第6話 郷に入っては

 面談が終わってやっと博人は解放された。

 鴨がジャケットの内ポケットから刃が歪に湾曲したナイフを取り出してロープを切ったのだ。

 鬱血していた腕には血が巡り、ジーンと熱を取り戻していく。


 ゲーム廃人である博人は猫背気味である。

 それが、しばらく背もたれに縛り付けられたことによって少し姿勢が矯正されたような気がする。硬い椅子に座っていたはずなのに全く疲れがない。


 鴨が持つナイフは銃刀法違反に抵触するであろう刃渡り十二センチはあろうかと言うもので、完全に凶器と呼べる代物である。ナイフは黒色の刀身に紫色の光を帯びていかにも異世界のモノらしかった。


「ああ、コレ?危ないものじゃないですよ。これは魔法の杖で、私の望んだ形になるんです。ナイフの他にも万年筆だったり、車のキーだったり。他には……。うーん、ハンカチとか充電器の代わりにはならないんだよね。構造が複雑とか、柔らかいもの以外なら応用が効くんですけど」


 鴨は優しい微笑みを怪しげに光る刀身に向けている。その姿はどう見たって危ない人物であり、博人は半歩だけ鴨と距離を開けて「凄いですね」と思いもしない賛辞を述べた。


「それでは、私に着いて来てください」


 鴨が部屋の扉を開けて言った。廊下へ出ると鴨は「それじゃあ」と前置きする。


「今から簡単にオフィスと寮を紹介してから、その後また自宅までお送りしますので」


 そうして博人に有無を言わさず職場見学が始まった。

 来るのに四時間以上、帰るのに四時間以上。

 寝ていたから移動時間は辛くなかったが、それでも面談に職場見学を合わせると合計何時間のスケジュールなのだろう。

 そう思うと博人は眩暈がしそうだった。

 ――帰りたい。

 本心ではそう考えていた。


 部屋を出た先は廊下だった。

 先ほどの部屋と同様に真っ白の壁紙にブルーグレーのタイルカーペットが敷き詰められ、扉を出た先の対面には丁度トイレがあった。


「あ、そうだ。トイレとか大丈夫?」


 鴨が気遣う。


「いえ、大丈夫です」


「そう、じゃあ着いて来て」


 廊下には幾つか扉が並んでいて、鴨は突き当たりの一つだけ大きなガラスが嵌め込まれている扉の方へ直線の廊下を真っ直ぐ進んでいく。


「ここがうちのメインオフィス。メインなんて言うけど、うちの業界では裏方だよね。さっきいた所には同じぐらいの小さい会議室が全部で四つあって。あっちの奥へと続く方にもう少し大きな会議室とスタジオがあるんです」


 ガラス扉の先は広々とした空間だった。分かりやすく言えば小学校から高校までの初等や中等教育で使われる普通教室が二つ並んだくらいの大きさ。形は長方形で、博人たちが通って来た廊下と、鴨が言うスタジオなんかがある方の廊下を繋げたラインを真ん中に、片側がデスクの並んだこれぞ事務所という感じの造りである。

 もう反対の側は統一感のあるブルーグレーではなく、カラフルなタイルカーペットでモザイク模様になっており、角には自販機が置かれ、壁には暖かみのあるウッドパネルが貼られ、インテリアを扱う店の展示エリアみたいになっている。

 だが、そんなことよりも博人の目を引いたのはデスクで働く人だった。いや、それは人間ではない。


「……ガイコツ」


 パソコンのモニターの陰に隠れてはいるが、モニターの上に覗いているのはどう見たって頭蓋骨である。


「ああ、うちのスタッフのスケルトンですよ。彼、アンデッドなので不眠不休の飲まず食わずで働き続けられるんです」


 鴨は軽々と労働基準法を無視したことを言う。

 異世界でなら別におかしなことはないのだろうが、郷に入っては郷に従えと言うから日本に会社を持つなら日本の労働法を守るべきである。それともこの場合は自分が異世界ルールを守るべきなのか、と博人は馬車馬の如く働かされる未来を想像して戦々恐々とした。


「おーい、スケさん!」


 鴨は大手を振って子供のみたく元気な声で呼び掛け、その後に博人に顔を寄せて態々耳打ちをする。


「あ。(皆んなはスケさんって呼んでるんです。ヒーローさんもそう呼んであげてください)」


 鴨の呼び掛けを受けてデスクのガイコツは立ち上がり、片手を振り上げた。ビジネスシャツを着て、顎をカチカチと打ち鳴らしながら頭を振ってカラカラ言っている。

 隣ではうんうんと鴨が頷いていて、話すことが出来ないことが通常なのだと博人は理解して会釈を返した。


「午前中事務所に出てるのは私とスケさんぐらいかな。いる時にはいるんだけど、やっぱり配信業のゴールデンタイムは夜だからね」


 そのとき、博人は鴨の言葉が妙に引っ掛かった。自分の中に浮かんだ疑問の正体が掴めず、引っ掛かるのに留めたのには眼前に動くガイコツが居る衝撃もあっただろう。

 博人はなにも配信のゴールデンタイムを疑っているわけではない。


「……午前中?今って午前中なんですか?僕ん家から結構な時間移動して来たと思うんですけど」


「ああ。実は移動中は睡眠魔法をかけさせて貰ってね。ヒーローさんが寝ている間に魔法で高速移動したんだよ。ほら――」


 鴨はデスクスペースの後方の壁を指す。

 鴨の指の先にはデジタル数字だけが浮かぶシンプルな壁掛け時計があって、白い壁に白く発光するそれはシルエットがぼんやりしていて見辛いのだが、十時五十一分を告げている。そして、事務所にはブラインド越しに明るい陽光が差し込み、午後十時でないのは明らかだった。


 博人は黙ったまま、口を開けて驚いた。


 その後「まあ、びっくりするよね。アハハ」と言う鴨に階段へ案内された。

 道中で「スタジオは今使用中だから、また空いているときにでも」と鴨は言う。


「じゃあ先に寮の方へ案内しようかな」


 鴨に連れられたオフィスの上階はさながらホテルのようだった。


「一階層につき八室あります。全七階あって、一階と二階がオフィスなので、三階から七階までで四十部屋。入居者は全部うちの関係者で半分くらいしか入居者が居なくて大家はぼやいてますね」


「丁度、ここが空き部屋なので……」


 鴨はジャケットから魔法の杖を取り出す。真っ黒の中に怪しげな紫色の光を秘めるガラス細工の木の枝のようなそれを徐に鍵穴に突っ込むと、ドロドロと蠢きながら穴に吸い込まれていって、動きが落ち着くとシリンダーが回った。

 博人はもう驚かないが、それも立派に犯罪だとはしっかり思った。


「ささ、どうぞ」


 鴨は片方の手で扉を引いて、もう片方で中を指す。まるで手練れの不動産屋みたく落ち着き払って博人を案内した。

 玄関扉もそうだったが、室内もかなり綺麗だ。今の下宿先なんかより余程新しいし、造りも瀟洒である。

 玄関の先に、格子にガラスのはまった引き戸、右側へ続く廊下があってその先は洗面台である。


「そこには洗面台と洗濯機と風呂場。ここの引き戸を引き出せば廊下を区切って脱衣場になって、洗濯物干しにも使えますよ」


「へぇ」


 ユニットバスを除いてみたがかなり広かった。湯船が少し低い気がしたが、広さは学生用の激安ワンルームのものよりは一回りも二回りも大きい。


「部屋はここが九畳のリビングダイニングキッチンで、手前のドアが配信用の小さな防音室ですね。その奥のドアが四畳半のベッドルームになります」


「これ、一ヶ月いくらですか?」


 寮と聞いて期待してはいなかったが、現在一人暮らししているあのワンルームより余程良い。

 木造で、隙間風が多く、どこからかカビの匂いがする。壁と床を張り替えただけの牙城。

 比べるなら月とスッポンである。――だから思わずいくらなのか聞いてしまった。

 ここ、都内なんだろう?法外な値段取られそうだが。


「会社で全部借り上げちゃってるからね。それに配信は電気代とかも掛かるから水道とか光熱費も込み込みで八千円だね。まあ、給料から天引きされるから心配しなくともいいよ」


 ――八千円。

 その衝撃はまさに博人の瞳に円マークが浮かぶほどだった。

 八千円なら今の下宿の五分の一である。


「僕、絶対親説得して見せるんで。直ぐにでもVtuberデビューするので」


 博人は決意を固めた。


「そうかい?いやあ、気に入ってくれて良かったよ」


 鴨はハハハと喜色満面で頭を掻いた。

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