◆その水面は心のように

 ポカーンという擬音が聞こえてきそうな浴室。

 ユニットバスでポカーンという表情をしている自分。

 別に頭がアホになったわけではない。

 アホ面をしているだけだ。

 よもや中学二年生最後の日に李奈と一緒にお風呂に入ることになってしまうなんて考えもしなかった。

 …… いや、妄想の中では考えたことがあるが、まさか現実になってしまうなんて。

 まさか自分には妄想を現実にする力が宿っているというのか⁉

 そうだとしたら今まで数々妄想したことがこれから現実に起こってしまうかもしれない。

 祖父母が飼っている犬がいきなり庭を掘り出してそこから大判小判がザークザークザックザックとか。

 高校の推薦入学がいきなり決まるとか。

 最近部活で忙しい妹が久しぶりにお兄ちゃんと遊んでくれるとか。

 オレに彼女が出来るとか。

 …… 最初の一つ以外は割と自分の努力次第でどうにかできそうだな。

 中学二年生最後の日だから遅ればせながらやってきた中二病に発症しようとしていると脱衣所の方から声がかかってくる。

「いまからそっちに行くからこっちみないでね」

 妄想から瞬時に現実に引き戻してくる李奈りなの声。

 今のタイミングで声をかけられなかったら危うく中二病に発症するところだった。

 もし発症してしまったら新学期早々クラスの皆から触らぬ神に祟りなしの扱いを受けてしまう。

 あいつと会話すると中二病に感染するぞといじめられるかもしれない。そんな最悪な一年間は嫌だ。

 ありがとう李奈。オレを目覚めさせないでくれて。

 心の中で感謝の念を送っていると扉をノックする音が聞こえてくる。

悠聖ゆうせい?大丈夫もしかしてのぼせてる?」

「大丈夫だ。ありがとう。入ってくるんだよな?壁の方向いているから安心して入ってきてくれ」

 心の中だけでなく口に出して感謝を伝えておく。感謝の言葉は口に出して初めて意味のあるものだしな。ありがとうを言われて悪い気分になる人間をオレはまだ出会ったことが無い。

 李奈が入ってくる前に体を壁の方向に向き直し体育座りの姿勢をとる。

 別にあぐらでもよかったのだがそれをすると場所を取りすぎて李奈が入るスペースがなくなってしまう。

「それじゃあ入るね。…… 本当にこっち向かないでね」

 三度の傾向を受けるてしまう。

 そんなに信用無いの?李奈と出会ってもうすぐ三年だよ。今まで結構信頼を積み上げてきたと思ったんだけどな。自信を無くすよ。

 両手で顔を覆い絶対見ないという強い意志を態度で示してみる。

 決して落ち込んでいるわけではない。

 さあ、これなら安心だ!心置きなく入ってきておくれ!

 扉の開く音。

 扉の隙間から顔を少しのぞかせる李奈。

 タイルの上を歩くペタペタという軽い足音。

 身体に巻かれたタオルを脱いでいく。

 シャワーから出るお湯を首の下から浴びる李奈。

 シャワーを止めてこちらに向かってくる。

 チャプンッと右足の先からお湯に入る李奈。当然タオルは巻いていない。

 背中に伝わる李奈の体温。

 背中合わせで湯船につかるオレと李奈。

 すごいな。音だけで場面描写が出来てしまった。

 日頃から鍛えようと思っていなくても勝手に鍛えられた妄想力がいかんなく発揮されている。

 もしかして本当に妄想を現実に変える力を会得したのか?

 …… そんなわけないか。

 いい加減馬鹿な妄想はやめようて今はこの妄想のような現実を楽しもう。

 だけど楽しむ前に疑問を一つ払拭しておこう。

「どうして一緒に風呂に入ろうって誘たんだ」

「…… それは、悠聖と二人きりで話がしたかったから」

 若干言い淀みながら理由を話してくれる。

「このところ私がバタバタしていたせいで悠聖と話す機会が無くて、それで強引に今回の場を設けたの」

「本当に強引だったな。いきなりでびっくりしたよ」

「びっくりしたからさっきの悠聖は耳まで真っ赤だったの?」

 脱衣所でのことを言っているのだろう。まさか李奈にみられていたとは。

「うるさいな!驚きもあったけどテレもあったんだよ」

 李奈はくすくす笑いながら楽しそうに水面を揺らした。

 どうやら先ほどまでの緊張や何かを決意した空気はいい感じにお湯に溶け出たみたいだ。

 それは当然俺も同じで先ほどのように顔を赤く染めるようなことにはならない。

 さすがに一度経験していると順応速度が上がっているな。

 これなら李奈とまともに会話ができそうだ。

 二人とも落ち着いた声音で会話が進んでいく。

「そんなに恥ずかしかったんだ。一度みているくせに」

「何度みようとも恥ずかしいものは恥ずかしいんだよ」

 背中を預けながらいつもの調子でからかってくる。

 友達といるときはからかわれることは少ないのだが、二人きりになると途端にからかってくる。

 オレってそんなにからかいやすいのかな?

 自分のことはよくわからないが李奈はオレをからかいやすいと言っていたことがあるな。

 そんなからかいやすいオレからすれば李奈も十分からかいやすいと思う。

「そういう李奈は恥ずかしくないのかよ」

「私は別に恥ずかしくないわよ」

「その割には随分と肩が赤いようですが」

「こっちをみないように。…… これはお風呂の温度が少し高いだけだから。みんなこうなるでしょ」

「いや、オレはこんな短時間にそうはならない」

「みんなじゃなかった。女の子限定だった。女の子は男の子より体温が高くて代謝が良いの」

「そうなのか?そんなの保健体育で習わなかったけど」

 まさか男女の違いでそんなものがあるとは。保健体育で習ったのはゴムの使い方だけだったはずだ。

 正確にはその他にも色々と習いテスト勉強もしたけれど、ほとんど忘れてしまっ

た。理由はあまりにインパクトが強い内容だったから。それと実用性があったから。

 おかげでその知識はちゃんと役立てることが出来た。

「詳しくは知らないけど多分そうだと思う」

 なんだよ。李奈の偏った知識か。

 本気で信じそうになった。だってありそうじゃん。男女の体温や代謝の違い。

 確かにあのときも李奈の体温は高かった気がするから余計騙されやすくなってしまっている。

「それよりよかったのかよ。二人を待たせて風呂になんか入って」

 いまごろ美波みなみとヌエはリビングで掃除をしているはずだ。

「大丈夫だよ。少しぐらい遅くなったって」

「そのこころは?」

「だってあの二人は私たちが付き合っていると思っているから」

「薄々は感づいていたけどやっぱりそうだったのか」

 四人で遊んでいてたまに気を使われて二人きりにされるのはやはりそういうことだったのか。

 身に覚えがありすぎるな。

「ちなみにクラスのみんなも付き合っていると思ってるらしいよ」

「それは知らなかった」

 教室の中ではあまり二人で話す機会はないからな。そう思われていたのは意外である。

「私もクラスメイトに『風利ふうりちゃんは類世たぐよくんと付き合っての?』って訊かれるまでそう思われてるって知らなかったよ」

 そんな質問をされたことがあるのか。オレは一回もされたことが無いのに。

 男子より女子の方が恋バナが好きなのかな?

 オレも李奈みたいに質問されて『別に付き合ってねえし!』とかちょっと斜に構えて答えてみたかった。

 普段あまりマウントを取るような態度をとっていないからたまにマウントを取りたくなるときがある。マウントを取ったからと言ってあまりいい気はしない感じがするけど。

「もちろんちゃんと否定したんだよな」

「私たちは付き合っていないってこと?」

 そう。オレと李奈は別に付き合っているわけではない。

 一度肌を重ねたといってもどちらもお互いのことを好きだとは言っていない。付き合おうとも言っていない。

 昨今の中高生は告白もしないでデートを何回か重ねたのち何となく付き合うことが主流になっているとどこかのニュースアプリの記事を読んだ記憶がある。

 だけど、オレと李奈は今時の若者の様にはいかなかった。

 確かにあの瞬間はお互いの気持ちが一つになったと実感した。

 オレは李奈が好きだった。李奈もオレが好きだと思っていた。

 だが、その後オレが李奈に告白することはなかった。

 それと同様に李奈がオレに告白することはなかった。

 お互いの想いが通じ合ったから告白の必要がないから告白しなかったわけじゃない。

 ただ、なんとなく李奈の心がオレから離れたと感じたからだ。

 このまま告白しても決して実ることはないと肌感覚でわかっていた。

 だから告白はしなかった。

 故にオレと李奈は付き合っていない。

 セックスフレンドというやつでもない。

 ただの少し仲が良い異性の友達ぐらいの間柄だ。

 そんなオレたちがまさか付き合っていると噂されているとはな。

 付き合っていないから当然李奈も否定してくれただろう。

「否定…… しなかった」

 李奈の口から予想外の言葉が紡がれた。

「どうして否定しなかったんだ?」

「だってそっちの方が便利だったから」

 …… 便利?便利ってなんだ?

「誰かと付き合ってることにすれば言い寄られることも少ないと思って」

 確かに李奈はクラスの中でもいや、学年の中でも人気が高い女子生徒だ。前に何度か告白されたと聞いたことがある。

 その告白が嫌だとも聞いたことがある。

 だとしたら、李奈は告白されないためにオレをカモフラージュの恋人にして免罪符に使ったということだろう。

 便利とは利用しやすいという意味か。

「…… ごめん。嫌だったよね」

「そんなことはない。付き合っているという噂が流れたのはオレの態度が原因かもしれないしな。その噂を逆手にとって自分を守ろうとする李奈を責められないよ」

「ありがとう」

 これはオレの根っからの本心。たぶん男子の間では俺が李奈を好きなのは周知の事実だと思う。

 今更隠し立てることじゃない。マウントを取りたいが。

「それに李奈と恋人同士だと誤解されるのは悪い気はしないしな。…… だってオレ、李奈のことが好きだから」

「…… えっ!」

 水面が波打つ。

 まるで李奈の動揺がそのまま表れているようだ。

 けれど、オレの心は浸かっているお湯のように澄み切っていた。

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