第106話 小説世界と時代思潮
本題に入る前にひとつ。
小説の内容説明にですね、
「この物語は〇〇の〇〇を推奨するものではありません」とか書くの、なんなの?
そんなことまで作者の責任なの?
それともそれだけ自分の作品には人を動かす力があると誇示しているの?
はい、それも時代思潮なのかな、と思いますね。でも、こんな注意書きなんてWeb小説に要らんですわ、はっきり言って。
小説世界にも、容赦なく時代思潮の波は入り込んできます。
使い方によっては、時代設定を具体的に書かなくとも、時代を限定させることができますよね。
以下、「Swing Razor」からの一節。
§
入社後間もなく「美人コンビ」と呼ばれるようになった私の相棒、向井。私同様今では「美人」などと呼ばれることはなくなったが、それは「ルッキズム」がどうだとかいう時代のせいであって、向井の美しさは三十代半ばとなった今でも色褪せていない。私もそうだ。と、自信を持って言えれば良いのだが、未だ独身の私は日々疲れを感じている。
§
時代思潮を語る際、多少なりともそのことに対する批判的な想いが入るものです。
ここで「私」は「ルッキズム」に対して過剰であると感じているのが窺えます。同時に、時代設定が現在だと分かりますよね。
説明臭い文章で世界観を壊さずに色々な情報(行間)が込められて便利です。
しかし、読者に時代思潮の刃でもって作品を切られるのは困ったものです。
障害者(障碍と書くべきとかホントどうでもいい)とか、ジェンダー系の話題とか、育児のあり方とか、エスカレーターの乗り方とか。
うっせえでございますよね。
名探偵コナン(アニメ)で、いつか知らないですが、エスカレーターの乗り方が推察の鍵になって、それが炎上したことがあるらしいですね。
左側を空けるのがどうとか、右側を空けるのがどうとか。
「エスカレーターでは立ち止まって、中央に乗る」
それが正しいルールで、そういう時代思潮になってきている、という訳です。
ホント、うっせえでございます。
名探偵コナン自体はザッピング中の数分くらいしか見たことないですが、設定はある程度知っています。有名コンテンツですからね。
あの現実離れした世界でも「エスカレーターの乗り方が」とか言われるんだあ、と。
冒頭に書いた注意書きを置く作者の方々って、もしかして過去にそういった刃で読者から切られたことがある人々なのかなあ、と思うと、あの注意書きの文章ってPTSDの症状みたいなものなのでしょうね。
こういうのを逆手に取って「現代思潮源氏物語」なんていうのを出版してそこそこ売っちゃう出版社は嫌いだなあ。作家を道具として使っている印象があって。
おっと、蛇足ですね。ひと言多いですね。いつも通りね。
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