は「頑張ってみなさい」と言うのだ。
母は博人の言った全ての言葉をきちんと傾聴し、理解して話しているようではなかった。博人の母の口を衝くのは楽天的なまでに根拠のない励ましの文句ばかりで、ゲームに逃げてばかりいる博人と同じくらいに現実が見えていない。ある意味で似たもの親子だった。
父はまだ仕事でいない。朝早くに下宿先を出て、時刻はまだ十五時であり、父が帰るだろう十八時までは母と話した。
依然として円満な家庭であるような他愛のない話に、博人は引き攣った顔で笑っていた。
夜になり博人によって再度家族会議が催される。
そして、その場での父の提案は休学だった。もちろん、普通に進級と卒業することを望んだが、父の最終的な妥協点が休学だった。
しかし、いくら時間を掛けたところで博人には卒業できるビジョンがない。
両親も退学させたいのかと思えば、学費を分納にしたのだって、仕送りをストップしたのだって発破をかけるためだったと言う。
――そんなこと今更言われてもしょうがない。
親のプレッシャーを詰みだと曲解したのはもう随分と前のことになる。
博人にしてみれば、卒業して就職することだけを目的とした大学進学であったため、別に講義の内容にも、学べる知識についても博人は興味がなかった。だから退学を推した。博人が入学したのは名のあるような大学でもなく、態々休学をしてまで籍を置いておく必要があるとも思えない。
もし仮に自分の人生において大学卒業という称号が必要になった時には、今度は自分の稼いだ金で大学に行く。必要になってからで良い。と博人は訴えた。
親の言うことをこれだけ拒絶し、我を通すのは初めてで、何故か泣き出しそうだった。
無論、鴨エンターテイメント株式会社のことも話した。内定したこと、寮に入ること、来年の四月入社ではなく、入社時期は要相談であること。
VtuberデビューやVtuberが一体どんなものなのかを言えば、また言い争いの火種を作るだけだと考えて、かなりの部分を伏せて話し終える。
しかし、それによって曖昧なままの詳細に、父は一層機嫌を悪くした。
全部で九日間の滞在の後、喧嘩別れをするみたいに博人は下宿に戻り、そこには母が連れ立った。
盆休みに入る前に大学に行って退学届を出した後、二ヶ月間ある夏季休暇の半分を使って諸々の手続きを済ませ、八月二六日にアパートの鍵を返却した。
「二度と家の敷居を跨ぐな」と怒鳴って見せた父だったが、その次の日には「先方に迷惑をかけるな」と言い、本来夏季休暇の期間である間だけ、博人の滞在を許したのだった。
***
ツルツルとした一面のフロアタイルが敷かれる事務所一階のロビーで、鴨は手袋をはめる手をポンポンと叩いて歓迎した。
「ようこそ。Vモンスターズへ」
白を基調とする簡素な造りでありながら、採光した明るさが床や壁に写ってキラキラとロビーを埋め尽くし、高級さや清潔さを演出している。
そんな品位ある場所の一画に博人の引っ越し荷物が積まれ、突如として現れたみたいな生活感がロビーの統制を乱し、見るものを混乱させるほどにカオスだった。
「いやあ、便利ですね。魔法って」
転移魔法による引っ越し作業。車を高速移動させたのもこの魔法だ。
転移魔法で引っ越しをするなら荷造りをする必要すらない。
引っ越しは博人の実家へ鴨が後部座席を取り外したバンに乗ってやって来て、荷台に荷物を詰め込んだ後で中身を先に転移させ、軽くなったバンを人気のないところまで走らせてから、さらに車を転移させる。
博人の実家があるのは田舎で、周りには田園風景ばかりが広がっている。だから車を走らせる時間よりも、積み込みをする時間の方が長かった。掛かった時間は合計一時間と少し。積み込みから移動、荷下ろしまでで一時間だから、あまりの早さに引っ越し業者も腰を抜かすことだろう。
「この世界の尺度ならまさに奇跡だよね。まあ、こっちだからあの規模でも簡単にできることなんだけれど」
鴨は少し照れ臭そうに笑う。
確かに鴨の言う通り魔法は奇跡である。以前『異世界人が生きて行くには』みたいな話になったが、鴨が引っ越し業者を始めれば。別に引っ越し業者でなくとも魔法を使えば何か新しい仕事ができるんじゃないか、と博人は目を輝かせる。
「鴨さんって普通の人間ですよね。僕でも鍛えれば魔法って使えますか?」
ただのお金稼ぎでなくとも、便利なのは間違いない。使えるに越したことはないと博人は試しに訊いてみた。
「うーん。どうだろ。先ず、私は人間は人間でも異世界の人間だからね。もとより魔法と魔法の源である魔力がある世界の住人で、その上異世界でも魔法使いになれる人とそうでない人がいるから、ヒーローさんが魔法を使うのは難しいだろうね」
無理であろうことは分かっていたが。あまり期待はしていなかったが。現実をはっきりと言われると残念だった。
博人が少し暗い顔をすると、それを察した鴨が勇気付けようと話題を変える。
「――ああ、そうだ。実は正式にヒーローさんのキャラクターとかモデルが完成したから、荷物を寮に運んだら、早速打ち合わせをしようか。今までは仮で『ヒーローさん』って呼ばせて貰っていたけど、これからはちゃんとした名前があるからね」
「名前ですか?」
「そう、名前さ。Vtuberにはあるだろう?うちでは普段からキャラクターの方の名前で呼ぶのがルールなんだ。異世界から来た子にはVtuberになるまで名前のハッキリしなかった子とかもいるし、何より配信活動で使う名前がそのままタレント名なんだから事務所としてはそっちの方が分かりやすいからね」
「私もこっちでの名前は鴨賢人だけど、実は異世界での通り名は賢者カモシダスなんだよ」
「醸し出す?」
博人は鴨の奇天烈な名前に思わず聞き返す。
「ああ、多分日本語の『醸し出す』と勘違いしたと思うけど、カモシダスね。省略してカモさん。だから『鴨』。別々の世界なのに偶然って凄いよね」
鴨改めカモはいつもの壮年らしくない少年のような笑みを浮かべて、爽やかにハハハと笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます