第5話
この期に及んで、僕は自分がはしゃぎすぎていたことに気づかされた。
僕が八歳、秀介が四歳の時、生後半年だった理恵奈は小児性の癌で命を落としているのだ。
理恵奈の余命に縋るようにして、僕たちは理恵奈の未来写真を撮った。
自分たちの写真を撮ってもよかったのだが、とてもそんな気にはなれなかった。なんだか、自分たちまで理恵奈に天国に引っ張られていってしまう気がして。
それから三ヶ月の間、理恵奈はそのあまりにも短い余命を生き抜いた。
お前たちの妹は、立派に自分の運命に立ち向かったんだ――。
それを口癖に、父親は気丈に振る舞っていた。
が、母親はそうはいかなかった。ストレス性の身体虚弱に陥り、それこそ理恵奈の後を追うようにして天に召されてしまったのだ。
それに父親だって、あんな最期を――。
度重なる家族の喪失は、僕たち兄弟の悲嘆と絶望の淵に立たせ、突き落とすに十分だった。辛うじて踏みとどまることができたのは、親族やカウンセラー、学校側の対応などが真摯で誠実だったお陰だ。
それでも、深く鋭い傷が僕たちの胸に残されたのは紛れもない事実。だからこそ、こんな仕事に就いているのだろう。死と隣り合わせの、危険な任務に。
「……」
「兄貴」
「……んっ? ああ」
「何だか妙な調子だな。騒ぎだしたと思ったら急に黙り込んじまって」
「うん、悪い」
片手で後頭部をがりがりと掻きむしる秀介。そんな僕たちの顔を交互に見つめながら、リナが口を開いた。
「ねえお兄ちゃんたち、あたしのお母さん、どこにいるか知らない?」
「え?」
「え?」
僕と秀介は、タイミングを計ったかのように沈黙した。それからゆっくり顔を上げ、互いの視線を合わせる。
僕には話を進められない。そう気づいたのか、秀介が先にリナに声をかけた。
「リ、リナ? お母さんっていうのは……?」
「だって、人間にはお父さんとお母さんがいるんでしょ? じゃあ、あたしのお母さんは?」
父親よりも母親の存在を希求する。人間の子供にとっては通常の反応だろう。
だが、リナの問いに僕たちが答えられるか否かというのは全くの別問題だ。
リナは僕たちと出会った時、あの青白く輝く大きな円筒の中にいた。親が誰かなど、分かるはずがないじゃないか。いや、精密検査をするのが優先ではあるが。
「ねえ、恵介お兄ちゃん、あたしのお母さんは? あたしを産んでくれた人はどこ?」
すっと手の甲に掌を重ねられ、僕はどきりと心臓が跳ねるのを感じた。が、今はそれどころではない。お前のお母さんは分からない、などとこの場で即答することはできない。仕方ないな……。
「リナ、君のお母さんがどこにいるかは、お兄ちゃんたちが調べるよ。今は遠くに……そう、外国にいるんだ」
「外国?」
「そう、えっと、今はアメリカ、かな? なあ、秀介?」
「お、おう、そうだ! たくさんお土産買って来るって言ってたぞ! それより、今日は夜遅いから、リナは寝ろ!」
ふと腕時計に目を下ろす。いつの間にか午後十時を回っていた。
「お母さんのこと、探してくれる?」
「もちろんだとも! なっ、兄貴!」
下手なウィンクをしてみせる秀介に応じ、僕は大きく首肯してみせた。
「そう、秀介の言う通りだよ、リナ。今日はもう休むんだ。お兄ちゃんの言うことは聞くものだぞ」
「……はぁい」
やや不満げに唇を尖らせるリナ。
「じゃ、じゃあ、お兄ちゃんたちも寝るから――」
「えっ? 隣で寝てくれるんじゃないの?」
僕も秀介も、揃って噴き出した。
リナの言動は幼稚だが、身体年齢は約十二歳というデータが出ている。睡眠に同伴したら犯罪だろう。
「リナ? お母さんは言ってたぞ、リナが一人で眠れるようになったら、美味しいハンバーグを作ってくれるって!」
僕がそう言うと、きらり、とリナの瞳に光が宿った。
「ハ、ハンバーグ……!」
「そうだ、だから今日から一人で――」
「うん! あたし、寝るね! おやすみなさい、お兄ちゃん!」
がばっとブランケットを被って、リナはあっという間に静かな寝息を立て始めた。
「よし、今のうちに僕たちも……」
「お、おう……」
僕たちは抜き足差し足で個室を出て、照明を消した。
※
翌日、研究棟のラボにて。
「うわぁ、すご~い! これ、何の機械? 何を調べるの?」
「こ、こら、リナ! 落ち着くんだ! ここにあるのは精密機械で……」
僕と秀介は、リナを連れてこのラボにやって来た。無論、リナの身体構造を調査するためだ。
リナを医療棟から研究棟へ連れてくるのにも一苦労だった。
彼女の存在を知っているのは、昨日の作戦に参加した兵士のみ。つまり、ほとんどの兵士にとっては、こんな準軍事施設に入院患者用のパジャマを纏った少女がいること自体が異様なわけで、リナは注目の的になった。
大方の野次馬は、秀介が睨みを効かせて追い払った。が、上官に出会う度に敬礼しなければならないので、その間は周囲の視線に晒された。
そうこうして、ようやく医療棟を出て研究棟のラボに入ったら入ったで、気まずい空気が漂うことになった。
「……恵介さん、その女の子は?」
「あ、すみません、さくらさん。まだ紹介してませんでしたっけ……?」
「紹介も何も、私は何も聞いていません!」
何故かさくらさんがご立腹だった。
確かに、人一人の精密検査を一括して行おうというのだから、事前連絡は必要だっただろう。これは完全に僕の落ち度だ。
だが、いつも温厚なさくらさんにしては怒りのボルテージが高いような……?
「申し訳ありません、この女の子は――」
ピリピリした視線を寄越すさくらさん。この緊張感から逃れるためだろう、秀介はさっさとラボから出て行ってしまった。まったく、こういう時ばかり要領のいいやつだ。
リナとさくらさん、二人の女性を落ち着けねばならなくなった僕。だが説明を重ねるうちに、さくらさんの怒りも静まっていった。むしろ、リナに興味を持ったようだ。
「ねえあなた、お名前は? お姉さんに教えてくれない?」
「リナ! あたしはリナだよ!」
「リナちゃんっていうのね。あたしはさくら。笹原さくら。よろしくね、リナちゃん」
無邪気な笑みを浮かべて頷くリナ。だが、唐突にその顔から表情が消えた。
「ねえ、さくらお姉ちゃん。今日はここで何をするの?」
「え?」
ああ、何と説明するべきか。僕はリナの背後からさくらさんに向かって手を合わせた。流石に精密検査とは言いづらい。さて、どうする?
「今日はね、お姉さんがリナちゃんの身体を調べてあげるの。悪い病気にかかっていないかどうか、ちゃんと診てあげるわ」
おお、流石だ。僕は片手を掲げて親指を立てた。が、さくらさんに言われてしまった。
「恵介さん、お昼は食堂の海鮮ランチ、奢ってくださいね」
満面の笑みである。これでは僕にも、抵抗の余地はない。
「お姉ちゃん、海鮮ランチってなあに?」
「お魚がたくさん載ってて、綺麗なお料理がたくさん食べられるご飯よ」
「あたしもそれ食べたい!」
「決まりね」
ううむ。さくらさん、あなただって僕たちが薄給であることはご承知でしょうに。
※
リナの身体検査は、午後の早い時間に終了した。
リナはさくらさんの言葉に従順だった。結果、血液採取もレントゲン写真の撮影も知能テストも遺伝子サンプリングも、見事に完了することができた。
「よし、これで検査はお終いだよ、リナ。部屋に連れて帰るから、秀介と遊んでいなさい」
「えー、リナはもっとこの機械で遊んでいたい!」
「わがままを言うんじゃありません。お兄ちゃんの言うことを聞かないと、海鮮ランチはもう食べさせてあげません!」
「むぅー……」
するとさくらさんがリナの正面に回り込み、しゃがみ込んでそっと頭を撫でた。
「また来てもいいわ、リナちゃん。だから今日は、ね?」
「お姉ちゃんがそう言うなら……。じゃあ、あたし帰る!」
「ええ。私もリナちゃんに会いに行くわ」
「わーい! じゃあね、さくらお姉ちゃん!」
僕はそっとリナの手を取り、ラボのドアを抜けた。
にこやかに手を振るさくらさん。彼女に軽くお辞儀をして、来る時と同様に注目の的になりながらリナを個室まで送り届けた。
秀介にリナを任せ、僕はラボへと舞い戻る。
「いやあ、お世話をかけました、さくらさん」
「いえ、大丈夫ですよ、恵介さん。海鮮ランチのお代分の仕事は、私もしないといけませんからね」
「本当に助かります。では」
こうして僕たちは、それぞれの担当領域の解析に取り組み始めた。
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