第27話

 それを聞いて、僕の頭に、かあっ、と血が上った。


「リナを戦いの道具にするつもりですか!?」

《上層部の命令です。一定以上の犠牲者が出た場合、彼女の力を利用しろと》

「な……!」


 リナの身体が崩壊するのも止むなし、とでも言いたいのか。


「ちょっと待ってください! 車を停めてください!」


 僕は立ち上がり、隔壁に拳を打ちつけた。いつも通りのリナの態度が、余計に僕の怒りを高まらせる。

 自身はこの状況を全く分かっていない。飲み込めていないのだ。きょとん、と首を傾げる彼女を見て、僕は奥歯を噛み締めた。


「犠牲者を減らすためだと言ったって、それでリナが傷ついていいって話はないでしょう! 隊長、応答してください! 隊長!」

「うるせえぞ兄貴。作戦前だ、静かにしてくれ」

「え……、秀介……?」


 座ったまま、秀介がぼそりと呟いた。


「だ、だってお前、リナだぞ? あんなに大切にしていたリナなんだぞ! それなのに、彼女が何も知らずに戦わされるなんて、納得できるのか!」

「止めようぜ、皆の冷静な判断が鈍る」


 この期に及んで、ようやく僕はいつもの兄弟関係が逆転していることに気づいた。

 僕の方が秀介に諭されている。秀介のやつ、どうかしてしまったのか? いや、違うな。どうかしているのは僕の方だ。


 僕は脱力するようにぺたん、と座席に戻り、深い溜息をついた。薄暗くて秀介の表情は窺えない。だがこうして事実を受け入れている以上、どこかのタイミングで、誰かに説得されたに違いない。リナを戦わせるべきだと。


 ヘルメットに内蔵された通信機からは、砂嵐のようなノイズが聞こえるばかり。作戦開始まで、隊長は僕の訴えを聞いてくれるつもりはないらしい。


 これが僕の初陣だと、隊長は言っていた。まさか、そんな僕のお守りをするためにリナが連れてこられたのか?


 そんな馬鹿なことがあってたまるか。

 僕の呟きは、しかし声にはならなかった。遠くで鳴りだした雷鳴に掻き消されたのかもしれない。


         ※


 現着まで残り三十分というところで、ばたばたと輸送車に何かがぶつかり始めた。雨だ。

 僕は不安を煽られたが、皆は平然としている。天気予報をロクに見なかった僕が悪い。


 幸いなのは、戦闘が想定される場所が鉱山跡地、すなわち坑道がほとんどなので、雨に視界を妨げられる恐れが少ないこと。湿気はどうにもならないが。


 いつもは平気なはずの雷鳴が、僕の胸中で異様に響き渡る。

 額から滴ってきた嫌な汗を掌で拭うと、ちょこんと隣に腰かけていたリナと目が合った。


「恵介お兄ちゃん、大丈夫?」

「あ、ああ、平気だ。問題ないよ」

「そう?」


 そう言うと、リナは秀介の隣へと席を移った。

 僕たちと同じ防弾ベストに各関節部のプロテクターを装備し、全身を黒と灰色で包まれたリナ。パジャマ姿とワンピース姿しか見ていなかった僕には、あまりにも場違いに思えた。


 彼女はこんなことをしている場合じゃない。今でも集中治療室で、存命措置を施されているべきだ。


 そんな考えが頭に湧いてきた。

 たとえそれが、僕個人の我がままだったとしても。


         ※


《エコー1、2、及び3、全車両現着》

《総員降車! 速やかに車両周辺の安全を確保しろ!》


 荷台のハッチが勢いよく押し開けられ、同時に雷光が目を眩ませた。自動小銃を抱えた兵士たちが、次々に泥を跳ねのけて降車する。


 見慣れた光景のはずだったが、どうにも違和感があった。考えてみれば当然だ。僕は今までと同じ、ただの研究員ではない。一端の兵士なのだ。

 自分の意志でゾンビの息の根を止める。その覚悟が、まだ十分できていなかったのだろうか。


「行くぞ、兄貴!」

「お、おう!」


 僕は秀介に続いて、安全な人員輸送車の荷台から飛び降りた。すぐに屈んで銃床を肩に当て、スコープを覗き込む。訓練通り。


 隊長はすぐに四名の兵士を呼びつけ、坑道の入り口を警備するよう伝えた。全員既にずぶ濡れで、度々顔を拭わねばならなかった。


「今度は恵介お兄ちゃんも戦うの?」


 隣にしゃがみ込んだリナを目の端に捉え、僕は無言で顎を引いた。


「あたしも、兵隊さんを助けられるように頑張るね!」

「いや、君は……」


 戦うべきじゃない。

 そう言おうとして、僕は慌てて言葉を引っ込めた。ここまで来て、戦わずにずっと待機していろ、とは言えない。


 僕には命令権がない。駄目だと言ったところで、きっとリナはついて来るだろう。

 その時、戦うなという僕の言葉のせいでリナが危険な目に遭ってしまったとしたら、取り返しがつかない。


 秀介はどうして、リナを戦わせることに同意したのだろう? リナの正体を知ったから? ということは、秀介のリナへの愛情はその程度だったのだろうか。


「そうは見えなかったけどな……」


 そんな僕の回顧を断ち切ったのは、隊長の号令だった。


「よし、突入!」


 皆が一斉に動き出す。僕は秀介の後方につき、輸送車の側面を回り込んで坑道へと足を踏み入れた。


 坑道内は真っ暗だった。後方の兵士が手にしたハイパワーライトがなければ、視界は全く利かなかっただろう。

 黄土色のごつごつした壁面と、それに沿うように配された鉄骨の足場。随分大規模な採掘作業が行われていたようだ。時折、ぴとん、ぴとんと水滴が落ちて澄んだ音を立てている。


《総員、周囲の警戒を怠るな。敵がどこから飛び出してきてもおかしくはないからな》


 その言葉が僕の耳に染み入った、次の瞬間だった。

 ガシャシャシャッ、と金属の擦れる音がした。反響したそれが、一気に僕たちの緊張を引き上げる。


 僕は反射的にしゃがみ込んだ。それはゾンビの足を狙うためだったのだが、皆はそんなことはしていない。逆に、銃口を斜め上方に向けている。

 僕がそれに気づいた時には、既に凄まじい銃声が鼓膜を圧するところだった。


 そうか。ゾンビたちは足場の上で寝そべるようにして、僕たちが坑道に入ってくるのを待ち伏せしていたのだ。


 僕も銃撃に加わらなければ。そう思って腰を上げかけると、ヘルメットを思いっきり小突かれた。そのまま後方へ転倒する。


「秀介! 一体何を――」


 と言いかけて、僕の言葉は途切れた。理由は単純。撃たれたからだ。

 右肩が自分の意志とは関係なしに跳ね上がり、同時に思いっきり突き飛ばされるような感覚がある。堪らず僕は尻餅をついた。


 今の銃撃は……! 

 もちろん秀介のものではない。こちらに銃口を向けている兵士もいない。だとしたら。


 僕は負傷の程度を確かめる間もなく、銃撃者の姿を捕捉した。

 ゾンビだ。ゾンビたちが銃器を手に、僕たちを攻撃している。


「そんな、まさか……」


 道具を使うゾンビだなんて、俄かには信じがたい。

 しかしゾンビは無感情なまま、次々に弾丸を放ってくる。弾倉を交換し、初弾を装填し、狙いをつけて撃ってくる。


「兄貴、兄貴! 大丈夫か! 撃たれたんだろ!?」

「あ、ああ、秀介……」


 秀介は僕を庇うように覆いかぶさり、同時に僕の肩のあたりに触れた。


「大丈夫、プロテクターを掠めただけだ」

「それより秀介、状況は!?」

《総員撤退! 繰り返す、総員撤退! 相互に援護射撃しながら後退しろ!》


 隊長の言葉に、僕ははっとする。


《坑道の側面に身体をつけて移動しろ! 通路中央ではいい的になる!》

「了解! ほら、立てよ兄貴!」

「……ッ!」


 このまま戦い続けたら、僕たちが文字通りゾンビたちの餌食になるのは明白だ。

 ハイパワーライトで眩暈を起こしそうになりながらも、僕は秀介に小突かれて駆け出した。


 しかし、それも長くは続かなかった。後退する僕らの背を狙ったゾンビの弾丸が、直径一メートルほどのハイパワーライトを破砕したのだ。


「うわっ!?」


 今度こそ、本当に真っ暗になった。多少坑道が曲がっていたこともあって、入り口からの光は入ってこない。光源はマズルフラッシュだけだ。


 それだけでも、熟練の兵士たちはゾンビを位置を把握し、仕留めようと試みる。

 だが、それにしてもやはり光源不足は深刻だった。

 ゾンビはゾンビで、精確な射撃を続けている。もしかしたら、ゾンビの目は暗視ゴーグルのような仕組みなのかもしれない。


 このままでは――全滅? 

 僕がそんな考えに至り、立ち上がろうとして腰を抜かした、まさにその時。


 ヴォン、という映画のような音がして、辺りは明るさを取り戻した。

 兵士たちもゾンビたちも、さっと腕を翳して目を覆う。


「なんだ!?」


 秀介の声に応えるように、光源は適度な明るさに収まった。

 光源の方にいたのは、リナだった。左腕を掲げ、その手中には小さな太陽のようなものが輝いている。


「リナの力、なのか……?」

《総員、後退を続行! 可能な限り、ゾンビを排除せよ!》


 上方をゾンビに取られていた僕たちは苦戦を強いられたが、なんとか無事に死者なく坑道から脱出した。

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