第3話 就活マナーは難しい

 大学の周辺はベッドタウンとして発展することが多い。都市部では必ずしもそうではないのかもしれないが、地方大学では恐らくそうである。

 先ず、大学近辺に下宿屋が集中し、その周りに大学生の学生生活を充実させるため、大学生を集客のターゲットにした飲食店や余暇施設が建ち並ぶ。


 だから大抵は大学の講義に出なくとも、近辺に部屋を借りているというだけで四六時中、学生の喧騒の中に身を置くことになるのだが、博人の借りる一室は閑静な住宅街にあった。

 大学から徒歩二十分の十畳ワンルーム。日当たり不良。最寄りのコンビニまでは五分、ドラッグストアまでなら七分である。

 学生向けの物件ではなかったが、入居しているのは全て学生であった。ご近所付き合いがないので確信はないが、多分絶対にそうだ。


 多分、大学とは全く無関係の人々が暮らす住宅が密集するエリアに、ポツンと二階建て全八室のアパートが建っていて、周りの戸建て住宅は築二十年以上は経っているかと思われる。

 中には古めかしく瓦屋根の厳しい木造平家建てなんかもあって、そんな落ち着きのある住宅街に、似つかわしくない真四角の大きな白のバンが止まっている。車が一台と自転車二台がやっと通れるかと言う道路を占領し、景観を損ねている。

 時刻は朝の九時十八分。

 博人が二階にある自室から共用の階段をゆっくりと降りて来ると、それはあった。

 ――鴨エンターテイメント株式会社の送迎車だろうか?

 待ち合わせの予定は九時半ということだったが。


 そう博人はアパート前の駐輪スペースから首を伸ばして車の方を伺っていると、光の反射でぼんやりと黒くなっている窓ガラスが降下して、運転手が顔を覗かせる。


「ヒーローさんですか?」


 運転手であるグレイヘアの壮年の男が和やかに微笑んで言った。


 ――ヒーロー?何だ?何の話だ?

 と博人は疑問に思う。


 誰の話をしているんだ?

 博人はさも当たり前みたいに、この人は一体なんの用があってこんな狭い道路で立ち往生しているんだと思っていた。


「ヒーローゲームジュウさんですか?」


 もう一度声が掛かってようやくインターネット上で名乗っている自分の名義に気付く。考えてみればリアルで誰かにその名前で呼ばれることも、自分で声に出して読み上げてみることだってしたことがなかったから、分からなくてもしょうがなかった。


「あ、そうです」


 博人がばつ悪そうにそう答えると、男はいそいそと車を降りて、後部座席へつながるスライドドアを開けた。

 男は車掌やタクシードライバーがするような白の手袋をつけ、五本の指で車内を指し爽やかに告げる。


「どうぞ、乗って下さい」


「あ、はい。よろしくお願いします」


 流れるような一挙一動に感化され、博人はそそくさと車に入った。


 博人は案内されるままに運転席の真後ろの座席へ座った。事前に調べた就職活動のマナーによると助手席へ座ると書いてあったのだが、案内されてしまっては仕方がない。

 車を発車させる前に男は運転席から名刺を手渡して、一言「慌ただしくてすみません」と謝った。

 名刺にはかも賢人けんと、さらには鴨エンターテイメント株式会社、『取締役』と書いてあった。

 お偉いさんだ。そんな人に車を運転させてていいのか。会社としてもそうだが、自分も問題があるのではと博人は後部座席で静かに葛藤し、これは不味いことになったと俯くが、それはそれで失礼にあたると思い間もなく背筋を伸ばした。すると、バックミラーから鴨の黒縁メガネ越しの瞳が博人を見ていた。


「改めまして、鴨エンターテイメントのカモです」


 鏡越しに目が合うと男は軽く会釈して挨拶する。


「いやあ、助かりました。ちょおっと早く着き過ぎちゃいまして。あそこにずっと停めておくのも迷惑じゃないですか?

 どうするかなぁって考えてたらヒーローさんが出て来てくれたので。

 ――あ、楽にしていただいて構いませんよ。我々のオフィスまではかなりありますからね」


 前を向き楽しそうに話している鴨の顔がミラー越しに見える。

 その印象は明るく活動的なベンチャー企業の取締役然とした雰囲気。あくまで博人のベンチャーに対するイメージであるが、きっと仕事も出来るのだろう。良い大学を出たのだろう。と、博人は勝手に社会人としての尊敬を覚えていた。

 その後も、緊張して固くなっている博人を他所に、鴨は楽しそうに話を続ける。そして大学の郊外まで走るとあっと言う間に山間部に入る。


「おお、急に山になりましたね」


「ここら辺、雪とかどうなんですか?

 私、雪国の出身なんですけど、東京に行ってからは足が沈み込むような積雪には合わなくて、結構寂しいんですよ」


 迎えに来る時に散々景色を見ているはずなのに、鴨は他愛のない話で気さくに接する。

 博人の言うセリフは決まって「そうなんですか」だ。鴨に興味がないわけではないが、少なくとも大学や通学のために下宿しているこの辺りの地域にはさほど関心がなかった。相槌と同調、それだけで十五分ほどをやり過ごしたが、東京まではあと四時間ぐらいなんじゃないかと思われる。往復なら八時間。それだけで立派に1日分の労働時間である。

 そうまでして直接話したいと言うのだから、合格とかVtuberデビューは決定的だと思っていいのだろうか。

 博人の口数が少ないのには緊張の他にも、そんな想像を膨らませているからという理由もあったが、何より眠たかった。

 車に乗ると眠たくなる。そんなことは子供の頃から知っていたが、全くついて行けない講義でさえ眠くはならない自分が、こんなところで眠くなるなんて。確かに昨晩も緊張の所為か中々寝付けなかった。

 しかしだ。恐らく朝五時とか四時から車を走らせている鴨の前で、面接を控える今、寝落ちするわけにはいかない。正念場だ。

 頭が上手く働かない。だから博人の口を突くのも曖昧な返事ばかりであった。


 今にも寝そうになる。頭蓋の中で働く意識が近付いたり遠退いたりする。背中を座席に貼り付けるようにして、なんとかこっくりと船を漕がずには済んでいるが、意識は確実に朦朧としている。


 ――不味い。不味いぞ、寝るのだけは駄目だ。眠れなかったって言っても五時間は寝てるだろ。


 目を閉じたい衝動に駆られる。博人はドライアイで目が血走るほど、頑なに瞬きを封じている。それなのに。

 車が大きく揺れ、背もたれから上半身が浮く。その拍子に集中の糸が切れて博人は目を閉じてしまった。筋肉の支えを失った博人の身体は前方に投げ出され、それをシートベルトが受け止める。ベルトが首元に深く食い込み、擦れ、肌は赤くなる。相当に痛かったはずだったが、博人がそれを感じることはもうなかった。

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