第49話 作家にとってのインプットとは

 またまた十人十色、千差万別の答えが出てくるテーマ。

 だったらタイトルを

「私にとってのインプットとは」

 にすればいいじゃない。ほんとそれ。

 でも、それじゃあ、「私」に興味のない人は読まないじゃん。やり口汚いねー。


 その辺のことはひとまず、というか永遠に置いておいて、よく「インプットが足りない」と作家が呻いている所を見たことありませんか?

 このインプット欲求、実は二種類の原因、もしくは症状に分けられるんです。


 ①そもそもモノが書けない症状。(ネタがない。アイデアが湧かない)


 ②表現が単調、似たり寄ったりになる症状。(描写が単調。場面に奥行きがない。心情をスマートに、あるいは文章的に美しく表せない)


 どちらがより深刻かと言えば、もちろん①なのですが、ここまでのインプット不足に陥るのであれば、そもそも作家、小説家には向いていません。

 人生、生活していれば、インプットの連続なのですから。

 四季の移ろい、天候の変化、ネットやテレビが伝えるニュース、街ゆくオバチャンの会話。。。


 多くの人が悩んでいるのは②です。

 ちょっぴり下書きの例文を。


【A】先ゆく君へ、私は駆け足でその背中まで追いついた。

 ↓

【B】君が私の気配に振り返える。

 ↓

【C】君は、昨日の私を見るような目で、首を傾げた。


 AとCを繋ぐ場面Bには、もっと相応しい内容があるのではないか。

 登場人物の心情表現のバランスは適切か。

 動詞は他に適切なものがないか。

 情景はどのくらいの厚さに肉付けしたらいいか。

 などなど。


 いわゆる「表現力」の部分です。


 あまり多くをここで書いても疲れるだけなので(筆者、読者共に)「私」が「君」に追いつくまでの部分、「私」が紫陽花の花を見ていたことにしてみましょうか?

 そうなると、私の昨日のインプット作業(矢田寺に紫陽花を見に行っただけだけど)が役に立つ訳です。


【A'】昔、紫陽花の色は土壌のpH値で決まると聞いたことがある。しかし、実際は個々の性格の違いもあるはずだ。そうでなければ、同じ場所に咲く紫陽花が、このようにあらゆる色で鮮やかに咲くはずもない。

 私が紫陽花を注意深く観察していると、濃い緑の葉の上に、殻に短い毛を生やした珍しいカタツムリを見つけた。

 オオケマイマイだ。

 雨上がりの葉にぷくぷくと浮かぶあぶくのような、小さな水のドームをのんびりと渡り歩いている。そのゆっくりとした動きに、私の時間も遅くなる。

 実際はガクだという紫陽花の花から落ちたひと雫が、オオケマイマイのツノを直撃した。

 彼、もしくは彼女は、ツノだけではなく、身体全体を毛の生えた殻にすっと収納した。

 君と私との時間に差ができてしまった。

 先ゆく君へ、私は駆け足でその背中まで追いついた。



 オオケマイマイ。居たんですよ。

 というかですね、寺に行く直前にインスタでその画像を見ていなかったら、存在すら知らなかった毛の生えたカタツムリ。

 インプットですねー。

 大して意味の無いこのエッセイでのアウトプットになりましたけど。またどこかでお目にかかるかも知れませんね。


 結局作家にとっての武器は知識と感受性です。不思議と思う好奇心です。

 情報の取捨選択が上手くできなければ、いい表現をするのはなかなか難しいでしょう。



 せっかく良いネタがあるのに、見慣れたものだと見逃していませんか?


 人の感覚のフィルターを幾重にも通した他人の文章や映像作品を見て「インプットした」と勘違いしていませんか?(ヤバい。これは怒られるかも)



 んっんんっ(咳払い)

「インプットが重要」

 とは誰しもが言っていること。

 なにから吸収するか。それが重要だと私は思うのでした。

 ※意見には個人差があります

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