第21話


         ※


 どうやら先ほどのリナの絶叫は、多くの人には音波というより頭痛として認識されたらしい。一旦しゃがみ込み、やがてきょろきょろと周囲を見回しながら立ち上がる人々。リナのせいだと気づいた人はいなかったようだ。


 当のリナはといえば、僕と秀介による茶番を信じ込むことにしたようだ。それはつまり、一週間我慢すれば母親に出会える、ということを自分なりに理解したという意味だ。


 そうとなったら、後は楽しく過ごすしかあるまい。そうやってリナの特性を確かめるのが今日の主旨なのだから。


 まず入場者の目を引くのは、広大な敷地のあちこちに建てられた、古城を模した建造物。

 それこそ、世界的な童話の舞台になったような美麗な城もあれば、RPGの最終局面に出てきそうな厳つい城もある。


「ねえねえお兄ちゃん、あたしあそこに行ってみたい!」

「おう、どこだ?」

「あれ!」


 気軽に応じた秀介の前で、腕を掲げて城の一つを指さすリナ。すると、途端に秀介の動きが固まった。


「どうしたんだ、秀介?」

「あ、兄貴、あれ、どう思う?」


 ぴょこぴょこ跳ねるリナの指さす先にあったのは、なんと洋館だった。城に囲まれたこの敷地内で、一際不気味な建造物だ。巨大なお化け屋敷らしい。


「な、なあリナ? あそこへ行くのは止めにしようぜ?」

「えーっ? どうして?」

「いや、その……。ほら、兄貴が怖いものは苦手だからさ、ちびったら大変だろ?」


 僕はすんでのところで、秀介の頭上に掲げた拳骨を引っ込めた。

 確かに、今の僕たちに洋館をモデルにしたアトラクションはキツい。リナを発見した時のことを思い出す。


 幸いなのは、あの作戦では死者が出なかったことだ。だが、それも時の運に左右され得る事柄。誰がいつ死んでもおかしくないのだ。


 それを思い出させるような場所には近づきたくない、というのが僕と秀介の一致した見解だった。


「恵介お兄ちゃん、そんなに怖がり屋さんなの? お勉強できるのに?」

「それは関係ないんだよ、リナ……」


 肩を落としながら、僕はがっくりと項垂れた。そして心の中で呟いた。

 分かったよ、僕が一肌脱げばいいんだろう? と。


「僕はお化けが怖いんだ。だから秀介の言う通り、おしっこを漏らしてしまうかもしれない。だから今度は僕がいない時に――」

「それじゃあ私と行きましょうか、リナちゃん」

「え?」


 突然の割り込みに、僕もリナも目を丸くした。さくらさんだ。


「恵介さん、秀介さん、お二人は適当に園内を周っていてください。私がリナちゃんをあの洋館へ連れて行きますから」

「あ、わ、分かりました……」

「さあ、手を繋いでいきましょう、リナちゃん」

「うん! ありがとう、さくらお姉ちゃん!」


 僕と秀介が二人の背中を見つめていると、やっぱり先ほどの嘘は茶番に過ぎなかったのだと実感される。一体僕の恥を捨てた自己犠牲は何だったのか。


「ぷっ、ははっ、ははははっ……」

「なんだよ、秀介?」

「いや? 漏らしてしまうかもしれないって、結構な爆弾発言だよな、この歳で……」


 腹を抱え始めた秀介に、僕は今度こそ拳骨を見舞った。


         ※


 男二人で遊園地を周っても面白くも何ともない。これまた、僕と秀介の一致した見解だった。


「あ、俺飲み物買って来るわ。兄貴は?」

「じゃあ、烏龍茶」

「あいよ。お駄賃三十円、きっちり貰うからな」

「へいへい」


 三十円? まあ、いいか。それよりも――。


「あれは何だったんだろう……」


 僕は考え込んでいた。リナが僕の頬に、キスをしたことについてだ。

 もちろん、あの時観ていた海外ドラマの真似をしただけだと判断することもできる。


 だが、リナはあの時点で知っていたはずだ。キスというのは、親愛なる他者(主に異性)に対して施すものだということを。

 もし僕がリナに嫌われていたら、リナはとてもあんな行為には及ばなかっただろう。


 僕は異性として、リナに好かれている?

 ふとそう考えた時、僕の心臓から凄まじい量の血液が全身を巡り出した。


 そんな、おかしい。リナは、僕や秀介の妹・理恵奈の未来写真にそっくりな姿で現れた。自分の妹を好きになるなんて、やっぱりおかしい。


 だが、僕も秀介も、理恵奈の成長する過程というものを見たことはない。親近感が湧かないのだ。そういう意味では、純粋に可愛らしい少女として、リナに好意を抱くことがあっても――。


「ほれ、兄貴!」

「うわっ!?」


 僕は素っ頓狂な声を上げた。火照った頬に、唐突に冷たいペットボトルを押し当てられたからだ。


「へっ、ボサッとしてっからよ、そんなに驚くんだ」

「……なあ、秀介」

「んあ?」

「お前、リナにキスされたことあるか?」

「ごぶほあっ!?」

 

 文字通り、僕は秀介に一泡吹かせることになった。オレンジの炭酸飲料を勢いよく噴き出した秀介は、ベンチから立ち上がって僕を指さした。

 もう片方の腕で、ぐいっと口元を拭う。


「なっ、お前、兄貴のくせに何言って……?」

「いや、特に意味はない」

「意味がないにしちゃドッキリすぎるけどな!」

「で、どうなんだ?」

「まだ訊くのかよ!」


 秀介は、どはあっ、と大きな溜息をついて、再びベンチに腰を下ろした。


「きっ、聞いて驚くなよ」

「ああ」

「この前、五度目の間接キスをしたんだ!」

「間接?」

「あれ?」


 顎に手を遣る秀介。


「おっかしいな、兄貴なら絶対驚くと思ったのに。五回もだぜ、五回も!」

「僕は一回だ」

「は? なあんだ、勝負にならねえな! 間接キス一回くらいじゃ――」

「一回、ほっぺにキスされた」


 直後、秀介の方から冷風が吹き抜けた。しばしの間、沈黙が頭上から降ってくる。


「……兄貴、それ、マジ?」

「ついさっきのことだ」


 ぐびり、と秀介の喉仏が上下した。

 僕があまりに無感情に話すものだから、逆に説得力が増してしまったらしい。


 それからは何もかもが、だらだら、どろどろと過ぎ去った。時間も、汗も、口内から喉に流される唾も。

 そんな僕の横で、秀介は蝉の抜け殻のようになっていた。脱力し、しかし姿勢を保ったままで。


「わーい、お兄ちゃん!」

「只今戻りました、恵介さん、秀介さん。……何かあったんですか?」


 数十分は経過しただろうか、リナとさくらさんの声に、僕と秀介はようやく正気を取り戻した。


「いっ、いや、何もありませんよ。なあ、秀介?」

「おう、そ、そうだ、何にもないぞ」


 するとリナは、にや~っと口角を上げて、本当かなあ? と一言。

 この気まずさを察してくれたのか、さくらさんがそんなリナを窘めた。


「こら、リナちゃん。お兄さんたちは、いろいろ考えなくちゃならないことがあるの。からかっては駄目よ」

「はあい」


 ううむ、さくらさんの言うことなら素直に聞くんだな、リナは。


「じゃあ、次は皆で楽しめるアトラクションにしましょう。ジェットコースター、どうですか?」

「ジェットコースターですか……」


 まあ、確かに僕も秀介もスリルには慣れているし、リナも興味津々だ。それにさくらさんも大丈夫だと言うのなら、反対する理由はあるまい。僕は賛同の意を示した。


「分かりました。行きましょう」

「よかったわね、リナちゃん。ここに戻ってくるまでに、ずっと乗りたいって言ってたんですよ、リナちゃんは」


 しかし、初見でジェットコースターか。肝が据わっているな。


「うっし、じゃあ、行ってみるか!」


 いつの間に調子を取り戻したのか、秀介が伸びをしながら立ち上がった。


「恵介さん、本当に大丈夫ですか?」

「はい? ああ、平気です」


 微かに僕に気遣いを見せてから、さくらさんは再びリナと手を繋いで、僕たちの先を歩いて行った。


         ※


 流石、最新の遊園地だ。

 ジェットコースターと言っても、いわゆる普通のコースターではない。捻りやら回転やら上下の落差やら、とにかく過激さを追求しているようだ。


 これには流石に、僕も一瞬眩暈がした。

 まあ、事故でも起こらない限り大丈夫なんだろうが……。僕はこのコースターで死ぬことと任務で死ぬことの、どちらの可能性が高いかついつい考えてしまった。


 やはり人気アトラクションだけあって、待機列は長い。途中、秀介とリナがアイスクリームを買いに列を離れた。


「……」

「……」


 謀ったな、秀介め。

 僕とさくらさんの仲が悪いのを察して、僕たち二人を置き去りにしたのだ。


 こんな時、どんな話をすればいいのだろう? 僕は流行に疎い、何の変哲もない青年だ。

 研究のことならまだしも、遊びのことで話を振るなんて無謀である。

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