第2話

「あれ?」

「どうしたんだ、兄貴?」

「このゾンビ、死んでるはずだよな? どうして蒸発しないんだ?」

「はあ? 何言ってるんだよ、どう見ても死んで――って、ヤバい! 兄貴、下がれ!」


 自分から下がる間もなく、思いっきり後ろ襟を引っ掴まれた。秀介に引き倒されたのだ。その時には、倒れ伏していたゾンビが僕に向かって手を伸ばしてくるところだった。


「博士を守れ! ゾンビはまだ生きてる、仕留めろ!」


 弾雨がゾンビを磔にする。ぐしゃぐしゃと肉片も骨片も飛散して、視界が赤紫色になる。

 僕は慌ててバイザーを下げ、なんとかゾンビの破片との接触を回避した。


「ひっ! うわっ……」


 気づいた時には、ゾンビの肉片は既に蒸発していくところだった。僕のバイザーも、最初から何も付着していなかったかのように綺麗になる。

 尻餅をつきながらも試験管を手離さなかったのは、我ながらよくやったと言っていい。


「はあ、ったくこの野郎、ふざけやがって!」

「おいやめろ、秀介。ゾンビは人造人間のようなものだ。元になった人間にも尊厳がある」

「で、でも隊長!」


 隊長は深い溜息をつき、しゃがみ込んで手を合わせた。それに合わせて数名が、同様に合掌をする。後方警戒中の二人以外は。


《こちらエコー2、強力な敵性勢力と交戦中。エコー3に支援を要請する》

「了解。皆、聞こえていたな? 四階に降りて敵を挟撃する。続け!」


 再び、おう、という声がして、皆が一斉に動き出す。僕もアタッシュケースを提げて、陣形を崩さないように気をつけながら駆け出した。


         ※


 地上四階の制圧にあたっていたエコー2は、数名が負傷していた。噛み千切られた傷口が生々しい。すぐさま消毒液が噴霧され、これ以上のゾンビの接近を防ぐべく全員で一方方向に銃撃を加えている。


 それを見て、隊長が怒鳴った。


「秀介他二名、ロケットランチャーの使用を許可する! ゾンビ共の接近を食い止めろ! 他の者は後方警戒にあたれ!」


 僕がさっと屈み込む。すると、そばに屈み込んだ秀介が背中から長い筒状の物体を取り出すところだった。


「兄貴、離れてろよ! 発射準備よし! 三、二、一、てえっ!」


 ドシュン、という発射音と白煙。それらを残して、爆薬を弾頭に搭載したロケット弾が炸裂した。

 三発のロケット弾は、ゾンビの群れの中央と左右に見事着弾。爆炎を上げ、一斉にゾンビを粉微塵に消し飛ばす。


「不用意に接近するな! あとは自動小銃で食い止めろ!」


 しばらくの援護の後、四階もまた制圧された。これで残りは三階と二階だが、既に制圧完了との報告が入っている。


「了解。状況終了、これより撤収作業に――ん? 地上班、どうした?」

《捜索の結果、この建造物に地下構造があることが判明しました。現在先遣隊を組織して、捜索にあたらせています》

「罠の可能性もある。何かと遭遇しても、深追いはするな。我々も合流する」

《了解》


 隊長が視線を遣ると、全員が弾倉を確認し、次の戦闘に備えた。


         ※


 一階に降りると、あちらこちらから煙が上がっていた。ゾンビの遺骸の残滓だろう。

 地上班はほぼ全員が地下に降りたらしい。隊長は自らも含め、先遣隊との合流を試みた。

 すると好奇心からか、秀介も立候補した。普段は許されることではないが、今日の活躍もあってか、隊長は秀介の同行を許可した。


 僕は先遣隊に加わらなかった兵士に敬礼し、何があったのかを尋ねた。


「エコー3の諸橋恵介です。何か発見されたのですか?」

「詳細は不明ですが、危険物ではないようです。なんでも――」

《恵介博士、聞こえますか?》


 割り込んできたのは隊長だ。


《不審物……というか、謎の存在を発見しました。博士にもご覧いただきたい》

「了解しました」


 僕はすぐさま踵を返し、地下一階への階段を下りて行った。

 段々と視界が明るくなってくる。ぼんやりとした灯りだ。怖いというより、神秘的な光景。

 

「この青白い光は何だ……?」


 ゆっくりと階段を下りきると、そこには広大な空間が広がっていた。シャンデリアでも配すればダンスフロアにでもなろうかという広さ。天井はアーチ形で、中央に光を発する筒状のものがある。

 天井から地面に接続された円筒で、配線やタンクがあちこちに見られる。

 問題は、そこに何が入っているかだ。


 僕がゆっくりと回り込むと、ゆっくりとその正体が分かってきた。人間だ。

 胎児のように身を丸め、膝を抱いた姿勢の少女が、何も身に着けずに浮かんでいる。


「これは……」

「ゾンビの類でしょうか、恵介博士?」

「これだけではまだ分かりません。もしかしたら、何らかの実験体として捕縛されているのかも」

「ということは、むざむざ殲滅してしまうわけにもいかない、と?」

「ええ」


 すると、今度は秀介が割り込んでいた。


「ちょっと、何言ってるんすか二人共! 助けなきゃ! どこかに開放ボタンが――」


 と秀介が言いかけ、壁際に手をついた、その時だった。

 がこん、と音がして、円筒が振動を始めた。


「ちょっ、秀介! 何やってるんだ!」

「お、俺は何もしてねえよ!」

「総員退避! できる限りここから離れろ!」


 小隊長の大声に、耳が麻痺しかける。だが、僕は動けなかった。何故なら、ひびが入って破損した円筒から、少女が飛び出してきたからだ。


「うわっ、とっ!」


 自分の頭を守るべきか、少女を受け止めるべきか。

 理由は分からないが、僕が咄嗟に選んだのは後者だった。


 幸いにして、円筒外部のガラス片はほとんど飛散しなかった。中の液体も、有害なものではない。僕は無傷だ。


「おっと……」


 よろめきながら足に力を入れて、ようやく少女を受け止めた。お姫様抱っこの格好で。


 さて、この状況、どう説明したらいいものか。

 逃げそびれた上に少女を受け止め、加えてその少女は全裸ときている。僕の社会的地位崩落の危機だ。


 僕がぼんやり突っ立っていると、通信が入った。隊長からだ。


《恵介博士、ご無事ですか?》

「え? は、はい?」

《お怪我はないのですね?》

「へえ、まあ……」

《只今救出に参ります。あなたは動かずに、兵士の到着をお待ちください》


 その言葉が終わるや否や、秀介が円筒の反対側から駆けてきた。


「おーい、兄貴! じゃなかった、博士!」

「あ、ああ」

「博士、無事なんだろ? 返事くらいして――」


 僕が顔を上げるのと、配線を跨いできた秀介がこちらを向くのは同時。

 そのまま、十秒近い沈黙が流れた。


「……兄貴、何やってんの?」

「……」

「いやさ、人の性癖に口出しはしねえけど」

「……」

「まさかあの兄貴がロリコンだったとは……」


 僕は一瞬で自分の顔が真っ赤になり、それから真っ青になるのを感じた。

 じっと観察したわけではないが、確かにその少女は、僕よりもずっと幼く、あどけなかったのだ。


「ごっ、誤解だ秀介! 僕は彼女を助けようとして!」

「その結果ロリコンになったんじゃねえか! 言い逃れはできねえぞ!」

「お、お前こそ、この子に見入ってたじゃないか」

「は、はあっ!?」

《おい、秀介! 恵介博士はご無事なのか?》

「あっ、はッ! ご無事であります!」

《こちらも負傷者は出ていない。そちらに向かうぞ》


 ちょっと待って! その一言が出てこなかった。

 円筒の残骸の陰から現れた兵士たちは、目を丸くしたり、咳ばらいをしたり、さっと目を逸らしたりしている。


「ちょっと皆さん、何か勘違いを……!?」

「誰か担架とシーツを持ってこい。この少女を救出対象と見做し、本部へ連れて帰る。秀介、お前も手伝え」

「は、はッ!」


 がっくりと肩を落とす僕は、そっと担架に少女を載せ、眉間に手を遣った。


「こ、こんなつもりはなかったのに……」

「大丈夫ですか、恵介博士?」

「身体の方は大丈夫ですが、精神的にはしばらく立ち直れないかもしれません」


 隊長の言葉に、生気のない声で答える僕。


「誰しも誤解を生むことはあるし、それを責められるという理不尽にも遭います。どうぞお気になさらずに」

「は、はは……」


 僕の乾いた笑いが、微かに地下空間に木霊した。


 その時だった。少女の口元が微かに動いた。何か言葉を発しようとしている……?

 遠目ながら、僕にはそれが、お母さん、と告げているように見えた。


「さあ、博士。撤収します」 


 小隊長は気遣わしげに僕の肩に手を回し、まるで自白した殺人犯を警察署に連行するような雰囲気で、僕を地上部隊の輸送トラックへといざなった。


「総員乗車完了、出してくれ」

《了解》


 本部に帰ってから僕が行うべきは、今日採取したサンプルの解析と、それをプレゼンする準備だ。


「その前に少し休んだ方がよさそうだな……」


 この言葉が、僕の口から発せられたのか、それとも胸中で呟いただけなのか。

 正直、僕自身にも分からなかった。

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