第18話
そんな僕を食堂で出迎えたのは、思案顔の秀介だった。
あの秀介が何かに思い悩んでいる? どういうことだ?
他人行儀にするわけにもいかず、僕は秀介の座っていたテーブルの反対側に腰かけた。汲んできた麦茶を差し出し、僕の存在に気づかせる。
「んあ? ああ、兄貴か」
「どうした、秀介。具合でも悪いのか?」
「いや、そういうわけじゃねえけど……」
そう言う秀介だが、まともな状態でないことは明らかだった。
考えるよりも先に行動に出るはずの秀介が、何か悩みを抱いているなんて。てっきり、彼の脳内はリナとの新婚生活で薔薇色に染まっているとばかり思っていた。
「突然だけどさ」
「ん。どうした、秀介?」
「医療棟の個室のドアって、防音性高いよな?」
「そりゃあそうだ、防弾・防爆・耐火性能は折り紙付きだよ」
僕がそう言うと、秀介は僕から目を逸らし、ぺろりと唇を湿らせた。
「いや、盗み聞きしたみたいでわりいんだけどさ……。兄貴、さくらさんとの間で何かあったか?」
背骨がぎくり、と音を立てたような気がした。事実、僕の背筋は急に引き延ばされた。
「な、何故そんなことを訊くんだ、秀介?」
「ああ、やっぱりそうだったのか。あの個室の中にいても聞こえたんだよ」
「聞こえた、って何が?」
「何を話し合ってたのかは知らねえけど、さくらさんがだいぶ取り乱しているのは分かった。兄貴、まさかさくらさんを泣かせたんじゃねえだろうな?」
今度は、僕は身体がふやけてしまったかのような感覚に囚われた。表情が顔に出たのだろう、秀介は深い溜息をついて、やれやれとかぶりを振った。
「なんだ、図星かよ……」
「いや、その、僕は……」
「訊かねえよ、何を話してたかなんて。だけど、兄貴にはさくらさんを泣かせてほしくない」
ん? どういう意味だ?
「すっとぼけた顔してんじゃねえよ。ずっと前から思ってたぜ、二人はお似合いなんじゃないかって」
「お、お似合い?」
「そ。俺はリナと結婚するって決めたんだから、兄貴も腹を括れよ」
「ん……」
確かに、秀介の言うことには一理あるような気がする。だが、自分を常に客観的に見続けるのは不可能だ。腹を括れと言われてもな……。
「そんなに慌ててたように見えたのか、僕が?」
「いや? あの日俺たちの部隊は警視庁との合同任務にあたっていたから、人伝に聞いただけなんだけどよ」
「そうか」
「でも、酷いもんだったって聞いたぜ? 兄貴の慌てっぷりときたら。おまけに立体映写機、って言うのか? あれを通して香藤玲子と遭遇したって言うじゃねえか。まともな神経を保っていられるとは思わないね。ま、弟としての勘みたいなもんだけど」
僕は麦茶のグラスを握り締めたまま、じっとりと嫌な汗が額から頬を伝っていくのを感じていた。
「さて、俺はそろそろ寝るぜ。どうも考え込むってのは、俺の性に合わねえ」
「あ、いや、ちょっと」
「どうした、兄貴?」
正直、僕は大きな不安に押し潰されそうだった。
今ここで秀介が去ってしまったら、僕は一人で考えなければならなくなる。リナのことも、さくらさんのことも。
一人で自分の心の闇に決闘を申し込めるほど、僕は大人ではなかった。
逆に言えば、一人になるのが危険なのではないかと考えられる程度には、幼稚ではなかった。
だが、そんな考えと、実際に行動を起こせるか否かという基準は曖昧だ。
結果、秀介を止めようと立ち上がりかけていた僕は、しかしながらそのままよろよろと座り直してしまった。
「兄貴、本当に大丈夫か?」
「い、いや、ああ、気にしないでくれ」
「ふぅん?」
秀介は立ったまま、僕が注いできた麦茶を一気飲みし、食器返却コーナーへと歩み去っていく。
そんな彼を引き留める権利が、僕にあるのだろうか? さくらさんに失望された、この僕に?
しばしの間、僕は肘をテーブルについて指を組み、そこに額を押しつけながら溜息を連発し続けた。
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