失礼します。前回は安直な言葉で評価してしまったかな?
恐れながらコメントの言い訳をしますと、御作は「表現された色の組み合わせ」が美しいと感じました。加えて敢えて感情を説明していなかった分、情景の描写で感情を間接的に表していたと思いました。こうすると人物の悲しみがよりよく分かります。
そして本文で仰るように「バランスの取れた、リズムの良い文章」を心がけていらっしゃるので、読みやすく且つ想像しやすい文章でした。この技術は見習いたい処。
それ故に風景・感情・文章と総合的に「美しい」と書かせてもらった次第です。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
naimedさん以外の方からも具体的な箇所を挙げて頂きまして。
久しぶりの好感触に「良かった良かった」と思っていたのですが、ふと「文章の美しさ」って何? と思ってしまったのです。
美しさを文章で表現するのではなく、美しいとは限らないものを描写した文章に美しさを感じる。それってどういうものだろう、って。
そう考えると不思議じゃないですか?
と、いうノリのお話でした。
美しいと評すること自体への言及ではございませんので、ご容赦を。
美しい文章…美しい描写…改めて考えると難しいですね。
美しいと思った場合には、美しいと言ってしまうからなあ、私は。美しいとしか言いようがないし。
個人的な感性で言わせていただくと、私の場合は、その文章や描写を拝読して、頭の中に情景が美しく浮かび上がるかどうか、かな。でもそれって厳密には、文章や描写が美しいのか、脳内風景が美しいのか、わからなくなっちゃいますね。
不思議なもので、文章とか描写が細かければ細かいほど美しい情景ができあがるかというと、そうとも限らないみたいです(個人的見解)。さらっとした1文で美しい情景が奥深く広がることもあります。そういう文章なら「美しい文章」と言っていいような気はします(個人的見解)。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
今のこの時間、実際私が感じたものを描写してみます。いくつかのパターンで。
朝です。
風がなくやや蒸し暑さを感じる朝です。
「おはよう」と声に出すことはない。ただ目覚めただけの朝は、その日の午後の蒸し暑さを予感させた。
少し雲の多い日の朝は、部屋の中にも雲の子供を忍ばせているようだ。部屋に置かれたモノたちが雲をまとったようにぼんやり見える。
寝苦しい、という言葉がある。しかし、起き苦しいという言葉はない。言葉はないが、私はその朝、起きることに苦しんでいた。
はい。決して美しい風景でも感情でもない今朝の私を文章にしてみました。
えーん、美しさを求めて書くのはやっぱり難しいよー。ただ「くど過ぎてはダメ」というのは間違いないですね。