第12話
僕はさっとポケットから携帯を取り出した。が、そこにあったのは不吉な五文字。
「非通知設定……?」
ごくり、と唾を飲む。と同時に、そういうことかと理解する。
この個人用携帯に通話を寄越すのは、あの人物以外には考えられない。
「もしもし?」
《おう、恵介。元気でやってるか?》
「ああ、福谷兄さん……」
《素直だねえ、お前さんは。秀介の奴、いつまで経っても俺を『叔父さん』って呼びやがる》
「まあ、その方が正しいんだけどさ」
《うるせえ、人がせっかく秘匿回線で連絡してやってるってのに》
この人物は、福谷十次郎という。僕と秀介の父親の、年の離れた弟。だから正確には叔父にあたるのだが、本人は自分を兄として扱うようしつこく迫っている。
僕と秀介が父親を亡くした時、真っ先に僕たちを受け入れてくれたのが彼の家だった。
現在のところ、福谷は警視庁公安部に所属している。諜報活動やら機密情報の取り扱いやら、裏で何をやっているのか分からない組織だ。
《で、本題だが、明日の夜は空いてるか?》
「ん、ああ」
《よし、取り敢えずその山の中から市街地まで出てきてくれ。そこでお前を拾う。駅前のコインパーキングに、二〇三〇。どうだ?》
「午後八時三十分……。了解」
《んじゃ》
福谷はすぐに通話を切った。恐らく、盗聴の危険を少しでも避けるためだろう。
僕は携帯をポケットに戻し、真夏にしては涼しい風に吹かれながら、しばらく手摺に身体を預けていた。
※
翌日、午後八時三十分ちょうど。
僕は自分で運転してきた私用の乗用車をコインパーキングに入れ、福谷の車を探した。
彼曰く、最も目立たない車種だそうだ。敵と区別がついて、なおかつ目立たないというのはなかなか大変なことらしい。
「目立たない車……」
あまりじろじろと他人の車を見つめていても怪しまれる。仮に僕が監視されていればの話だが。しかし、これでは見つからない。どうする?
すると、視界の隅で何かが光った。ライターの火だ。
福谷はヘビースモーカー。なるほど、合図を寄越したのか。
僕は飽くまでもゆっくりと、自然な足取りで、その車の助手席側に回り込んだ。
「二〇三〇、ちょうどだな」
「それはよかった。元気そうで何よりだよ、福谷兄さん」
「そいつはこっちの台詞だ」
待ち合わせに要する時間は短ければ短いほどいい。きっと福谷も、今来たばかりなのだろう。ふわっとした冷房と煙草の匂いが僕を包み込む。
僕がドアを閉める間に、福谷はエンジンをかけていた。
そして発車の直前に、僕に向かってハンドサインを出してきた。といっても、決して難しいものではない。自分の人差し指を立て、唇に当てたのだ。黙っていろということか。
きっと、身内でも盗聴の危険があることを把握してのことなのだろう。一見したところ、この車は灰色の四人乗り軽自動車。しばらく走って盗聴器が仕掛けられていないかどうか、確かめるつもりなのか。
僕は行く先を福谷に任せ、久々に街のネオンとそこを歩く人々に目を遣った。
アイスを片手にふざけ合う学生たち、手を繋いで語り合うカップル、数人の子供の手を引くのに苦労する親子連れ。
もしこの場に、ゾンビが溢れかえったら――。いや、そんなことは考えるまい。僕たちこそがそれを防ぐ最終にして最強の盾となるのだ。事態を悲観してばかりでは、何事も始まらない。
※
「ここだ」
「ここって……。なんだ、さっきと同じ駅前じゃないか」
福谷が車を停めたのは、先ほどと同じパーキングエリアだった。
「追っ手がいないか確かめたんだよ。今日はここで話す」
そう言うなり、福谷は車を降りて、ばたん、とドアを閉めた。僕もその音に押し出されるようにして降車する。
やはり夏場だからだろうか、この時間になっても駅前繁華街は賑わっていた。だが、福谷は駅ビルに入っていく。そこで目に入ったのはフードバザーだ。
「ここで話を?」
「ああ。敢えて人混みを選んだんだ。仮に俺の衣類に小型の盗聴器が付けられていたとしても、この騒ぎの中では聞こえづらいだろ?」
福谷は中央の座席に陣取り、先に注文しに行った。ラーメン屋が二、三軒並んでいる。
彼が戻ってくるのを見計らって、僕はオムライスの店舗に向かった。
「よし、揃ったな。いただきます」
「いただきます」
そう言った途端、きゅるるる、と腹が鳴った。
「おい恵介、ちゃんと食ってるか? 食欲不足と睡眠不足は、実戦では致命傷になりかねんぞ」
「実戦……。そう、だな。ご忠告感謝するよ」
「ああ」
ラーメンをすすり始める福谷。あたりは適度に騒がしい。話すなら今だろう。
「で? 福谷兄さん、情報って何だい?」
ずるずるとスープを飲み干してから、福谷は一枚の紙の地図と、小型の液晶ディスプレイを取り出した。
「これを見てくれ」
写真は東京湾横浜港の衛星写真。極めて鮮明だ。
ディスプレイは、そこから赤い線が道路沿いに引かれている。福谷は指先で拡大と縮小を繰り返した。
「まずは紙の地図の方だ。トラックが数台、この輸送船のそばに並んでるのが分かるか?」
「ああ」
「問題は積み荷だ。銀色のコンテナがトラックに積み込まれている」
「それは分かるけど……。どこが問題なんだ?」
「今度はディスプレイを見てくれ。今再生する」
すると、ディスプレイ上でトラックが動き出した。十倍速だったお陰で、僕はすぐさま異常に気づいた。
「ん? どうして山林に入っていくんだ?」
こんな大型トラック、普通は幹線道路を行くものだと思っていたが。
「輸送船についても調べたよ。出港したのは東南アジア某国。これ以上は言えん。だが、人身売買の噂の絶えない、物騒な国だ」
人身売買――その言葉に、僕は背筋がぞわり、と波打つのを感じた。
「じゃ、じゃあこの積み荷は人間……?」
「その可能性は高いな。今までの香藤玲子の研究拠点からすると、また山林部の廃墟を使っている恐れがある。途中、トラックから積み荷を載せ替えている様子だが、公安の目は誤魔化せんよ」
僕は慌てて席を立ち、公務用の携帯を取り出した。
「おい恵介、何をする気だ?」
「本部に知らせなきゃ!」
「まあ落ち着け。今連絡したら、俺の関与がバレる。俺の身の上も考えてくれ」
「あ、ご、ごめん……」
ふう、と息をついて、福谷は座り直した。
「本部のお前のパソコンにデータを転送しておく。明日、朝一で会議を開け。分かったな?」
「りょ、了解」
「よし」
それから僕たちは他愛もない会話に興じたが、内容はさっぱり頭に残らなかった。
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