第99話 文章の美しさとは
先日公開した短編について、応援コメントにて
「動作や情景、心理の描写がすごく美しかった」
と書いて頂きました。
美しかった? なぜ?
文字が美しい、などは分かりやすいですよね。しかし、描写です。つまりは文章です。それが美しいとはどういう基準なのでしょうか。
YouTubeでの活動で名が知れ渡った水彩画家、講師の柴崎春通さんがよく言うことがあります。
「この辺りは、ね。サッサッサッと。うん、このくらいかな。あまり説明しすぎるとね、絵画的には良くないですから、ね。だいたいで良いです」
と。
要は必要以上に細かく描写しても心打つ絵にはならない、ということですね。文章も同じなのかな、と。
そのコメントへの返信でも書きましたが、私は文章の美しさというものを意識して書きません。
自分らしさを出した上で、バランスの取れた、リズムの良い文章を心掛けていますが、それは美しさとはまた別のような気がします。しかし、そういった書き方が「美しい」と感じる要素になっているのかな、とは推測できますね。
で、何が言いたいかと言いますと、むず痒いのです。「美しい」なんて評されると。喜ばしいことではありますし、実際その評価は嬉しいです。ですが、どうにも分不相応な気がして。
逆に私が他の方の文章を読んで「美しい描写だなあ」と感じたことがあるか。そう思い返してみたのですが、あまりないような気がします。
お行儀よく、キレイに書こうとして、分かりにくい比喩を自分に酔い気味で使っいる「残念な」描写は良くみかけますが。
もしかしたら私って「美しさを見抜く能力が欠落している」のでしょうか?
あ、もしかしたら「他人のいう美しい文章は必要最低限」と思っているのかも知れません。状況をイメージしやすい普通の表現。
つまり、美しい=普通、というふうに。
そう考えると私が頂いた評価は、
「動作や情景、心理の描写がすごく普通で分かりやすかった」
となりますね。
ああ、しっくりきます。しっくりきますが、やっぱり「美しかった」の方が嬉しいので、そのまま受け取ろう。
なんだったんだ、ここまでの無駄な時間は。ねえ。
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