第25話【第五章】

【第五章】


 沈黙が、僕の肩に凄まじい重圧をかけている。

 その日の深夜、宿舎の空き会議室でのことだ。


 今ここにいるのは、僕と秀介、それにさくらさん。かれこれ二時間近くも、三人で黙りこくっている。


 理由は明らか。リナが右腕を欠損するという、致命傷を負ったからだ。

 いや、外的、物理的負傷ならまだ分かる。問題なのは、リナの身体は破壊されたのではなく、自ら崩壊に向かってしまったということ。


 解析の結果、リナの右腕は『破損』というより『自壊』に近いものであり、そこにはリナの行使する念動力が関与している可能性が極めて高い。


 仮説だが、リナの身体を構成していた引力のようなものが念動力の行使によって弱まり、その弱さが右腕に集中して、離れてしまったと考えられる。


 それについて考察すべく、僕たちはリナと親交の深い人間として集っているわけだ。


「リナちゃんにあんな力があったなんて……」


 さくらさんがぽつりと呟く。

 僕は微かに顔を上げた。二時間ぶりの会話の端緒をさくらさんが作ってくれたのだから、きちんと応じなければ。


「ええ。しかし、その力を行使する度に彼女の死期は近づいてきます」

「私、実戦に巻き込まれたのは初めてだったけれど……。あんな、残酷な……」


 目元にハンカチを宛がうさくらさん。僕には彼女の涙を止めることはできない。

 僕が自分の非力さを呪いながら、大きな溜息をついた、その時。


「くそったれが!」


 があん、と無人の椅子が蹴り飛ばされた。


「おい、落ち着け秀介」

「落ち着いていられるかよ! これじゃ、リナは早死にするじゃねえか!」


 怒りで顔を真っ赤にしながら、口角泡を飛ばす秀介。

 いや、短絡的な怒りで、というのは語弊があるかもしれない。現実の理不尽さに抵抗しきれず足掻いていて、それが秀介の場合は怒りに繋がった。そう考えた方が腑に落ちる。


 苛立ちを隠すほどの理性を失い、秀介は僕とさくらさんの前を行ったり来たりし始めた。


 僕は自分の携帯端末を取り出し、手術室のライブ映像を呼び出した。

 肩まで抗菌シートを掛けられたリナは、点滴も人工呼吸器も施されずにすやすやと眠っている。

 だが、シート越しにでも右腕がないのは見て取れた。


 右腕が外れたのは、ちょうどプラモデルのパーツが外れるような感覚だったのではと僕は想像している。リナは痛みを訴えることもなく、出血もほとんどなかった。


「なあ兄貴、リナはその、念動力? それを使わなけりゃこれ以上身体が壊れることはないんだろ? 戦場に連れ出さなければいいんだろ? そうすれば生きていけるんだろ?」

「多分、な」

「多分って……。さくらさん、そうなんでしょ? リナを戦いから遠ざければ……!」

「止めろ、秀介」


 僕は腕を組んだまま、できるだけ穏やかに秀介に呼びかけた。

 ここで言い争いをしても何も変わらないし、何より泣いているさくらさんに詰め寄る秀介を妨げなければならなかった。


「ああ、もう!」


 秀介は乱暴に椅子に腰かけ、長テーブルに足を載せた。

 かと思いきや、すぐさま足を引っ込め、肘をついて前のめりになった。そのままぐしゃぐしゃと自分の髪を掻きむしる。


「どうして……どうしてリナがこんな目に……」


 これは最早、僕たちの手に負える状況ではない。

 できることがあるとすれば、二人の話を聞いてやることだ。


 精神的に没している秀介を一旦棚上げし、僕はさくらさんの方に身体を向けた。


「さくらさん、この前のバインダー、見ました」

「……」


 さくらさんは無言。だが、しゃくりあげるのを止めて顔を上げ、僅かに両目を覗かせた。

 

「そこで、気になったことがあるんです。今お話してもよろしいですか」

「え……」

「秀介にも知っておいてもらった方がいいかもしれない事案です。もし、あなたさえよろしければ」


 目元を一通り拭ってから、さくらさんは、何でしょうか? と尋ねながら姿勢を正した。


「あなたのお兄さんのことです。学校でいじめを受けていたあなたを見るに見かねて、彼がいじめの首謀者らしき人物の家で殺傷事件を起こしたことは間違いない。気になるのは、その後のあなたの立場です」

「私の……?」

「もし僕がさくらさんと同じ境遇だったら、兄のことを想って、反社会的勢力につきます。それこそ、香藤玲子のような人物の協力する、とか」


 目をしばたたかせるさくらさん。どうやら話の核心に触れそうな予感だ。


「あなたは小学生の頃から優秀で、とりわけ分子生物学に類する研究に興味を抱いていた。しかし、その才能を活かしたのは、ゾンビを造るのではなく駆逐するという仕事でのこと。何故です? この社会に復讐したいとは思わなかったのですか?」

「それは、思いませんでした」


 さくらさんははっきりそう言った。


「私にも非がありますが……。兄を凶行に走らせたのは、香藤玲子なんです」

「なっ……! ど、どういうことですか?」

「私の兄は、人間の狂暴性を測るための実験台にされたんです。実行犯は私、計画したのは香藤です」


 んん? なんだ? 何が何だって?

 僕は眉をひそめた。それを見て取ったのか、さくらさんはすっ、と息を吸って、言葉を続けた。


「私が小学生の時、香藤が私に会いに来たんです。私が学会でも名が知れるようになったのと、香藤が学会を追放される前の僅かな期間のことです」

「直接、小学生時代のあなたに会いに? 香藤の目的は?」

「当時高校生だった兄は、体操でインターハイを目指せるほどの実力者でした。彼の屈強な身体に目をつけたのでしょう、人間を狂暴化させる薬品の実験台に相応しいと」


 香藤は下校途中のさくらさんを待ち伏せし、声をかけた。当時から学会で有名だった香藤との突然の遭遇に、さくらさんは大層驚いたそうだ。

 まともな判断力の欠如していたさくらさん。その憧れの的だった香藤。香藤は、さくらさんにこう言った。あなたをいじめから解放してあげる、と。


「どうやって私の状況を把握したのかは分かりません。でも、直接兄に薬剤を渡すよりは、自分のことを知っている私を経由した方がよいと判断したようですね」


 若すぎる天才と称されていたさくらさん。だが、それを知って嫉妬する同級生も少なくなかった。そこに香藤はつけ込んだのだろう。


「香藤が私に手渡したのは、粉末状の薬剤でした。注射や錠剤よりも、食事に混ぜるのはずっと簡単なこと。兄はその日の夕食のカレーを、何の違和感も覚えずに完食しました。私が薬剤を混入させたとも知らずに」


 その日のうちに、彼は凶行に走った。きっと香藤は、そんなさくらさんの兄の姿をどこかで記録していたに違いない。

 今になっても兄に記憶の混濁が見られるのは、後遺症なのだとさくらさんは語った。


「私が兄の人生を滅茶苦茶にしたも同然です。でも、誰も私の話を信じてくれなかった。香藤と出会ったことも、薬剤を手渡されたことも。だから、私は自分の得意分野を活かして香藤の犯行を止めようと思ったんです。もしかしたら、私の兄と同じような状況に巻き込まれて、罪を犯してしまった人もいるかもしれない。それが冤罪だとは言いませんが……。それでも、真実は明るみにしなければ。私には、香藤を止める義務があります」


 気がつけば、さくらさんはもう泣いてはいなかった。僅かに涙の跡を残しながらも、きりっとした落ち着きのある表情で、僕と秀介を交互に見つめている。


「あなたにも戦う目的があったんですね。復讐しなければならないという義務感が」

「恵介さんや秀介さんには及びません。私は肉親を殺されたわけではありませんから」


 それでも、さくらさんの家族が周囲からどれほどの非難を浴びたかは想像に難くない。

 これ以上、香藤玲子の実験に伴う犠牲者を出すわけにはいかない。ゾンビに襲われる人々のみならず、ゾンビにされてしまう人々も含めて。


 僕はしばし、右手を顎に当てて自分の考えを整理した。


「秀介、頼みがある」

「どうしたんだ、兄貴?」

「明日から、僕に戦闘訓練を施してくれ」

「恵介さん! 何を言って――」

「さくらさん、あなたは来なくて構いません。どうだ、秀介? 頼まれてくれるか?」

「あ、ああ、それは、まあ」


 言葉を繋げられない秀介。無理もない。今まで現場には同行していたとはいえ、僕はただの研究員に過ぎない。それが自ら、戦わせろ、と言い出したのだから。


「もちろん、サンプリングに手を抜くつもりはない。皆の足を引っ張らないように、死ぬ気で努力する。どうだ?」

「いろいろ教えるぶんにはいいけどよ……。権限があるのは隊長だ。次の出動がかかる前に、なんとかしねえとな」

「感謝するよ、秀介」


 こうして、あまりにも密度の濃い一日は幕を下ろした。

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