第78話 行間って読むものじゃない!

こんばんは。

行間。

「文章に書かれていない作者の思い、意図」

などと説明されている言葉。


私が人生で初めて「行間」という言葉とその意味を認識したのは、ヴァン・ダム主演の映画「タイムコップ」(1994年公開)です。映画自体はそれほど面白くありません(おい)。

映画の序盤、モールの中をインラインスケートで疾走するひったくりの現行犯に対し、ヴァン・ダムが目の前に足の裏を見せるシーンがあります。ハイキックの寸止め状態ですね(実際は顔面に軽く触れていますが)。そしてこういうのです。

"Read it."(読め)

ひったくり犯は、ブーツの裏に書かれた文字をそのまま読みます。

"Wolverine?"(ウルヴァリン?:米国のポピュラーなワークブーツブランド)

ヴァン・ダムはこう続けます。

"Between the lines."(行間を読め)

すると、ひったくり犯は靴底には書いていない、ヴァン・ダムの心情を読んで答えます。

"I should get the fuck out of here."(俺はここから消えるべきだ)

男の返答に満足したヴァン・ダムは

"Good"(よくできた)

と満足気な顔をします。


まあ、行間とはそのような意味でしょうが、小説の作者はが読者に対して「行間を読め」なんて普通は言いませんよね。

私は作者が直接文章にしていない行間は「読む」ものではなく「感じる」ものだと思います。

汲み取ってほしい、とか、察してほしい、とかではなく。感じてほしいのです。

わかるかなぁ、このニュアンスの違い。


行間はストーリー上のあそび(余剰分)でもあります。

説明、描写を細かくしすぎると、小説ではなく、レポートのようになってしまいますからね。適度のあそびが必要なんです。読みやすくするためにも。


また、読者に考えさせる時間を与える役目もあります。考える、とは固い表現かもしれないですね。思い馳せる間、とでも言いますか。感情移入したり、共感したり。

文章的にはつながっているのに、明らかに存在している行間。

明らかに存在しているけれども、目には見えない行間。

なにやら妖怪みたいな存在だなぁ。

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