第19話【第四章】
【第四章】
その翌日、早朝。
僕が一汗かこうとジャージに着替えていると、自室のインターフォンが鳴った。
シャツに首を通しながら、ドアわきのディスプレイに顔を近づける。
すると、そこに映ったのは不思議な二人組だった。
《よう、兄貴!》
「ああ、秀介……と、さくらさん?」
秀介はいつも通り。というかいつもより元気なくらいだ。だがさくらさんは顔を逸らし、自分で自分を抱くようにして、秀介の陰に隠れるようにして立っている。
《今日は遊園地に行くぞ!》
「は?」
秀介のやつ、何を言ってるんだ? 遊んでいる暇はないはずだが。
《取り敢えず朝飯だ! さっさと来いよ!》
ふむ。話を聞かなければ、僕だって何も決められない。
「分かった。今行く」
※
食堂に着くと、流石にこの時間帯は込み合っていた。秀介はカツカレーを、さくらさんはクリームパスタを注文。皆、結構食べるんだな……。僕もカツカレーだけど。
「じゃあさくらさん、兄貴に説明頼むよ。俺、あんまり事情が分からないからさ」
「ええ、分かったわ」
食堂への道すがら、僕とさくらさんは言葉を交わさなかった。それどころか、目を合わせてもいない。
やはり、昨日のことが引っかかっている様子だ。僕を許すことはできないということか。それも秀介の前であれば猶更だろう。
「では、科捜研からの報告を述べますね」
「は、はい」
僕は書類を取り出すさくらさんの手先を見ていた。そんな僕に、秀介がじとっとした視線を注いでくる。
「取り敢えずこれを」
さくらさんが取り出したバインダーを、僕は慌てて受け取った。今回のバインダーもまた薄かったが、レポートとしては十分な重さがある。
カレーが冷めるのにも構わず、僕は素早く目を通し始めた。
結論から言えば、データ不足だった。リナが人造人間であることは間違いないらしい。だが、それがどの程度普通の人間と異なるのかについては、まだまだ推測できる段階ではないという。
「だから今日、リナを遊園地に連れ出して何が起こるか見てみよう、と?」
「あー、俺はどこへ行くかって案を出しただけだからよく分かんねえけど……。さくらさん、そういうことなの?」
「ええ。恵介さんの言う通りよ」
俯いた姿勢のまま応えるさくらさん。秀介は秀介で、リナが普通の人間とそう変わらないものと信じて疑わない様子だ。
二人を交互に見比べて、僕は思った。
さくらさんは、やっぱり僕のことが気に食わないのか。
今は気にしても仕方がない。僕が考えるべきは、リナを遊園地に連れ出すことが危険ではないのか、ということ。
それは確認しておかねばなるまい。そのためには、僕が直接さくらさんに声をかけるしかなさそうだ。
「さくらさん、これは上官からの命令ですか?」
「そうです」
「つまり、防衛省からの直属の命令である、と?」
「そこまでは把握していません」
「リナを外出させるのに、危険は感じませんか?」
「私が知るわけがないでしょう?」
ううむ。ここまですげなくされてしまっては、僕としては何も言えない。
秀介の視線は強いものになりつつある。もっと上手く話せないのか、という非難じみたものを感じる。
僕は音のない溜息をついて、ようやっとスプーンに手を伸ばした。
防衛省からの直属の命令……ね。これはやるしかなさそうだ。
※
一旦黙り込むと、僕たちの食事のペースは早かった。今日という日は、当然だがずっと続くわけではない。さっさとリナを連れ出して、無事に連れ帰らなければ。
そう思いつつ、僕たちは医療棟のいつもの個室を訪れていた。
「今日もお出かけできるの?」
「そうだぞ~、リナ! 遊園地に行こう!」
「やったあ! ゆうえんち……ってなあに、秀介お兄ちゃん?」
「遊園地っていうのはだな……」
秀介はこれでもかとふんぞり返って説明を始めた。といっても、アトラクションの名前を列挙しただけだ。
ジェットコースター、お化け屋敷、ミラーハウス、観覧車などなど。
「へえ~、そうなんだあ!」
ってリナ、アトラクションの名前を聞いただけで理解できたのか?
まあいいか。貴重な外出許可だ。悩むより楽しむべき。
「取り敢えず、この四人で行くのか?」
「ああ。リナが心を許している人間以外は、連れて行ってもしかたねえだろ?」
「それもそうだな……」
「ようし! んじゃ、各員はあと十五分で出撃準備を完了し、医療棟のエントランスに集合! 遅刻者は今日の入場料、四人分奢りってことで!」
やれやれ。僕は溜息をついた。
どうせ僕の完敗だ。金銭的な余裕より、精神的な余裕の方が欲しい。
「おやおや~? 恵介選手、勝負を捨てましたかな~?」
「いいんだよ、僕は。四人分の入場料くらい出してやる。だからゆっくり準備させてくれ」
すると秀介は露骨に舌打ちをして、つれねえやつだなあ、と一言。
続いて歩き出したのはさくらさん。少しは僕の自己犠牲に対して憐憫の情を抱いてくれるのでは、と思ったが、彼女もまた、そそくさとドアの生体認証を済ませてしまった。
「……まあいいか」
大人げないと思われるだろうが、正直僕も遊園地を選択した秀介に異論はなかった。むしろ感謝したいくらいだ。
あまり積極的に行きたいと思わない場所だからこそ、気晴らしになるのではないかと期待してのことだ。
「あ、そう言えば……」
僕たちが個室を後にした際、リナはパジャマ姿だった。せっかくなのだから、ワンピースを着るように促してやればよかったのだが、皆それを忘れていたような気がする。
「長男の出番、か」
僕はドアに向かっていたが、振り返ってリナを見遣った。
「恵介お兄ちゃん、どうしたの?」
「そうそう、リナ、パジャマでは遊園地には行けないから、この前のワンピースに着替えるんだ。麦わら帽子も忘れずにね」
「はーい! あ、そうだ。お兄ちゃん、ちょっと来てくれる?」
「ん?」
どうかしたのか? 少なくとも、今ここにいる『お兄ちゃん』は僕だけだ。
何の気なしに、僕はベッドに歩み寄った。
リナはその上でお姫様座りをして、ワンピースの入った箱を大事そうに手にしている。その頬は軽く染まっている。やっぱり女の子なんだな、と思った次の瞬間のこと。
「ねえねえ、恵介お兄ちゃん。ちょっとこっちに」
「ん」
どうやら僕に、何某かを耳打ちするつもりらしい。僕が顔を横に向けてずいっと身を乗り出した、その直後だった。
音もなく、何か柔らかいものが僕の頬に触れた。
何だ? 何なんだ? 僕とリナの距離感を考える。しかし、答えは出てこない。
……違うな。答えは明白だ。明白過ぎて認めたくないのだ。
リナが僕の頬にキスをくれた、などとは。
リナの唇と思しき柔らかい何かは、すぐに引っ込んだ。が、僕はそのまま全身が固定されてしまったかのようで微動だにできない。
「あれ? お兄ちゃん、どうしたの? 顔が赤いよ?」
「……」
「ほら見て、お兄ちゃん。このテレビ」
「て、れび……?」
僕がカクカクと首を捻じる。すると、テレビではアメリカのホームドラマが放送されていた。アットホームでコメディ要素満載の人気番組だ。
玄関で、互いの頬に短くキスをする夫婦。
これを画面越しに観るだけなら、何の問題もない。憂慮すべきは、リナがこれに感化されて僕にキスを見舞ったということだ。
「リ、リリ、リナ?」
「ん?」
「えーっと、あれだよ、その……」
気軽にキスなどするものではない。そう言いたかった。だが、それは日本人ならばの話だ。海外とはコミュニケーションの違いがあるし……。
そう考えるに至り、僕ははっとした。
リナ、君は日本人どころか、普通の人間じゃないんだ。その言葉が、脈絡もなく喉元までせり上がってくる。
しかし僕は沈黙を保った。いや、沈黙せざるを得なかったというべきか。
「大好きだよ、お兄ちゃん!」
するとリナは、僕の胸に頭を押しつけてきた。しかしこの時、僕の頭からは全く血の気が引いていた。
あまりにリナが自然で、無垢で、愛らしい。だからこそ、彼女に対して、人間としてのアイデンティティを揺らがせるようなことは言えない。
「あっ、あたし着替えるね! ちゃんと外に出ててね!」
「ああ、うん……」
僕の足が再起動するのに、五秒近くはかかっただろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます