第26話
※
翌日から、僕は専ら秀介と共に行動するようになった。
白兵戦の訓練と、重火器の取り扱いの習得のために。
いつ、どこに、どんな形態のゾンビが出現するか分からないが、何もしないでいるよりはいい。
例えば、柔道技の訓練。敵が人型であれば、実戦でもなかなか有効だということは以前から研究されていた。
その柔道技を基に、原型である柔術――相手の殺傷を目的とした格闘術――を組み合わせた戦術が、この部隊独自の戦い方として採用されている。
「腕のプロテクターを意識しながら、胸を張るんだ。腕力と胸筋の力で、背後から敵の首を絞める」
「分かった、やってみる」
指南役は秀介が務めてくれた。
時折、隊長も指導に入ってくれている。彼の担当は、重火器の取り扱いを僕に教えること。ゾンビを接近させずに仕留められるに越したことはない。
秀介との組手を終えた僕は、軽く休憩してから射撃訓練場に向かった。
「お世話になります、隊長」
「いえ。ただ意外でしたな、あなたが自分から戦闘訓練を受けたいとおっしゃるとは」
「ええ、そう思われるでしょうね……」
隊長の精悍な顔を見ている間に、僕はだんだん自信を失っていくのを感じた。
理由は単純で、自分が足手まといになるのではという心配があったから。
それを知ってか知らずか、隊長はふっと笑みを浮かべて、人型の的が投影されたスクリーンを見遣った。
「我々は対人戦とは違い、腹部は狙いません。屈強なゾンビが相手では、動きを止めるのに有効ではないからです」
「だから足を狙って銃撃をしているのですね?」
「流石博士、よく見ていらっしゃいますな。本当は頭部を狙えるのが一番いいのですが、万が一外した場合、反対側にいる味方が被弾する恐れがあります。だからまず足を撃って動きを鈍らせ、転倒したところで斜め下方に銃口を向けて頭部を破砕する。そういうわけです」
まあ、今更言われるまでもないでしょう。
そう言って、小隊長は一丁の自動小銃を取り上げた。
「そこで我々に供与されているのが、これです。持ってみてください」
見慣れた自動小銃を、改めて手にしてみる。
軽くて重い。それが第一印象だった。実際に弾倉を抜いて掲げてみると、大した重量はないのだ。
だが、僕はこいつに自分の命を預けることになると思うと、軽々しく扱えない代物だという気がしてくる。
「しかし隊長、僕も意外でした」
「ほう? 恵介博士、意外、とは?」
「今まであなた方は、ずっと僕を守りながら戦ってくださった。僕は……まあ、言ってしまえばそのご努力を無にして戦おうとしているんです。僕を守ろうとして負傷した兵士の方々もいらっしゃるでしょうに」
すると、隊長の顔からするり、と感情が抜け落ちた。どこか遠くを見るような目で、僕の頭越しに何かを見つめている。
「博士、あなたの言うことは間違っていない。本当だったら、秀介二曹から相談を受けた時点で、博士に戦闘任務は諦めさせろと命令するところです。だが……」
「だが?」
「あなたは、あまりにも多くの物事を抱えすぎている。あのリナという少女の件もそうです。ただでさえ、研究員に対してはあまりに過酷な戦場にお連れしているというのに」
「それはゾンビの、活動停止後にすぐに蒸発してしまうという特性上、自分が出向くのがやむを得ないからです。誰が悪いという問題ではありません」
「まだそんなこと言ってんのか、兄貴」
はっとして振り返ると、先ほどまで相手をしていた秀介が立っていた。ミネラルウォーターのペットボトルを掲げ、ぐいっと口元を腕で拭う。
「どうもすみません、隊長。兄貴、いや、恵介研究員が勝手なことを」
「お前に責任はない、秀介二曹。今は人員も不足しているし、一方で敵も強力になりつつある。この事案に関わっている各々が、自分の信じることを為すしかない。だから俺は、恵介博士の意志を尊重したいのだ」
「……了解しました」
用は済んだとばかりに、秀介は敬礼して踵を返した。
「恵介博士、あなたの危惧は分かる。誰しも戦場に出れば、味方の死傷を経験します。あなたはそれを何度となく乗り越えてきた」
「それは……そうです」
「大丈夫、ちゃんと戦えますよ。訓練すればね」
こうして僕は、弾倉の交換、初弾の装填、セーフティの解除、構え方などを把握し、その日の訓練を終えた。
※
次に出動命令が下ったのは、遊園地での一件からちょうど一週間後のことだった。
秀介のフットワークを間近で見ていたからだろう、僕はそれなりに戦うことができるようになっていた。
階級はまだ明確でないが、単に守られるだけの自分から少しは脱することができたのでは、という自負が僕にはあった。
「恵介博士、念のためお伝えしますが、あなたにとってはこれが初陣です。無理に前に出ようとはしないでください」
「了解です、隊長」
「それと、会敵した際は――」
「屈んで敵の大腿部を狙う、ですよね。転倒させるために」
そう答えた僕に、隊長は満足げに頷いて見せてから声を上げた。
「総員、各個に輸送車に搭乗! 現着までの百二十分間が、銃器の最終確認の機会となる! くれぐれも不調をきたさぬよう、念入りに確認しろ! 以上!」
おう、という声が一斉に響き渡る。そこには、今までにない緊張感が込められていた。
高速道路上での戦闘において、殉職者四名、重傷者七名が確認されている。部隊規模にもよるが、一回の出撃で戦闘不能に陥る兵士の数は増えつつある。
明日は我が身、という覚悟は、全員が入隊した時から抱いている。しかし、敵が手ごわくなるという不気味さ、眼前で仲間が倒れていく無慈悲さは、皆の心を蝕んでいるに違いない。
やはり、守られるだけの自分を辞めてよかったと思う。皆と思いを共有できる。
そんな甘い考えで参戦したのかと非難されるかもしれないし、僕自身が、来なければよかったと後悔するかもしれないが。
おっと、これではいけない、手元が狂ってしまう。
僕は我ながら慣れた手つきで自動小銃を操作した。ごくり、と喉仏を上下させ、現着までのどろどろした時間を過ごす。
会敵する前に、想像力を使わなければならない懸念事項がある。それは、今回の現場のことだ。
移動に二時間もかかるのには理由がある。単純に、この部隊の駐屯地から現場までの距離があるからだ。
その現場というのは鉱山跡地。つまり、極めて閉鎖的な空間での戦闘が想定されている。
今までの記録上、香藤が爆発物を使用した事例や、そのための準備を行った形跡がないことから、生き埋めにされる可能性は低い。だが、間違いなく奴はゾンビ、すなわち自分の研究成果を以て迎撃してくるだろう。
そうなると、やはりどんな怪物が襲ってくるのか、というおぞましい妄想が広がってしまう。
落ち着け、諸橋恵介。今までだって生き延びてきたじゃないか。しかも今回は柔術や自動小銃が使える。強くなっているのは敵だけじゃない、僕自身もだ。
僕は自動小銃を肩に立て掛け、両手でパチパチと頬を叩いた。
その時、不自然な動きが感じられた。運転席と荷台の間の隔壁と、長椅子との隙間で何かが蠢いたのだ。最奥部に座っていた僕が最初に気づいたらしい。
まさか――。
僕は再び、ごくり、と唾を飲んで、そこに置かれた迷彩柄のシートに手をかけた。
「どうしたんだ、兄貴?」
正面にいた秀介が声をかけてくるが、応じる余裕はない。ただでさえ緊張を強いられているのに、自分のそばで謎の物体がもぞもぞしている。これ以上の『謎』には付き合いきれない。
僕は意を決して、シートを引き剥がした。
「うわあっ!」
「あ、見つかっちゃった……」
そこには隻腕の少女が、体育座りで小さく収まっていた。
「リナ! 何やってるんだ、こんなところで?」
思いがけない人物の登場に、荷台の内部はざわついた。
《どうされましたか、恵介博士?》
「先日洋館で救出した少女が乗っています! どういうことですか?」
《ああ、見つかってしまいましたか……。じっとしているように言いつけたのですがね》
「あなたがリナを連れ出したんですか?」
《保険です。あなたが、いえ、我々が窮地に陥っても、彼女は念動力で戦ってくれる。博士の報告書にはそんな記載があったと記憶していますが》
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