■ 冠省・中

 だが、彼女は譲らなかった。

会って受け取りたい。自分だったら会っても大丈夫である。

自分は人に嫌われたことが一度も無い。誰もが自分に好意を寄せる。

自分が指定した日なら都合が良いのでその日にしたい、と数ヶ月後の平日を指定してきた。


そしてその日は自分の誕生日なのだと、聞いてもいないのに教えられた。


この辺りの文面は漢字を頼りに内容を推測していた。

文字というよりも、文面が絵の様相なのだ。

なんといえば良いのか判らないのだが、ともかく字では無く、絵の様な文面なのだ。


親しい相手であるのなら、内容もしっかりと理解できただろうし、了承をしたかもしれない。

だが、僕は全くの他人であり、繋がるつもりもないのに繋げられてしまったのだ。何故わざわざ相手の誕生日に会いに行かねばならないのか。


■■■■■■■■■■■■■


僕は彼女と仲良くしたい気持ちは微塵も無かった上に、通話、会話が本当に困難な状態で、音を出さないように設定してある携帯に着信があるだけで身体が震え、何度も何度も着信があると、恐怖に駆られ、これ以上そのままにしたら、また相手が怒り出し、罵詈雑言を浴びる羽目になるのでは無いかと戦戦恐恐の状態に陥り、半ばパニックになりながら、恐怖のメーターが振り切れ、結果として電話に出てしまう。


当然だが恐怖とパニックで半過呼吸の状態になる。息を吸えるが吐けなくなる。その状態で通話をすることになり、ともかく早く終わらせる為に、相手が強制したことに了承の返事を繰り返すのみになる。内容は覚えていないことが多々あり、返事も呂律が回らぬ状態で短い返答しか出来ない。しかしその肯定しかしない状況は、相手にとっては格好の餌食となるのだ。何を言っても僕は肯定しかし無い。いや、出来無いのだ。

相手が飽きるまでの長時間に及ぶ通話の終了と共に携帯をその場に置き、部屋から逃げ、台所の隅で夜を明かすことも珍しく無かった。



僕のアパートの住所は知り合いの知り合いの知り合いが実家へ電話をして親から聞き出し、彼女に教えてしまっている。郵便番号も番地も余さず伝えたと親に告げられた。曰く「人には礼儀を通せ」である。彼女と同様にこちらもこれが口癖なのだ。僕以外には礼儀を通せということで間違いない。


しかし彼女の場合は他に手段も相手もいるのでは無いだろうか。それならばツイッターにでも書いたらどうなのかと思ったのだが、もしかしたら、そちらへも記載をしていたのかもしれない。他の取り巻きらしい人物にも話をしていたのかもしれない。


僕は全く彼女のそれらを見ることもしなかったので知り得ないのだが。

そもそも彼女とは知り合いですら無いのだ。

そして僕は人に対して過敏になっている状態であり、これはもう自身でどうにかできるものでは無いのだ。相手が害があろうが無かろうが、その当時は身体がガタガタ震え、歯がガチガチと音を立てたまま治らなくなる程度には人が怖かった。


何度も何度も説明を試みるが理解しては貰えない。


住所が本当ならばだが、隣の市に住む彼女は自分からこちらへ来る気は毛頭無く、僕が自分の居住地へ来る様にと譲らない。

曰く「普通は相手が来るもの」なのだそうだ。

自分の周囲の人間はそうしているとだということであった。


さっさと郵送してしまえば良かったのだが、受け取らないとの一点張りで、もしも勝手に郵送しても送り返すとのだと返信してきた。


僕はこの会話に対し、そもそもゲームソフトを借りる為に連絡をしてきたのだろうと言うこと、会って受け取る為に都合をつけるより、互いに住所を知っているのだから、郵便物として発送する方が早いこと、再度になるが、返却はしなくて良いので無料で差し上げますと言うこと、こうして日々メールのやり取りをしている間にゲームソフトは手元へ届くであろうこと、そうすれば早くゲームをプレイできるのでは無いだろうか、と入力して返信をした。



すると携帯電話が振動し着信を告げた。

僕は驚いてそのまま携帯を放置し、財布と鍵を持って外へ逃げた。



■■■■■■■■■■■■■


買い物をし、公園でぼんやりし、辺りが暗くなる頃に帰宅すると、僕の携帯電話は沈黙していた。

どうやら充電が無くなったらしい。

充電器に繋ぎ、電源を入れる。


彼女からの着信は、凄まじい数だった。

親といい、上司といい、彼女といい、何故僕はこのタイプの人間を引き寄せてしまうのだろうか。

電源を入れたことにより、また着信が始まった。

僕は携帯をそのまま放置し、処方されていた睡眠薬を飲んで就寝した。

恐怖しか無かった。

もちろん台所の隅で毛布をかぶって寝た。

凍死が苦しく無いのであれば、そうなりたいと薄っすら思いながら。


■■■■■■■■■■■■■


ところで、メールのやり取りをしている中で、彼女は口癖の様に


「メール画面の向こうには人間がいることを忘れるな」

「電話の向こうには人間がいることを忘れるな」

「人には心があることを忘れるな」


と、主張していた。

要するに、言葉で人を傷つけるという行為をするなと言うことなのだろう。


しかし、彼女は僕の知り合いの知り合いの知り合いに聞いたであろう、僕の学生時代の失敗や教師に怒られたこと、好きな人に振られたことや親に人前で怒鳴られたこと、等の情報を仕入れては僕を笑っていたのだ。


メールで笑うとはどういうことなのかというと、こう言うことだ。




「(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)」

「(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)」

「(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)」

「(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)」

「(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)」

「(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)」

「(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)」

「(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)」

「(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)」



これが文字数の上限になるまで記載された本文が送信されてきた。

僕はそうだねと一言返信をして止めたのだが、この後に数通同じ本文内容のメールを数通受信していた。


他にも


「ニヤニヤ。クスクス。ニヤニヤ。クスクス。ニヤニヤ。クスクス。」

「ニヤニヤ。クスクス。ニヤニヤ。クスクス。ニヤニヤ。クスクス。」

「ニヤニヤ。クスクス。ニヤニヤ。クスクス。ニヤニヤ。クスクス。」

「ニヤニヤ。クスクス。ニヤニヤ。クスクス。ニヤニヤ。クスクス。」

「ニヤニヤ。クスクス。ニヤニヤ。クスクス。ニヤニヤ。クスクス。」

「ニヤニヤ。クスクス。ニヤニヤ。クスクス。ニヤニヤ。クスクス。」

「ニヤニヤ。クスクス。ニヤニヤ。クスクス。ニヤニヤ。クスクス。」

「ニヤニヤ。クスクス。ニヤニヤ。クスクス。ニヤニヤ。クスクス。」

「ニヤニヤ。クスクス。ニヤニヤ。クスクス。ニヤニヤ。クスクス。」


という文面もあった。

笑うのは自由であるが、これだけを文字数上限まで記載された文面を見なければならないこちらの身にもなって欲しい。



また、僕が毎日他愛の無いやり取りをするのが本気で苦痛であったので、一日返事をしなかったことがあった。その時の彼女の文面は、まず、人に対しての礼儀が無いとの一文があり、以下は、


「最低。最低。最低。最低。最低。最低。最低。最低。」

「最低。最低。最低。最低。最低。最低。最低。最低。」

「最低。最低。最低。最低。最低。最低。最低。最低。」

「最低。最低。最低。最低。最低。最低。最低。最低。」

「最低。最低。最低。最低。最低。最低。最低。最低。」

「最低。最低。最低。最低。最低。最低。最低。最低。」

「最低。最低。最低。最低。最低。最低。最低。最低。」

「最低。最低。最低。最低。最低。最低。最低。最低。」

「最低。最低。最低。最低。最低。最低。最低。最低。」


これがまた文字数上限まで記載された本文が送信されてきた。

さらにこの時は追撃があり、自分をお姫様扱いしなかったことを謝罪しろ、と言う一文と、以下は、


「謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。」

「謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。」

「謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。」

「謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。」

「謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。」

「謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。」

「謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。」

「謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。」

「謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。」


ワンパターンではあるが、こちらの精神的負荷はかなりのものである。

しかも、この二つのパターンのメールが交互に数十通送信されて来ていたのだ。


ちなみに文字数の上限まで行くと文面が途切れているので解るのだ。

僕の型の古い携帯の話なので、最新式のものは不明であるが。


そして何故最後まで見るのかというと、最後にまた何かしらの言葉を記載し、それについての返事がないと再び激昂するのだ。


激昂した時の文面は


「最っ低!!最っ低!!最っ低!!最っ低!!最っ低!!最っ低!!」

「最っ低!!最っ低!!最っ低!!最っ低!!最っ低!!最っ低!!」

「最っ低!!最っ低!!最っ低!!最っ低!!最っ低!!最っ低!!」

「最っ低!!最っ低!!最っ低!!最っ低!!最っ低!!最っ低!!」

「最っ低!!最っ低!!最っ低!!最っ低!!最っ低!!最っ低!!」

「最っ低!!最っ低!!最っ低!!最っ低!!最っ低!!最っ低!!」

「最っ低!!最っ低!!最っ低!!最っ低!!最っ低!!最っ低!!」

「最っ低!!最っ低!!最っ低!!最っ低!!最っ低!!最っ低!!」

「最っ低!!最っ低!!最っ低!!最っ低!!最っ低!!最っ低!!」



本人が断固として主張している「メールの向こうには…」「電話の向こうには…」の文句は、


自分に対して傷付く内容の文章を送ってくるな、でも自分は送ります。


と言うことだったようだ。


しかしパターン化した文面の方が文字として読めるのは何故なのだろうか。

日頃の文面はわざとあのように記載をしているのだろうか。

解決しなくても一向に構わない謎である。


■■■■■■■■■■■■■


さて、電話に出ずに朝を迎えた僕の携帯電話はかなりの熱を持っており、着信件数は更に足されて凄まじいものになっていた。しかしなぜかメールは、一通も来ていない。

彼女は一体何がしたいのだろう。

そもそも面識も無く、友人でも何でも無い関係なのである。


その日の夕方にメールが来た。

声が聞きたい、誤解を解きたい、と言う内容だった。

一度も話をしたことのない相手の声を何故聞きたいのか解らない。

そして誤解も何も無いのだ、僕は今現在この状態だから、話し相手にはなれないですと何度も何度も伝えているのだ。


声を聞く前に文字を読んでくれないだろうか。

多分だが、彼女は僕のメール本文など、読み流しているのだろう。



■不一

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