第11話

《ふっ!》


 隊長の肘は、見事にゾンビの腹部にめり込んだ。ボディカメラ越しにでも、隊長が四肢を巧みに使ってゾンビの関節部を破砕していくのが分かる。

 ゾンビの体構造は人間より頑強だ。隊長にも加減をするつもりはなかっただろう。


《でやっ!》


 綺麗に繰り出された中段蹴りが、ゾンビを吹っ飛ばす。同時にさくらさんの身体が、するり、とゾンビから離れる。


 隊長はさくらさんの華奢な体躯を安全に抱え込んだ。それから後退し、射撃許可を出す。

 するとこちらのゾンビも、為す術なくズタズタになってばったりと倒れ伏した。


《衛生兵、来てくれ! 念のため笹原研究員を本部医療棟へ搬送する! 救急車は?》

《只今現着!》

《了解、第二班は笹原研究員を護衛して救急車に戻れ。第一班は、この先にある何らかの音源を捜索する》


 何らかの音源。それは間違いなく、香藤玲子の声を中継している機材のことだろう。

 モニターを介してではあったが、恐らくあれは機械を介した音声だ。リアルタイム中継の。


《自分が先行します》

《頼む》


 自動小銃を構え直す隊長に、副長が声をかける。しかし、その必要はなかった。


《大丈夫、探していただく手間はかけませんわ》


 声のした方に皆が銃口を向ける。すると、ヴン、とがさついた音がして、香藤の姿が現れた。

 切れ長の瞳にやや乱れたロングの長髪。背は男性と比較しても高い方だろう。

 肩からは白衣を羽織り、いかにも研究者然とした雰囲気を漂わせている。

 

 しかし、妙だ。香藤の身体は、橙色に輝く半透明の物体で構成されているのだ。こんなものは見たことがないが、強いて言えば立体映像とでも言えばいいのだろうか。


《動くな、香藤玲子! お前には複数の殺人、及び遺伝子操作倫理規則違反の疑いがかけられている!》

《そうは言ってもねえ、今あなたたちが見てるのは映像よ。ほら、手を取ってみなさいな》

《構わん! 射殺しろ!》


 ズタタタタタタタッ、と銃声が響き渡る。

 が、香藤はやれやれとかぶりを振るばかり。弾丸は香藤の身体を貫通して、否、すり抜けて、背後の木々をずたずたにした。


《あーあ、ヤダヤダ。これだから軍人さんは》


 隊長はハンドサインで撃ち方を止めるよう指示を出す。今の香藤は立体映像なのだと、隊長は理解した様子だ。


《今貴様を殺傷するのは困難なようだな。対応を変える。お前の目的は何だ?》

《最初っからそう仰ってくださればいいのに》


 片手を顎に当て、香藤はくつくつと笑った。まあ、教えて差し上げるほどお人好しじゃありませんけれど、と意地悪く付け加える。


《でも一つ教えて差し上げますわ。私が創る子供たちは、これからも進化を遂げます。笹原研究員にはその手伝いをしてもらおうと思ったのだけれど、残念ね。それじゃ、今日はこれにて失礼致します》


 まるで家政婦がするように、腰を深々と折った姿勢で香藤は消え去った。ヴン、という音を立てながら。

 最も近くで自動小銃を構えていた兵士が、ゆっくりと香藤のいた場所に近づく。しゃがみ込み、ゆっくりと立ち上がる。彼の手には一つの機械部品が握られていた。


「こいつが立体映像の映写機、ってわけか」


 僕が呟くと同時に、周囲を警戒していた兵士たちから、安全確保との報告が入る。これ以上ゾンビが潜んでいる可能性はないそうだ。


 僕はモニターの前を離れ、装甲車から降車。代わりに、そばで待機していた救急車に乗り込んだ。そこには、さくらさんが仰向けの姿勢で担架の上に寝かされていた。


 意外なほど自分が落ち着いていることに、僕は気づかされる。

 さくらさんが無事だった。それはいい。

 だがここから先、僕もまた狙われる可能性があるということだし、さくらさんが二度、三度と誘拐の危険に晒される恐れだってある。


 完全に安堵するには、まだまだ時間がかかりそうだ。


         ※


 それから医療棟に帰投した僕たちは、手術室にさくらさんを運び込んだ。手術というより精密検査のためだ。

 僕は落ち着いていられず、病室の前を行ったり来たりしていた。三十分ほど待っただろうか、さくらさんを乗せた担架が出てくるのを見て思わず駆け寄った。


「先生、さくらさんの意識は?」

「今鎮静剤を打ったところです。大丈夫、無傷ですし、臓器にも骨格にも異常は見られません」


 僕は無意識に、腕で額の汗をぐいっと拭った。

 取り敢えず、今のところは安堵しておこう。完全な安堵があり得ないとしても、神経を張り詰めさせたままでは自滅してしまう。ゾンビに襲われるより先に。


「そうだ、リナはどうしてるんだろう……」


 僕はそのまま廊下を闊歩し、リナのいる個室へと向かった。


         ※


 いつもの手順で入室した僕を出迎えたのは、衝撃的な光景だった。


「ほーら、リナ! これが炭酸ってやつだ。ピリピリするから気をつけろよ」

「うん! ……うわっ! なんだかしゅわしゅわ~ってする!」

「だろ? 慣れると美味しいんだ。もう一本買ってあるからな」


 秀介が、コーラのペットボトルをリナに与えていた。自分が口を付けた後だから、いわゆる間接キスというやつである。


 僕はその場で立ち竦んでいたが、このままでは秀介がリナと直接キスするのでは、などという謎の妄想が走った。結果、あー、だか、うー、だか奇声を上げて妨害工作に入ることになった。


「おう、兄貴じゃねえか! 俺はてっきり、ここにゾンビが出たのかと思ったぜ」


 にしては余裕のある態度だが。


「何だ? たかりにきたのか? お断りだね! ここにあるジュースは、俺が自腹でリナのために買ってきたんだ! 兄貴の分はねえよ」


 よくもまあ、くだらないことをつらつらと……。

 その間にも、リナはボトルに差したストローでちびちびとコーラをすすっている。どうやらお気に召したらしい。


 そうか、また僕は秀介に遅れを取ったのだ。そんな暗澹とした気分に陥る僕に、秀介は意外な言葉を投げかけた。


「そうだ兄貴、さくらさん、無事だったか?」

「え?」

「現場に行ったんだろ? 怪我はなかったのか、さくらさんは?」

「あ、ああ。隊長や皆が救出してくれた。今は薬で眠ってる」

「それはよかった!」


 秀介は目を輝かせた。


「俺は心配しちまったぜ。もしさくらさんの身に何かあったら、兄貴の嫁さん最有力候補がいなくなっちまう」

「ぶふっ!」


 この時ほど、僕は自分が飲料物を口に含んでいなかったことに感謝したことはない。

 さもなければ、秀介とリナはジュース塗れになっていただろうから。


「おい! 何してんだよ、兄貴!」

「それはこっちの台詞だ! だっ、だだだ誰が僕の嫁さんだって!?」

「だから、さくらさんだよ。見てりゃ分かる。二人共お似合いだと思うけど?」

「お前、そんなことを易々と……」


 僕はうずくまりたい衝動に駆られたが、辛うじて我慢した。いつかと同じだな。

 代わりにぴしゃり、と掌を額に打ちつけた。


「あー……。リナ、元気かい?」

「うん! 恵介お兄ちゃんも来てくれて、あたし嬉しい!」

「うっ!」


 露骨に左胸を押さえて腰を折る秀介。ふざけているのは分かるが、やはりショックだったらしい。そんなに僕は邪魔者だったのか。


「僕だってリナのことは……」


 好きなんだ、と言いかけて、慌てて言葉を呑み込んだ。

 何だか恥ずかしかったのだ。僕と秀介、二人兄弟の仲ではあるが、僕のリナに対する想いは隠しておいた方がいいような気がする。


 ふと顔を上げると、リナがベッドから足を下ろし、ぱたぱたさせながら次のジュースをねだるところだった。

 そっとジュースを差し出す秀介。二人の姿を見て、僕の心は複雑怪奇な様相を呈した。


 悔しくはある。焦りもある。しかし、どこか微笑ましいものを見ているような感覚も伴っていたのだ。

 

 この気持ちは何なのだろう。リナには秀介が相応しいと、心のどこかで諦めているのだろうか? いや、諦めというほどネガティヴな感じはしない。

 僕は何を見ているんだ? 何か大切なことを思い出そうとしているような気はするのだが――。


「ちょっと、外の空気を浴びてくる」

「え? おい兄貴、熱中症になるぜ?」

「気にするな」

「えーっ? 恵介お兄ちゃん、行っちゃうの?」

「ごめんな、リナ。僕はちょっと、考えたいことがあるんだ」

「ぶーっ」


 リナは頬を膨らませたが、すぐに戻ると言い聞かせて、僕は個室を出た。


         ※


「ふう……」


 僕は屋上に出ていた。

 と言っても、医療棟の屋上ではない。電波観測塔をエレベーターで昇った後だ。


 夕日が差しているところからすると、午後六時は回っているだろうか。

 僕が再び息をつこうとした、その時だった。個人用の携帯が振動したのは。

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