応援コメント

第78話 行間って読むものじゃない!」への応援コメント

  • なんというか、文章を書くことによって、書かれない部分をも感じ取らせなくてはならない、みたいなものですかね。特に短編書くときに、必要性をひしひし感じるテクニックだと、私は思っています。いや短編難しいです。本当は長編でも使いこなさなきゃいけないのですが。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    どこでどうすれば良い、という明確な指針がありませんからね。作者の感覚頼りです。難しいからこそ違いが出て楽しいとも言えますが、頭は悩ませますよね。

  • 作者目線で言うところの行間には込めた思いや味わいがあって、詳しく語らずとも共感なり欲しいところである。
    ではあるけれども、真意が伝わっているのかどうかは読み手それぞれに解釈の仕方、違いがあって然るべきであり、かくも曖昧なものである。
    しかしながら、究極を言ってしまえばそれでよいのだ。
    その辺りの差異を受け楽しむことができるのもまた、他でもない作者ならではの喜びなのだから。

    というように私は解釈をしてみました。
    すべてがすべて、伝わる必要はないのかなと思います!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    そしてExcellentな解釈です。

    私は常々「作家は考えさせる葦でなければならない」と主張しています。考える葦では足りないのです。
    考えさせる間(ま)、それが行間。
    よく「国語の問題に正解は無い」なんて言いますけれど、どう受けとってもいい。どう考えてもいい。自分の考えを意識し始めた瞬間から正解なんです。答えを探し始めた瞬間から。
    逆に言えば、考えさせられない問題(物語)を書いてしまった作家は「不正解」ですね。
    これが「作家は考えさせる葦でなければならない」ということなのです、はい。

    いやぁ、書くって楽しいですね。その楽しさを知っている私たちは幸せだなぁ。