第10話

ここは何処だろう。遠くに太鼓の音がする。

暑いから、もう盆踊りが始まったんだろうか。

辺りの喧騒の中で僕の周りだけがしんと静まり返っている。

エキゾチックな香辛料の匂いが、僕の鼻を刺激する。あぁそうだ、ここはウアンバの家。僕はあの大きな木のプァーハの棘に触ってしまったのだろうか、いつのまにか意識が遠のいていた事に気付く。「もしかしてウアンバは山姥で僕は喰われてしまうの?」「それとも祭りの生け贄になるなかな?」

徐々にハッキリしていく意識の中で、そんなことが頭をよぎる。

やはり港からこんなに離れた場所に付いてくるべきじゃ無かったのかもしれない。そう思いながらも、怯えのような感情が湧いてこないのが不思議だった。

まだ体が重く起き上がれそうも無いと思っていると、ギュッギュっと足音が間近に聞こえて、

「さぁ起きろ、飯の支度が出来た。」

アリの声と共に体を起こされた。

「僕がメインディッシュ?」と寝ぼけ声で言うと、アリは

「なんだって、それはお前のお国言葉か?」とバシバシと僕の背中を叩いて笑った。


庭と呼べば良いのかウアンバの家の裏には、ちょっとした広場が在って沢山の人が集って歌ったり踊ったり肉を焼いたりしていた。

ハキムが焚き火の横で炎に彫りの深い顔を照らされながら、遠い目をして佇んでいる。フッと顔を上げてコチラを見ると、破顔して嬉しそうに手招きをしてきた。

ハキムと丸太を繋げただけのベンチに座っていると、皆んなが笑顔で挨拶に来て食べ物を皿に乗せていく。

「こんなに食べられやしないよぅ」と困った様に言うと、ハキムは

「気にするなとりあえず貰っとけ棗椰子の礼さ」と言うばかりだ。

その後も踊りに付き合えと手を引かれ、国の歌を聴かせてくれと唄わされ、村祭りの主役になった様な気分で数時間を過ごした。


月が空の天辺まで行くと、人々は散り散りに帰って行って、ウアンバの家は急に暗闇と静寂に包まれた。

すると厳かにウアンバが、

「さぁこれからが本番さ。」と言って、村人に踏み固められた広場の中央に、杖で自分を中心にして円を描く。滑るような動きで何かをモゴモゴと唱えながら、正確に五等分された円の中を線で埋めていく。描き終わると、

「さぁ線を踏まずにあの中にお入り。」と言われ、とうとう僕が生贄なる時間がやって来たのだと観念する。

その様子にウアンバは声を上げて笑い、ハキムに何事か小声で伝えている。

ハキムは聴きながら目を丸く見開き頷きながら、僕の方へ向き直った。

「生贄とは野蛮な考えだが、それも悪くないか。自らその輪の中に入ったのだから、諦めろ。」と厳しく言った後にプッと吹き出し、天を仰いでしばらく笑った。

「そんなわけないだろ」と真面目な顔をして、

「目を瞑るって力を抜いてくれ。そして良いと言うまで決して目を開けずに質問に答えてくれ。」

「そう緊張するな、眠って貰ったのも村のみんなで歓迎した事もこの土地を受け入れ易くする為なのに無駄なっちまうだろぅ。」とアリが言う。

「そう言われても…何がなんやら訳か分からん。それなら聞いて良いかい。これから何が起こるのか。それが分からなければこの手の震えや鼓動の高鳴りは収まらないだろうさ。さぁ教えてくれ。」

「おっといけねぇ。言ってなかったのか。アリ?俺が言うと言ったか?」

アリが目をくるりと回して、お茶を飲ませながら話したと言った。しかし聞く前に眠り込んだらしい。

それは、とても不思議な話だ。僕が、いやお爺さんがということになるのか、窓となって外の世界をウアンバに見せるというのだ。

ハキムやアリも誰かを通してよその世界を少しは見る事が出来るが、薄ぼやけていてハッキリと意味が分かる程のものは、見た事がないという。

ジャーマンであるヴァンバが、孤立したこの谷のこれからを占う為に外の世界を見る必要があると言うのだ。


それならばと観念して魔法陣の上に立って目を瞑る。

指示に従って手を曲げたり、開いたりした。

力を抜いて立った僕の体に、ウアンバの呪文が降り注ぎ、体の中がパチパチと泡立つような感覚を覚える。

体が軽くなり浮いてるようだ。


「さぁ見せておくれ外の世界を。

砂で囲まれたこの大地の向こうには何がある。海の向こうではどんな暮らしをしているのか。」

瞑っているのに目線がスッと上に上がり俯瞰するようにこの山を見下ろす。


視線の先に街並みが映る。

石畳、立派な家の連なり。綺麗な噴水。川を行く蒸気船。アレは車。機関車の煙、山高帽の男達長い丈の服を着たご婦人。

コレは、お爺さんが見てきたヨーロッパの街並みなのか。明るい街灯。

目を転じると、焼けた外壁、立ち昇る煙。軍服を身に纏い車に乗る暗い表情の人々。

すると今度は、港。貨物船や客船の他に駆逐艦なども見える。

着物を着た人足の姿。着物と洋服が入り混じった出迎えの人々。

日本髪を結った女の人も居たりする。

瓦屋根、トラックに大八車も、馬さえいる、舗装されていない道路。ラジオの声に集まる人々。

そして少なくない軍人の姿。


「外の世界は戦争に向かっているのかぇ。不穏なものを感じる。」ウアンバが呟く。

「戦争は、いつまでも世界のどこかて勃発しているのさ。」そうお爺さんは請け合う。

「世界が変わる程の大きな戦いが起こると大地が告げている。それはいつ起きるのだ。」

「第二次世界大戦の事か。」

そう告げたのは僕の声だ。

飛行機が飛ぶ空、爆撃の音、キノコ雲。熱い焼けるような空気。


開けようと思っても開かなかった目がパッと覚めたよう開いて、星空が僕を包むように輝いているのを、ただ眺める。僕はプァーハの梢よりも高い空に浮かんでいるようだ。

ウアンバが言う。

「何と、オマエの曾孫の魂が宿っているね。とういことは、戦火を潜り抜けた証拠だね。

あぁ孫からは、平和の匂いがするよ。

そうかい、平穏な時代がやっては来るんだね。それならば我々は暫く、おとなしくここに潜んでいるとしよう。」

ウアンバ はそう呟き、

「それではお返しに、私の魂に宿る受け継いできた古い記憶をお見せしよう。」とまじないの言葉を唱え始めた。

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