第3話


         ※


 秀介に肩を小突かれ、僕は意識を取り戻した。


「帰り着いたぜ、兄貴」

「あ、お、おう」


 あれだけの戦闘を経ながら、帰投するまでの間に眠ってしまうとは。僕の神経が図太いのか、それとも疲弊しているのか、よく分からない。

 ただ一つ、確かに胸中にあるもの。それは、先ほど僕が救出した少女が無事かどうかと心配する思いだった。


「負傷者が先だ。ゆっくり降ろしてやれ」


 隊長が落ち着いた声音で言葉をかける。幌付きトラックの荷台での言葉だ。

 僕と秀介はしばらく待って、ゆっくりと腰を上げる。荷台から出ると、綺麗な満月が目に入った。


「現在時刻は二三〇〇、日付変更までに負傷者を運び込むぞ」


 落ち着き払った小隊長の言葉に従い、僕と秀介も担架を掴み込む。

 意識があったのか、負傷兵は微かな呻き声を上げた。


「も、申し訳ありません、恵介博士……。あなたは戦闘員ではないのに……」

「何を仰ってるんですか。あなた方が守ってくださるから、自分は安全にゾンビのサンプリングができるんです。どうぞゆっくりお休みになってください」


 すると負傷兵は安堵したのか、すっと意識を手離した。


「あ、あの……」

「大丈夫だよ、兄貴。彼は重傷だけど、命に別状はない」


 確かに、僕も衛生兵の資格は持っている。この負傷兵が助かるであろうことは分かるのだ。

 だが、そんな知識や観察眼と、心理的な働きというのは別なものだ。

 有難いとか、申し訳ないとか、言葉面の表現はいくらでもある。しかし、彼は命を危険に晒したのだ。知識や観察で割り切れるものではあるまい。


「僕なんかのために……」


 僕は苦い唾を飲んでから、この負傷兵を医療棟へ運び込んだ。


         ※


「兄貴、やっぱ疲れてんじゃねえの?」


 僕を心配してくる秀介。彼にまで心配されるということは、やはり今の僕は相当酷い顔をしているのだろう。


 ああ、だか、おう、だかよく分からない声を上げて、医療棟の廊下の壁に背を預ける僕。

 すると、ちょっと落ち着かない様子で秀介が問うてきた。


「そうだ、あの女の子、どうしたんだ?」

「女の子?」


 僕は問い返したが、すぐに円筒の中に浮かんでいた少女の姿が思い出され、はっとした。


「ああ、彼女はもう個室に移されたはずだ。場所はまだはっきり決まったわけじゃないだろうが」

「そっか、サンキュ」


 思いの外軽い足取りで、秀介は医療棟の中の個室区画に歩み去った。

 何を考えているのだろう? 見舞いでもするつもりだろうか? 初対面なのに見舞いも何もないような気がするが。


「ふわ、あ……」


 気が抜けたのか、口から欠伸が湧いてきた。ここまできたら、頭は回らない。


「さくらさんにアタッシュケースを任せて、少し休ませてもらおうかな……」


 さくらさんというのは、僕の同僚でゾンビ研究員の笹原さくらのことだ。飛び級して研究員になったので、僕と同い年。専攻は分子生物学。

 僕とさくらさんが、今回採取されたゾンビの肉片の解析をするのにどのくらいかかるだろうか。遅くとも、明日のプレゼンには間に合わせなければならない。


 この敷地内には、医療棟、研究棟、宿舎という三つの構造物が川の字を描くように建っている。周辺を森林に囲まれた、やや秘密組織の趣を有する建造物だ。

 僕は医療棟から研究棟に移り、ラボに顔を出した。


「おかえりなさい、恵介さん! って、大丈夫ですか?」

「ああ、驚かせすみません。今日はなかなか大変でしてね……」

「あっ、今コーヒーを――」

「いえいえ、代わりに三、四時間仮眠を頂けますか?」

「そんな! もっとゆっくり休んでください!」


 必死に僕を休ませようとするさくらさん。その心遣いが、グロテスクな光景に憑りつかれた僕を解放していくようだ。

 だが、僕だって自分の意志で今の立場にいる。彼女ばかりに解析作業を任せておくわけにはいかない。


 栗色の肩まであるストレートヘアに、女性の中でも小柄であろう体躯。加えて、小動物を思わせる大きな茶色の瞳。正直、もし僕たちの仕事が『普通の医学研究員』だったとしたら、僕も好意を寄せていたかもしれない。


 だが、僕も彼女も『普通』ではない。何せ、ゾンビを扱っているのだ。精神的にも社会的にも、ある意味特権階級であり、またある意味白い目で見られる立場でもある。そこにラブロマンスなどあるわけがない。


 僕はそっとさくらさんの肩越しに向こうを見遣った。


「ちゃんとアタッシュケースは届いたみたいですね。では、申し訳ないんですが……」

「ええ、どうぞお気が済むまで休まれてください」


 笑顔の彼女にそう言われては、ぐうの音も出ない。

 僕はさくらさんに丁重に礼を述べてから、研究棟を出て宿舎へと向かった。


         ※


 僕たちが所属しているのは、陸上自衛隊の外郭組織だ。正式名称を『対人型異生物作戦部』といい、今日遭遇したゾンビの殲滅とその研究を主な任務としている。

 世間一般では『ゾンビハンター』とか『ゾンビ狩り部隊』とか言われている。


 僕は研究課、秀介は実戦課の所属だが、殲滅されると同時に蒸発してしまうというゾンビの性質上、僕も実戦課に同伴してサンプリングを行うことにしている。

 これは配属前から僕がずっと覚悟していたことだ。


 本来、すなわち出動のない日なら筋トレと研究で一日を過ごすところ。だが、今日のように出動があると、二十四時間いつであろうが完全装備で出張っていき、ゾンビの殲滅に立ち会ってサンプリングに着手する。


 ゾンビが出没するのは、主に東北、関東、中部、及び関西地方北東部の四地域。かなりの広範囲を少数精鋭の兵士で防衛しなくてはならないため、正直かなりキツい仕事ではある。

 だが、やり甲斐はある。いや、執念とでも言うべきか。


 この任務に就いている兵士たちの多くは、ゾンビに襲われることで家族を喪っている者が多い。十年ほど前から、突如として出没し始めたゾンビ。それらを全滅させ、首謀者の身柄を確保する日を夢見て、皆が任務に臨んでいる。


 僕がこの戦闘員たちを『兵士』と呼称するのにも理由がある。今の憲法や自衛隊法に縛られていては、複雑な戦闘規定に従わなくてはならない。


 それでは遅いのだ。致命的に、そして決定的に。

 この件に関しては、未だにワイドショーで取り上げられる定番のネタとなっている。果たしてこれは合法、合憲なのかと。


 これは秀介の言葉だが、一言で片がつく。『クソくらえ』だ。


 コメンテーターたちは、ゾンビと遭遇したことがないド素人だ。そんな甘ちゃんたちに自分たちの生き死にを決められていては、堪ったもんじゃない。

 皆多かれ少なかれ、胸に抱いている違和感だろう。

 それを振り払うために、僕は自分たちを『自衛隊員』ではなく『兵士』と呼称することにしている。


 などなど考えていたら、いつの間にかシャワーを浴び終えていた。

 身体を拭いてパジャマを羽織る。あまりにも身についてしまった所作だから、思想に耽りながらでもできてしまったのだろう。


 さくらさんに要請した休息時間は約四時間。それまでには宿舎(寝室は個室になっている)を出て、研究棟のラボに戻らなければならない。

 早めに目覚められるようにと、コーヒーを口にする。ああ、だったらさくらさんの淹れてくれたコーヒーを飲めばよかったな……。


 柄にもないことを考えつつ、僕は熱めのコーヒーをさっさと飲み干し、歯を磨いてベッドに入り込んだ。


         ※


 翌日、午後八時。

 

《それでは、昨日の戦闘と研究結果に基づくブリーフィングを開始します》


 司会進行役の三等陸尉がマイクに吹き込む。ここは宿舎の一角にある広大な会議室で、立体映像を使用する関係で部屋の照明は落とされている。


 そして、ここでは毎回、ルーティンとなった解説が為される。

 大まかに言えば、以下のようなことだ。


〇ゾンビというのは便宜上の呼称であり、映画やゲームのようにウィルス感染の恐れはないこと。

〇ゾンビの出現場所は主に山林であり、遭遇した人間の捕食を試みるが、他の生物に関しては反応しないこと。

〇ゾンビは飽くまでも生体実験に使われた犠牲者であり、容疑者は十年前から変わらずある一人の科学者に絞られていること。


 一人の科学者。名前を、香藤玲子という。もし彼女が黒幕であり、存命であれば現在四十歳ちょうど。

 人体工学のスペシャリストで、かつては、彼女の技術が世界を救う、とまで言わしめた天才科学者。

 

 研究分野は筋組織の強化・再生技術。事件や事故、紛争などで負傷した人々を救う医療の礎になると言われていた。

 しかし、それが軍事利用されるのでは、と危惧され、一部の学会派閥から顰蹙を買った。その結果、追い出される形で学会から姿を消したのだ。


 兵士たちの中では、彼女が復讐を果たすために極秘に研究しているのでは、と睨んでいる者も多い。

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