第4話 顎リサ

 『目が覚めると知らない天井だった』というのはよく聞くが、博人の場合、覚醒の瞬間には眼前に知らない床が広がっていた。

 車に乗って揺られていたはずが、ブルーグレーのタイルカーペットが敷き詰められた暗い部屋にいた。プラスチック製の椅子に座らされ、さらに縄か何かでぐるぐるに縛られている。そして、辺りには何やらグラウンドに引くラインパウダーみたいな粉が撒かれている。

 ぼやけた視界から見た知らない空間。騙されて誘拐でもされたのか。とにかく、周りがどうなっているのか確認しないと。と博人は焦る。

 しかし、身体は思うように動かない。頭痛がする。吐き気がする。寒気がする。眠気と倦怠感が依然として身体の主導権を握っている気がする。

 それでも快調とはいかない重たい意識を必死に働かせて、やっとの思いで首をもたげると二人の人間がいるのが分かる。いや、正しくは一人は人間ではない。


 一人は鴨と名乗った男。もう一人はVモンスターズの顔であるあぎとリサという名義で活動する女性Vtuberだ。

 普通、人を見てVtuberなのかどうか、さらにはそれが誰なのかなんて特定することは出来ない。夢のない話になるが、Vtuberはアバターを通して活動しているから、その中の人がどんな人かは分からない。それなのに、博人には目の前の人物が顎リサだと一目で分かった。

 その人物は配信サイトで見るのと寸分違わない(少し頭身が異なるかも知れないが)日本人離れしたオレンジ色の瞳に、腰まである長髪は緋色。瞳の中にある縦長で楔状の瞳孔がギロリと暗闇に浮かんでいる。異世界、ファンタジー、モンスターをテーマとするVモンスターズの中で、彼女はドラゴンをモチーフにしている。ドラゴンと言えば角、鱗、翼、尻尾のイメージがある。彼女には全身を覆う鱗や背中から生える翼はなかったが、頭の左右に水牛のような真横に伸びた、立派でいかにも重たそうな角が生えている。二つ合わせると頭よりも大きい角のシルエットが暗い部屋の中でも見て取れて、例え視界がぼやけていても、博人は直ぐに顎リサだと理解出来た。

 態々コスプレしているのか?

 博人は未だ冴え切らない頭で思う。


「ああ、おはよう。ごめんね、手荒で」


 博人が目を覚ましたのに気付いて、鴨が言った。


「椅子に縛り付けてあるけど、別に深い意味はないですから。ほら、倒れると頭打ったりして危ないかと思いまして。キツめに縛ってますけど、身体の感覚がはっきりして来たら解放するから、少しだけ我慢してください。本当にそれだけです、他意はないんだけど、手荒になってしまったのには本当に申し訳ないと思っています」


 暗がりの中でも鴨が爽やかに笑っているのが分かる。口調、声色共に敵意や害意は感じないが、それでも知らない間に運び込まれて、縛り付けられているのは事実である。

 「一体どう言うつもりなんだ」と、そう訊きたいのは山々だが、こんな格好でこれから自分がどんな目に遭うかを聞いても仕方がない。そんなことを訊いたとしても抵抗なんて出来やしない。だが、せめて「ここがどこなのか」は知っておきたい。そしてあわよくば逃げ出してやる。そのくらいの抵抗はしてやりたい、と博人は漠然と考えていた。しかし、


「ああ、う」


 思った様に声が出せない。言葉にならない。まだ脳と舌を動かす神経が結びついてない様な感覚。酷く口が麻痺していた。


「ああ、いけない。無理して話すと口の中を怪我するかも知れないよ。麻酔みたいなモノだから、しばらく安静にして――、それで十分後くらいから面談始めましょうか」


 抵抗虚しく、博人は簡単にあしらわれる。今はまともに話すことだって出来ない。チクショウ。悔しい、情けない。博人の中ではそんな気持ちが大きくなっていった。


 これから一体どんな目に遭うのか。十分間、ろくに身動き出来ない身体で考えさせられて、沸々と最悪の想定が浮かんでは消えていった。


 しかし、蓋を開けてみれば、それはただの面接だった。


「十分経ったね。それじゃ、始めようか」


 腕時計で時間を確認した鴨は言った。


「いやあ、実は丁度ゲーマーの部門を立ち上げようと思っていましてね。ゲームの上手い子って言うのを探してたんだけど、いまいちピンと来なくて。ただ、ヒーローさん自己紹介動画でおっしゃってたじゃないですか。『ゲーム配信に携わって仕事として収入を得られるなら何だってやります』って。あの一言が私の胸に響きました。実に素晴らしい。そんな人を探してたんです。

 ――ああ、それと。随分忘れちゃってましたけど、この隣におられるのがウチのところのVtuberの顎リサです。知ってるかな?」


 鴨は興奮しているみたいに情熱的に語る。

 逃げ出すことは出来ないから、博人にはこんなおかしな状況でも、普通の面談として受け応えする他にない。


「はい。……今日はコスプレですか?

 あと、電気って点けないんですかね」


 薄暗い室内で、未だ椅子に縛られている異常な状況で始まった普通の面談に、戸惑う博人は下手したてに伺った。

 すると、今まで黙っていたリサが口を開く。その口の中に線香花火のような一瞬の輝きが見えた。


「――おはグオォ」


 そう言って、なんとリサは炎を吐いた。ネオンピンクに近い不自然な炎色の炎が暗い室内をムーディーにライティングする。そして、リサは何事もなかった様に続ける。


「Vモンスターズ一期生の顎リサだ。今日はそのこともあって直接会いたいって言ったんだけど」


 博人は口をポカンと開ける。何も言葉は出てこない。口の感覚がどうとかではなく、ただ唖然としていた。

 そして、リサの口から放った炎もそうだが、一瞬灯った世界の中で、鴨が机に手を突いて頭を抱えているのも目に焼き付いていた。

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