第20話
※
「おせえよ兄貴! もう十七分経ってるぞ! これからリナを迎えに行こうと――」
「……」
「兄貴?」
「ああ……」
リナを連れて医療棟のエントランスに出てきた時、僕は完全に放心状態だった。
リナにキス(らしき行為)をされてしまい、魂を引き抜かれてしまったかのようだ。
「あっ、秀介お兄ちゃん、さくらお姉ちゃん! 待っててくれたんだね!」
「おうリナ! 当たり前だろ、今日はお前を楽しませる日なんだから!」
「リナちゃん、今日も似合ってるわ、そのワンピース」
口々に言葉を交わす三人。
ふと、僕は不思議な既視感を覚えた。そして思った。もし母親が死なず、父親も息災であれば、僕たちにもこんな微笑ましい人生があったのではないか。
そしてその人生とはこういう笑顔に満ちたもので、これこそ『幸福』の具現化なのではないか。
って、一体僕は何を考えているんだ。突然家族のことを思考に紛れ込ませるなんて。
これは防衛省から下された、僕たち主導の作戦なのだ。今このタイミングで、雑念に囚われているわけにはいかない。
「ん? どうしたんだ、兄貴?」
ふと顔を上げ、秀介と目を合わせる。同時に、自分がとんでもないことを考えていたことに気づく。
家族のことを雑念だ、などというのはあまりにも酷い考えではないか? 理恵奈を愛するがゆえに、後を追うように亡くなった母親にも申し訳が立たない。僕たち兄弟を男手一つで育ててくれた父親にも。
「兄貴、俺の顔になんか付いてるか?」
「違うんだ、ちょっとな……」
「あっそ。よし、それじゃあ行こうぜ、遊園地!」
すると秀介は大股でエントランスを抜け、駐車場へと向かっていった。
※
僕の頭がまともに働き始めた時、既に車内では皆が着席していた。出発する直前のようだ。それを察すると同時に、この移動は自分にとって修羅場になるだろうと僕は思った。
運転席には秀介、助手席にはリナ。後部座席には僕とさくらさんがそれぞれ座っている。
この配置に特に意味はないのだが、やはり今の状態のさくらさんの隣席、というのは緊張を強いられる。
心理的な壁がじりじりと横から迫ってくるような感じだ。
ちらり、とさくらさんの方を見ると、彼女は窓際に肘をつき、頬に手を当てて外を眺めていた。
何を考えているかは神のみぞ知るところ。これ以上、さくらさんについて考えるのは止めておこう。
問題は、今回の外出が香藤玲子に知られてはいないか、ということだ。
今のところ福谷から連絡はないし、大丈夫だとは思う。しかしこの車は、装甲車でも人員輸送車でもない。つまりただの乗用車であり、防弾性も防爆性もないということだ。
加えて、僕たちは武装をしていない。いくら準軍事的組織に属する人間だと言っても、任務時以外に銃器を持って外出しては銃刀法違反にあたる。
僕の懸念に気づいた人間は、この車内にはいないようだった。
※
それから四十分ほどのドライブの後、僕たちは遊園地の駐車場に辿り着いた。
「うわあ、あっつーーーい!」
ぴょこん、と助手席から下りたリナが声を上げる。暑いと言う割には、その顔には満面の笑みが浮かんでいる。
「ほら、リナ! 帽子を忘れるなよ!」
「あっ、はーい!」
僕がふと視線を逸らすと、さくらさんが窓の外を眺めていた。さっきから微動だにしていない。
「着きましたよ、さくらさん」
「ええ」
心ここにあらず、という雰囲気で外を眺め続けるさくらさん。僕がこれ以上声をかけても逆効果だろう。そう思って僕がアスファルトに降り立った、その時だった。
「さくらお姉ちゃん、もう着いたよ! 一緒に行こう!」
「そうね、リナちゃん」
反対側のドアを開け、リナがさくらさんの手を引いた。さくらさんはこちらを振り返りもしない。
随分と嫌われてしまったものだな……。我ながら意外なほど動揺しているのを感じつつ、僕は後ろ手にドアを閉めた。
「さあ、こっちだよ!」
「はいはい」
柔らかな表情になりながら、さくらさんはリナに手を引かれていく。その先には秀介がいて、さらに先には真新しいゲートが見えた。
ここは最近オープンした、話題の遊園地だ。僕も秀介も来るのは初めて。だからこそ皆が新鮮な気持ちで楽しめるようにと、秀介が選んだのだろう。
先行する二人に追いついた僕は、ゲート前で入場券を四人分(うち一人分は子供料金)買い求め、はしゃぐリナを先頭に通り抜けた。
「うわあ、すっごーーーい!」
リナが大はしゃぎで振り返り、ぶんぶん腕を振り回す。その先は開けたスペースになっていて、左右に様々なアトラクションが展開している。
正面には大きな噴水があり、さらに向こう側には観覧車がその巨体を誇っている。
平日だというのにだいぶ込み合っているが、それも頷ける別世界観だ。現実から離脱するにはまさにうってつけと言えるだろう。
一日で回り切れるだろうか? まあ、リナが満足してくれればそれでいいのだが。
そのリナは再びこちらに背を向けて、何やら軽い体操をしている。何をするつもりなんだ?
そう思ったのも一瞬のこと、リナはとんでもないことをしでかした。
思いっきり息を吸い込んで、叫んだのだ。
「お母さーーーーーーーん」
いや、叫んだというにはあまりに声量が大きかった。
待てよ、声量の問題なのか? 高周波から低周波まで、人間の可聴域を超えた範囲の振動までをも空気にもたらしている。僕はそう感じた。
僕たち三人に限らず、周囲にいた人々の誰もが耳に手を遣り、うずくまった。
「お、おいリナ! 止めてくれ! 止めるんだ!」
「えっ?」
叫び声は、発せられた時と同様にすぐさま収まった。止めに入った秀介の声がリナに聞こえたのは幸いだ。
「リ、リナ、待て、叫ぶな……」
「どうして? こんなに人がいるなら、お母さんがいるかもしれないのに」
また『お母さん』か。ここでお母さんとやらを見つけられれば、科捜研の研究結果を待つ手間が省けるかもしれない。だが、人造人間であるリナに母親はいない。
これは結果を待たずとも、僕とさくらさんとで辿り着いた結論だ。
しかしだからといって、リナの母親に対する想いを踏みにじる権利は誰にもあるまい。たとえリナに嘘をつくことになっても。そして僕がさくらさんを失望させたとしても。
僕はしゃがみ込み、リナと視線を合わせた。
「いいかい、リナ。今はまだお母さんは遠くにいるんだ。ここにはいないんだよ」
「そんな、分からないよ! 何か特別な用事があって、この近くに帰ってきているかもしれないし!」
ううむ、そこまで執着するか。
ここは、さくらさんに再び兄失格の烙印を押されるのを覚悟で乗り切るしかない。
「お母さんは、一週間したら帰って来るそうだよ。さっき連絡を貰ったんだ」
「そうなの? 本当?」
涙で僅かに膨れた目をしながら、僕を見返すリナ。
「そうだよ。なあ、秀介?」
「え? いやあ、でもそんなこと――」
首を傾げる秀介に向かい、僕は必死にウィンクを繰り返した。
「あー……そう! 兄貴の言う通りだ! リナ、お前のお母さんは、一週間したらリナに会いに来る! だから今は辛抱するんだ」
「むー……」
「できるよな、リナ?」
僕が腰を上げると、秀介がそっとリナの麦わら帽子の上に手を置くところだった。
「それとも、お兄ちゃんたちじゃ不足か?」
「そんなことはない、けど……」
「じゃあ、我慢できるな? お母さんが来るまで?」
「……分かった」
リナは頬を膨らませながら、ゆっくり頷いた。
「よおし、今日は遊ぶぞ~! そのために遊園地に来たんだからな!」
「うん!」
顔を上げた時、リナの表情はまた明るいものに戻っていた。
ふと横を見る。すると、さくらさんと目が合った。どうやら、僕と秀介がリナにどう対応するか、見定めようとしていたらしい。
まあ、これだけの対応ができれば及第点だと思うのだが。
さくらさんは眉根に皺を寄せて、しばしリナの方を見つめていた。しかし、リナが笑顔になったのを見て安心したらしい。
軽く胸に手を当て、短い溜息をついた。僕と目を合わせながら。
察するに、一旦危機は回避されたと(少なくともさくらさんは)思ったらしい。
まあ、まだ秀介にリナの正体を伝えられていない、というところからすると、ご満足は頂けないようだが。
「私たちも行きましょう、恵介さん」
「え? ああ、はい」
なんだか、さくらさんに名前を呼ばれたのはひどく久々に思える。
ううむ、リナの正体を秀介に伝える方法を、僕も真剣に模索しなければならないな。
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