エーテルはファンタジックな物理学理論

樫木佐帆 ks

エーテルはファンタジックな物理学理論



 私といふ現象は假定された有機交流電燈のひとつの青い照明である。





 17世紀前、まだ物理が発達していなかった頃。


 空間に何らかの物質が充満しているという考えは古くからあって、17世紀以後、力や光が空間を伝わるための媒質として「エーテル」の存在が仮定されたそうな。エーテルの起源をたどればふらふらと変人のアリストテレス。天体を構成する第五元素。ギリシア語で上層の空気を意味するんだってさ。「我思う、ゆえに我あり」で有名なフランスの哲学者・自然哲学者・数学者であり…愛していた娘フランシーヌを病で亡くした後、それとそっくりの少女人形をいつも抱え、今で言う娘萌え&人形萌えでダメじゃんこの親父なルネ・デカルトはあらゆる物質の隙間を埋める「微細な物質」を想定してそれが光を伝達させるんじゃね? と考え、イングランドの自然哲学者・数学者・神学者である「りんごが落ちるのは何でよ?」で重力を発見した…のは嘘話かもしれないがケプラーの法則から「万有引力」を見つけ出したアイザック・ニュートンによれば、光の実体は多数の微粒子なんじゃね? と仮定、でも光が粒子であると仮定すると、屈折や回折はどうなんのよという問いには「エーテル様の媒質」が光よりも速い振動を伝えており、追いこされた光は反射の発作や透過の発作の状態になり、結果として屈折や回折が生じると答えたそうな。


 とまあ、クリスティアーン・ホイヘンスやらジェームズ・ブラッドリーやらトマス・ヤングやらオーギュスタン・ジャン・フレネルいろいろな暇人どもがエーテルって何よ? という事を研究しつつ、光の波が伝播するためには、水面の波や音の波と同様に何らかの媒質が必要であると考えられて…いるのかどうかさておき、ガス状のエーテルが空間に充満しているんじゃねえのと言われていたが、光を媒質中の横波と考えるのはエーテルの個々の粒子は強く結合して紐のようなものになっていなければならないそうで、流体状のエーテルでは縦波しか伝えることができない、ってあっれー? みたいな感じになり、いろんな研究者が説を出すもイマイチこれだ!というものが無く、ジェームズ・クラーク・マクスウェルがマクスウェルの方程式をなる変なものを導き出し、今ではちょいとメジャーな電磁波の存在があるのではと妄想、さらにヘルツは電磁波の送受信が可能であることを実験的(おおう!)に示した。


 方程式は省略するけど、この速さは、実験的に知られていた光の速さとピタッと一致。この事実から、光は電磁波の一種であると推定されるも、ピサの大聖堂のランプが揺れるのを見て、振り子の問題に夢中になったガリレイの相対性原理に従うならば、光の速さは、その光と同じ方向に進む観測者からはずーっと遅く、逆方向に進む観測者からは速く見えるはず(はずなのか?)で、マクスウェルはん、それエーテルの運動を基準とした絶対座標系が存在し、その座標系でしか存在できませんぜ。で、がっくーんとするも、でもまあマクスウェルの方程式は今でもまあまあ使われている。


 えーっとまとめると「空間に充満していることから流体でなければならないが、高周波の光を伝えるためには、鋼よりもはるかに硬くなければならない。さらに、天体の運動に影響を与えないという事実から、質量も粘性も零のはずである。さらに、エーテル自体は透明で非圧縮性かつ極めて連続的でなければならない」…そんな物質ねえよ!


 そんなこんなで20世紀、エーテルって無くてもいいんじゃね理論ことローレンツとフィッツジェラルドによってローレンツのエーテル理論(詳しくはwiki参照な)で考えられ、「必要以上に多くの実体を仮定するべきでない。現象を同程度に巧く説明する仮説があるなら、より単純な方を選ぶべきである」というオッカムの剃刀でスパコーンと切られ、世界ふしぎ発見でボッシュートとなった。





 私といふ現象は假定された有機交流電燈のひとつの青い照明である。





 これは宮沢賢治の詩集「春と修羅」の「序」の最初の一文というか一部分である。


 宇田川榕菴の舎密開宗は光の最小単位としてニュートンが仮説した光の粒子、つまりエーテルを「光素」と名づけた。まだ様々な理論でエーテルという光の触媒が否定される前かあとかは知らん。現在「エーテル」と言えば麻酔剤等に使われる有機化合物の名を指す。


 僕の名前は藤坂光素。父親が宮沢賢治のファンで僕にこの名前を付けた。小さな頃はよく宮沢賢治の童話などを読み聞かせられた。


 そのせいもあり、今は17歳、自宅警備員であった。自宅で何を警備しているのか、それは、太陽の光から自分の体を、である。


 僕の部屋の窓は黒い、紫外線を防ぐフィルムで覆われている。色素性乾皮症。xeroderma pigmentosum、通称XP。太陽光疾患の一つである。人間は太陽の光を浴びると日焼けする。そのメカニズムは紫外線によってDNAが損傷するからだ。健康的に肌を焼く、つまりメラニンがどうのこうのは置いておく。


 夏の海に行くと…僕は行った事がないが、よく首のまわりに水疱ができたりするだろうが、それは紫外線によって細胞が死滅し、その水分が水疱になるのだ。放っておけば皮膚の代謝で治るのだが、XPの場合はDNA損傷部位を修復する機能が遺伝的に低下しているため、DNAレベルの損傷が残り続ける。だから太陽の光を浴びる事ができない。例えば普通の人でも太陽の光を浴び続ければ皮膚がんになるだろうが、XPの場合は2000倍のリスクがある。


 例えるならレベル100の勇者が素手で最も弱いモンスターを素手で攻撃したら9999ダメージで、オーバーキルどころではない。ちなみにモンスターの方が僕だ。最も酷いレベルだと10歳までに80%が皮膚ガンで死んでいく。夜でも微量の紫外線があるので外出もできない。僕はそれよりかは酷くないが、まあ、30歳までには死ぬのだろう。


 細かい事を言ってしまったね。というわけで、一日中ネットとゲーム三昧だ。死ぬとわかっているとあれだね、人生がどうのこうのより余生だね。光素という名前はちょっと恨めしいけど、いい名前だと思うよ。小さい頃、こんな名前付けてごめんなと父親に泣いて謝られたけど、気にしてないんだ。それは宮沢賢治の童話を良く読み聞かせられたかもしれない。


 それは夏の日だったかもしれない。遠くに入道雲が見える、向日葵が咲き誇る真夏だったのかもしれない。TVやネットの天気予報ニュースでしか知らなくて、部屋はクーラーがガンガン効いていたけれど。


 17歳、普通なら高校生で夏休みで童貞を捨てる絶好のチャンスなんだろうけど、僕にはそんな事できるはずも無く。そんなある日、思っても見ない客が来た。客というか妹だった。自分がこのような病気のため、家を暗くする必要があり、病気を持っていない妹には光ある暮らしがして欲しいと、近所であるが外で暮らさせていたのだ。


 妹は中学生で母親と一緒に暮らしている。母親はこっちの家とあっちの家を行ったり来たりしている。妹もこの暗く陰気な家があまり好きでなく、家には寄り付かなかった。その妹がやってきたのだ。そしていきなり僕の部屋に入ってきた。目には涙を溜めている。そして、ただいま、でもなく、早く死ね、でもなく、お兄ちゃん死んじゃうの? だった。


 …ああ、そういえば妹には病気の事をあまり詳しく話していなかったのだった。そういう方針にしようと家族で決めたのだ。泣きながらそう言ってきたという事は、ある程度調べたのだろう。僕は答える代わりに冷蔵庫にプリンあるよ、僕のだけど食べていいからと答えたのだが、妹は、その場で泣き崩れた。ああ、宮沢賢治の妹を思い出す。死ぬのは妹の方だけど。


 どうしようもないので、どうしてその事を知ったの? と妹に尋ねたところ、TVのドラマで紫外線に当たると死んでしまうという物語をやっていて、それをきっかけにお兄ちゃんの病気を調べたら、後数年しか生きられないという事を知ったそうだ。とりあえず僕はまだ生きてるので、まだ生きてるよ、とおどけたら、馬鹿、と僕のほうにしがみつき僕をぽこぽこと叩きつけた。


 ああ、悲しんでくれるのか、可愛いね。僕の妹は。そして私どうしたらいい? と僕に聞いてきた。いや、僕に言われても、ええと、数年後に死んじゃうし。久しぶりに感じた妹の体温は暖かかった。命が燃えている様だった。だから、抱きしめさせてと言ってみた。


 暗い部屋の中、クーラーの冷房で僕の体は冷え切っていた。だからまあ、体温を感じたかっただけなのだが、僕を抱きしめたままで涙を拭った妹はいきなりドギマギとしはじめた。え、あ、ん? ええ? と声にならない声を出し始めたので、ああ、うつらない病気なんだけど触れるの嫌なんだろうなと思ったので、ああ、別にいいよ、と言うと、妹は少し考え、僕にあっち向いててと言った。


 よくわからないが、その通りにして、ちょっとして妹がいいよといったのでもう一度振り返ると、そこには裸の妹がいた。えー? と思う猶予を与えられず僕を椅子から強引に落として、カーペットの床の上で妹は、強く、強く、僕の体を抱きしめた。手も握ってきて、妹が冷たいと言ったので、こっちは暖かいよというと、妹は僕の胸の上で泣いた。涙が薄いワイシャツに染み込み、濡れているのがわかった。


 光素というお兄ちゃんの名前、好きだよ、私は「灯」でさ、多分、この私の体ってお兄ちゃんを暖めるためだったのかな。


 灯とは妹の名前だ。妹の涙がPCのモニタの光で反射して星のように見えた。愛しいというのはこういう事なんだろうか。大して顔の良くない兄と僕にとっては可愛い妹が抱きしめあっている。体温をもっと感じたくて、服を脱いだ。自然な事だった。僕も妹もセックスするという事は全く考えてなくて、ただ裸で魂を繋ぎ合うように抱きしめあって、妹は泣いて、僕も泣いてしまって、悲しいけれどそれはとてもとても安らかな、3分ほどの時間だった。


 …ああ、きっと今、この暗い部屋にはエーテルが満ちている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

エーテルはファンタジックな物理学理論 樫木佐帆 ks @ayam

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ