第15話 幼馴染がボロボロになっていた件
放課後、僕は久しぶりに真っすぐ帰宅した。
ここ最近は杏のことばかりで水瀬のことなんて意識すらしていなかった。そんなことを考えながら一人家路につく。
(そういえばあの時以来か……)
水瀬の涙を思い出す。重い、なんて言いたくもなかった言葉をぶつけてしまったこと。涙ながらに立ち去る水瀬を追いかけなかったこと。
あの日以降、水瀬はそもそも学校に来ていただろうか。それすら思い出せない僕は、幼馴染に薄情な奴なのだろう。
僕の家の隣の家――水瀬の家のインターフォンを押す。
ピーンポーン……
チャイムの音だけが虚しく響き渡る。反応はない。
このままプリントだけ郵便受けに入れて帰ってもいいのだろう。
しかし僕がこれまでしてきた――小学校から中学一年生の水瀬にしてきた優しさが、ただプリントを置いて帰るだけでは許さなかった。
「水瀬―?」
近所に迷惑にならない程度の大きさで呼びかける。しかし反応はない。
LINEで通話してみる。やはり反応はない。
もう帰ろうか。そう思った時、間が差してしまった。
水瀬の家の門を開け敷地内に入る。そして二重ロックのドアを手前に引いてみる。
「空いてる……」
水瀬は一人暮らしにもかかわらず家の鍵を閉めないような不用心さはない。どこかに出かけていて鍵をかけ忘れたのかそれとも……
「お邪魔しますー。水瀬―?」
ドアを開け、玄関先まで中に入り呼びかける。やはり反応はない。
いくら幼馴染の水瀬の家とはいえ、水瀬が不在かもしれない家に入るのは気が引けた。しかし家の鍵がかかっておらず、空き巣の可能性もあった。そのため僕は意を決して水瀬の家に入った。
記憶をたどり二階にあるはずの水瀬の部屋へ向かう。今この家には水瀬しか住んでいないからだろう。家具は一切なくまるでモデルハウスのような空間は圧迫感があった。
水瀬の部屋の前に立ち止まる。ノックをして中にいるであろう水瀬に呼びかける。
「水瀬? いる?」
「……ないで」
「えっ? ごめん聞こえない。水瀬? いるの?」
「来ないでよ!」
水瀬の絶叫に僕は驚いて思わず後ずさる。
「水瀬……?」
「来ないでよ! 私のこと! もうどうでもいいんでしょ!」
「どうでもいいなんて……この前はごめん。僕が悪かったよ。生まれて初めて彼女ができて浮かれてただけなんだ」
「はじめての彼女は私がよかった!」
「……水瀬」
「どうして壬の彼女になれないの? どうして! どうして! どうして!」
「どうしてってそれは――」
(水瀬が引っ越す日に僕に冷たくしたからだよ)
その事実を告げる勇気は僕にはなかった。
「私、すごく後悔してる。あの日のこと。壬のプレゼントを受け取らなかったこと。それだけじゃない。壬はずっと優しくしてくれたのに冷たい態度を取ったこと。自分の気持ちに気づかなかったこと」
「…………」
「でも、もうどうしようもないじゃない。今さら壬のことが好きだと言っても気持ちは届かないじゃない。過去はやり直せないじゃない。本当に欲しかったものは手に入らないじゃない……!」
水瀬の言ってることはわがままでしかないのだろう。
あれだけ僕に冷たくしたのに、数年後にはしつこいくらいに僕に付きまとい、好きといい、過剰な身体的接触を行い、結婚を迫ってくる。それが無理なら自分の思い通りにならないと泣き叫ぶ。水瀬のそんな行動がおかしいなんて、都合が良すぎるなんて小学生でもわかる。
でもそうした事実を告げて水瀬に冷たい態度を取ることもできなければ、水瀬を完全に見捨ててしまうこともできない。
それは呪いのようなもので、幼馴染として過ごしてきた期間であったり、どんどん一人になっていく水瀬に費やしてきた時間であったり――そうしたものが僕を水瀬から完全に引き離すことができない。
幼馴染としては水瀬のことは嫌いになれない。
「彼女ができて浮かれていたのは悪かったよ。だから――元通りにしよう」
「元通り……?」
「これまで通り幼馴染でいよう」
「できるわけないじゃない……」
「できるよ。水瀬は中学一年生のあの頃に戻ればいいだけだよ」
「できるわけない!」
水瀬の部屋の扉が開いて水瀬が僕の胸に飛びついてくる。
「できるわけない……どうして壬は私の気持ちを無視しようとするの?」
「無視なんて――」
していない。続きの言葉を口にすることはできなかった。水瀬があまりにもボロボロだったからだ。
泣きはらした目、荒れた肌、乱れた髪、ずっと着替えていないようなパジャマ姿。そんな水瀬を前にして僕はどんな言葉を紡げばいいんだろう。
「ねぇ、壬。私は本当に壬のこと好きなの」
「水瀬……」
「幼馴染なんて嫌。私を恋人に、お嫁さんにしてよ」
僕の胸で泣く水瀬に言葉をかけることも、抱きしめてあげることもできない。
どれくらい時間が経ったのだろう。泣き止んだ水瀬は「明日から学校に行くわ。だから今日は帰って」と言って再び自室に閉じこもってしまった。これ以上、水瀬の家にいても何も変わらないだろう。そう思った僕は静かに水瀬の家を後にした。
外に出るとすっかり日が暮れていて、電気のついていない水瀬の家だけが街中から浮いていた。
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