愛を夢見る試験管

岩井喬

第1話【第一章】

【第一章】


 勢いよく夜気を切りながら、三機のヘリが飛んでいた。

 スマートな外観に対し、機首に搭載された十五ミリガトリング砲が凄まじい威圧感を与える。艶のない、真っ黒で無骨なカラーリングも、この機体が只者でないことを示している。


 僕は今、そのうちの一機に搭乗していた。僅かな振動が腰から伝わり、その度にヘルメット内から滴ってきた汗が頬を滑っていく。

 自家用ヘリを有するような高給取りも、こんなに緊張感に満ちたキャビンに乗った経験などないはずだ。


 六人乗りのキャビンでは、筋骨隆々とした男たちが、コンバットスーツに身を包んで座っている。具体的には、肘や膝を防護するプロテクターを纏い、赤外線バイザー付のヘルメットを装備している。


 さらに彼らの膝の間には、大振りの自動小銃が置かれていた。銃床をヘリの床面につけ、セーフティを解除すればいつでも弾丸をばら撒ける状態だ。


 身をよじって窓から外を見下ろす。真夏とはいえ、午後九時を回れば真っ暗だ。鬱蒼と茂った木々が、僕の視界を埋め尽くしながらざわざわと揺れている。


「大丈夫ですか、諸橋博士?」

「は、はいっ!?」


 向き直ると隊長が立ち上がり、勇ましい笑みを浮かべていた。そしてずいっと身を寄せてくる。


「諸橋恵介博士……。生体生物学の権威でいらっしゃいますな」

「け、権威だなんてそんな……。まだ二十二歳ですし、大学院出の若造ですよ」

「いやいや、それでも飛び級なさったのでしょう? 立派な経歴をお持ちだ。博士の身は、我々が命に代えてもお守りします。どうぞご安心を」


 そう言って隊長は、笑みなのか古傷なのか分からない皺を顔に刻んで自席に戻った。


 ああ、緊張した……。僕がすっと息を吸うと、隣の隊員――便宜上『兵士』と呼んでいる――が肘をぶつけてきた。


「おい、何ビビってんだよ、恵介博士?」

「ビッ、ビビッてなんかない!」

「ふぅん?」


 余裕綽々といった態度の兵士が、小声でからかってくる。

 僕の弟、諸橋秀介だ。歳は十八。この場では一番若い。彼はその動体視力と俊敏性を買われてここにいる。


「秀介、ふざけるのは止めろよ。今日もサンプリング作業が控えてるんだからな」

「へいへい」


 肩を竦めてみせる秀介。僕より小柄な彼だが、皆と同じ自動小銃を手にしている。いかに身体を鍛え上げているか、推して知るべしといったところか。


 僕だって筋力をつけているが、秀介や他の兵士たちには及ばない。だからこその非戦闘員なわけだ。


 そんな僕が、どうして兵士たちと共に現場に向かっているのか? それは、今回の『敵』と遭遇した時に分かることだ。


 ぐっと歯を食いしばる僕。その時、キャビン内のランプが真っ赤に灯り、パイロットからの報告が入ってきた。


《地上突入班、地上一階を制圧。先遣隊、トラップの有無を確認。異常なし。各機は目標屋上に降下、屋上及び地上五階からの制圧を開始せよ》

《エコー1、了解》

《エコー2、了解》

「エコー3、了解した」


 隊長が声を張り上げる。僕たちが乗っているヘリのコールサインはエコー3。一番後から突入する班の兵士を運んでいる。


 再度窓の外に目を遣ると、確かに見えてきた。今回の目標制圧地点が。

 ぱっと見は荘厳な洋館だが、一昔前のアドベンチャーゲームの影響からか、とても不気味に見えてしまう。


「総員、降下用意! 着陸後は速やかに地上五階の制圧を開始する!」


 小隊長の指示に、皆が、おう、と応える。

 その直後、がたん、と機体が振動した。


《エコー3、着陸完了》

「我々の目的は屋上階段、及び地上五階の制圧だ! 日頃の訓練の成果を見せろ!」


 僕は一人だけ眼鏡であることに違和感を覚えつつ、秀介に続いてヘリを降りた。


         ※


 既に屋上は制圧されていた。というより、元々制圧すべき相手がいなかった。ほっと胸を撫で下ろす。

 僕は自動小銃は装備していないが、護身用に拳銃を一丁ホルスターで吊っている。三十八口径、十五発装填可能なオートマチック拳銃だ。


 屋上制圧部隊が腕を振り回すのに合わせ、秀介が階段への入り口を蹴り開けた。自動小銃付属のライトが、真っ暗な館内を白い円で切り抜く。

 すぐに二つ目の円が階段下を照らし、秀介の援護体勢に就く。


「クリア」

「了解。秀介、このまま先鋒を頼む。他の皆は、博士を守るように陣形を取れ。狭いぞ、気をつけろ」


 すると、皆が耳元に装備している小型通信機から連絡が入った。銃声と思しきノイズが混ざっている。


《こちらエコー2。会敵した》

「了解。こちらも片付き次第、そちらの援護に回る」


 隊長の落ち着いた声音には安心させられる。だが、今の通信の向こう側で何が起こっているのかを想像すると、僕は平静ではいられなかった。


 僕たちエコー3の面々が全員五階に降りきると、生々しい掠れ声が聞こえてきた。


「やっぱり出やがったな、ゾンビ野郎……」


 秀介が苦々しげに呟く。

 今現在洋館を徘徊しているのは、確かにゾンビという呼称に相応しい人型の怪物だった。


 身長は人間と同じ。だが、強烈な腐臭を放っている。また、目玉がぶら下がっていたり、内臓が飛び出していたり、皮膚が灰褐色だったりしている。ただし、四肢の欠損はない。


 五階の廊下にいる個体は、ざっと六、七体。

 秀介たちは自動小銃を構え、曲がり角からそっと銃口を突き出した。


 パチン、と鋭い音がする。隊長が指を鳴らし、射撃開始を指示したのだ。

 その直後、バタタタタタタタッ、と自動小銃が火を噴いた。曳光弾が廊下を断続的に照らし出す。銃弾にズタズタにされたゾンビたちが、悲痛な呻き声を上げる。


 だが、ゾンビはすぐに立ち上がり、やや足を速めながらこちらに向かってきた。


「兄貴……じゃない、博士! どいつのサンプリングをしたいんだ?」

「今一番手前にいる奴を!」

「了解!」


 すると、前衛の三人と後衛の二人がさっと入れ替わった。まるで手品のようだが、それほど夢のある光景ではない。


 秀介を含め、前衛を務めた三人は、すぐに弾倉を交換した。次の銃撃に備える。だが、それは余計だった。後衛の二人がゾンビを全滅させてしまったのだ。僕がサンプリングを望んだ個体を除いて。

 

 僕は頭上から落ちてくる薬莢を払い除け、持参したアタッシュケースを取り出した。そこには、やや大きめの試験官と緑色の液体を入れたビーカー、それにペーパーナイフのような小さな刃物が入れられている。


「射撃止め! 射撃止め! よし行け、秀介!」

「了解!」


 警察犬よろしく、秀介が飛び出した。手にしているのは二十二口径の拳銃が一丁。

 何をするのか? 答えは簡単で、ゾンビを殺さずに動きを封じることだ。


 廊下を見渡すと、あちこちでゾンビの遺骸が溶け、蒸発し、消えていくところだった。

 つまり、僕たちが便宜上ゾンビと呼称している人型の怪物の情報を得るには、ゾンビが蒸発してしまう前に肉片や骨片を採取する必要がある。

 だからこそ、研究員であって兵士ではない僕が同行する必要があった、というわけだ。


 秀介は一気に距離を詰めながら拳銃を発砲。膝のあたりに弾丸が集中し、ゾンビは倒れ込む。

 しかし、ゾンビもただ撃たれていたわけではない。自分の膝下が千切れるのにも構わず、秀介に跳びかかったのだ。


 強固な牙が、秀介の腕を食いちぎる――かと思いきや。

 ゾンビが口にしていたのは肘のプロテクターだった。


「残念でした」


 僅かな茶目っ気を含ませた声。そして銃声。ぐしゃり、という生々しい音からして、弾丸はゾンビの眉間から入り、脳組織をぐちゃぐちゃにして後頭部から飛び出したのだろう。


「よっと!」


 秀介は後方に跳躍して、ゾンビから距離を取る。


「大丈夫か、秀介?」

「なあに、兄貴に心配されるほど柔じゃねえよ。サンプル取るなら、さっさとやっちまってくれ」

「あ、ああ」


 僕は秀介が仕留めたゾンビに近づいた。

 ゾンビも死んでしまえば怖くない。いや、一度死んだからゾンビになるのだから、これは『死体の死体』というべきか。


 僕は躊躇いなく、ゾンビの着ていた病院のパジャマのような服を捲った。うつ伏せ状態のゾンビの背骨近くから、一辺一センチほどの肉片を切り出し、試験管へ。そこにビーカーから緑色の液体を注ぐ。


「サンプリング、完了です」


 その言葉に、隊長が頷いて次の指示を出そうとした、その時だった。

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