第24話
キュルルルッ、という甲高い音を立てて、僕たちの車は停車した。
「皆、無事か!」
秀介が振り返る。僕が抱きしめる格好になったさくらさん。彼女が無事であることを確認し、僕は大きく頷いた。秀介の様子を見るに、どうやらリナも無事らしい。
「無茶な運転をしすぎたみたいだな……。この車はもう駄目だ。上空のヘリにロープで引き上げてもらおう」
そう言う秀介に向かって親指を立てながら、僕はそっとさくらさんを解放した。
「あっ、すみません恵介さん、私、咄嗟に……」
「い、いえ、僕がさくらさんを受け止めれば大丈夫だと思って……」
微かに頬を染めるさくらさん。僕も気まずくなって顔を逸らす。
すると、秀介の呟きが聞こえてしまった。二人共不器用だな、と。
どういう意味か問い詰めようと、運転席にぐっと身を乗り出した、その時だった。
《恵介、無事か?》
「あっ、福谷さん! 四人とも無事です! 今、ヘリに懸架してもらうのに車から降りようと――」
《今すぐそこを離れろ! 急げ!》
「えっと、それは」
どういう意味なんですか、と尋ねようとして、僕ははっとした。
この臭気、まさか……!
僕が振り返るのと、トラックのコンテナの後方扉が蹴り開けられるのはほぼ同時だった。
誰が蹴り開けたのか? 言うまでもない。ゾンビだ。
出てきたゾンビたちは、思い思いの方向へと歩み出した。ここは交通事故の現場で人々が密集しており、しかも高速道路上という半ば閉鎖的な空間だ。前後しか退路がない。
上空からは、何機ものヘリが飛び交っている音が聞こえてくる。きっと空対地装備を施した攻撃ヘリもいるだろう。
だが攻撃ヘリがその任務を果たすには、どうしても民間人を全員退避させなければならない。
実際のところ、それは不可能だ。僕たち四人で、道路上の人々全員を誘導することはできない。誘導作業に入る前に――。
「ぎゃあああっ!」
視線の先で絶叫が響き渡った。ゾンビが捕食を開始したのだ。
「さくらさん!」
僕は咄嗟に彼女をしゃがみ込ませた。さくらさんにはとても見せられる光景ではない。生で見せるには惨すぎる。
今度のゾンビは、先日洋館で遭遇した者たちとほとんど変わりない。だが、下半身が強化されているようだ。のっそり歩むのではなく、走って民間人に噛みついている。
あちらこちらで血飛沫が上がる中、僕たちとトラックの間にロープが下りてきた。
《恵介、これから兵士を降下させ、ゾンビを駆逐する! 武器を受け取れ! 秀介にも伝えろ!》
「りょ、了解です、福谷さん!」
言うが早いか、最初に降り立った兵士は二丁の自動小銃を背負っていた。
素早く駆け寄り、僕たちの前で片方の自動小銃を差し出す。
「諸橋秀介二曹、隊長から命令だ。我々がゾンビの相手をするから、援護しろと」
「了解!」
「それと、諸橋恵介博士。自衛用です。こちらを」
僕の前に、オートマチック拳銃が差し出される。だが僕は、自分よりも秀介の方が心配だった。
「秀介、プロテクターもなしで……!」
僕は秀介の腕を掴もうとして、するりとかわされる。
「命令だぜ、兄貴! 俺だって期待されてんだよ!」
ニッと口角を上げてから、秀介は自動小銃の状態を確認し、銃声と爆音の響く戦場へと駆け出して行った。
この期に及んで、僕は重要な人物の存在をすっかり忘れていたことに気づいた。
リナだ。
「ねえ、恵介お兄ちゃん、秀介お兄ちゃんは戦いに行ったの?」
「ああ、そうだよ。僕たちは早く退避して――」
「あたしも戦う!」
「え?」
僕は我が耳を疑った。しかしそれ以上に、我が目を疑った。
僕の視界の中央にいた人物。それはリナであるはずなのだが、それにしては表情があまりにも真剣過ぎる。真一文字に結ばれた口元や決意に満ちた眼差しからは、悲壮感すら漂ってきそうだ。
リナに戦闘能力があるのは明白な事実。手を触れずとも、人を窒息させ得る念動力を発生させることができる。戦力になるはずだ。
かといって、一度も訓練など受けたことのない少女を、たった一人でゾンビの群れに飛び込ませるわけにはいかない。
「さくらさん、これを」
「これは?」
「腕時計を兼ねた通信装置です。僕の味方から連絡が来るかもしれません。誰なのか尋ねられたら、正直に名乗ってください。そうすれば、必要な情報を与えてくれるはずです」
さくらさんはしばしの間、その腕時計を怪しげに見つめていたが、分かりました、と言って頷いてくれた。
僕は拳銃の状態を確かめ、セーフティを解除して、リナに急かされるようにしてコンテナの陰に回り込んだ。
※
僕はリナを一旦引き留め、横転したコンテナに背中をついた。そっと耳を当ててみるが、音はしない。ゾンビは全て出払ったようだ。
じりじりと摺り足でコンテナの反対側を覗くと、ゾンビは僕たちを無視していた。より多くの人間がいる方、すなわち車列の後方に向かっている。
そこでは、乗り捨てられた車両を盾にして兵士たちが銃撃を行っていた。
ゾンビが人間を捕食する存在である以上、兵士たちは民間人にゾンビが紛れた際の戦闘方法を研究し、それに則った訓練をしている。民間人を撃たずにゾンビだけ撃つ、というわけだ。
当然、そのためには圧倒的な訓練量と直感力がものをいう。あちこちで短い銃声が鳴り響き、貫通性の低い弾丸を用いたゾンビの殲滅が行われている。
それでも、こちらが圧倒的不利な状況にあることには変わりない。万が一、自衛隊外郭組織である自分たちが民間人を殺傷すれば、組織の存続にかかわる事態に陥る。たとえそれが誤りだったとしてもだ。
事実、民間人を庇って倒れ伏す兵士の姿も見受けられる。これは一刻の猶予も許されない。
「リナ、ゾンビだけを狙って、首を絞められるか?」
「うん!」
「よし……」
僕にできること。それは、ゾンビを足止めしてリナに念動力を使いやすくさせることだ。
流れ弾を警戒し、僕とリナは腹ばいになってコンテナの陰から身を乗り出した。
「僕がゾンビの足を撃つ。そうしたらリナ、そいつの首を絞めて殺すんだ」
「分かった!」
その時、はっとした。
ゾンビとはいえ、彼らは元は人間だ。そいつらを殺せと、僕は今リナに言ったのだ。
そんなこと、兄と慕われている人間が、妹にやらせることだろうか? あまりにも残酷で、無責任で、倫理に反することではないか?
だが理屈は後回しだ。今は非情にならなければならない時なのだ。
僕はゆっくりと拳銃を両手で構え、狙いを付けた。それから一発発砲。
弾丸は僅かにゾンビの足元を掠め、アスファルトに着弾した。
「チッ!」
「大丈夫だよ、お兄ちゃん! 向こうから来てくれる!」
確かにリナの言う通りだった。銃撃に気づいたゾンビがゆっくりと振り返り、こちらに向かってきたのだ。発砲音に刺激されたのか、周囲の二、三体もまたつられて迫ってくる。
ぶわり、と冷や汗が全身から溢れ出るのを感じる。
僕はずっと、自動小銃を持った兵士に守られ続けていた。それが、真正面からゾンビを迎え撃つことになるとは。
途端に腕が震え始め、狙いが定まらなくなる。この状態で撃ったら同士討ちは確実だ。どうすればいい?
すると、リナが寝そべったまま右腕を翳した。歯を食いしばり、眉間に皺を寄せる。すると、こちらに向かっていたゾンビの首が、一斉に消し飛んだ。
首筋から茶褐色の体液が噴き出し、夕日と共にアスファルトを染める。
「おおっ! やった!」
僕はつい、嬉々として声を上げてしまった。が、そんなことをしている場合ではなかった。
「リナ、その調子だ! 僕がまた連中を引きつけるから、いっぺんに――」
そう呼びかけた時、リナは意識を失っていた。そうか、能力を使いすぎたのか。
これでは僕たちに戦う術はない。
「ごめんよリナ、無理をさせて」
そう言って彼女を抱きかかえようとした、その時。
ずるるる、と嫌な音がした。
「え?」
そこに転がっていたのは、肩口から先のリナの右腕だった。
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